第50話 ……誰?

 シルティアのところから戻ってきて、しばらく何の意味もなくぼーっとしてみる。

 実は、こういう時間がとても幸せである。


 時間は有限で、貴重である。

 俺もまさにそう思う。


 そんな貴重なものを、無駄にしている快感。

 これもまた、凄まじく抗い違いものなのだ。


 まあ、一言でいえば、サボっているのである。

 そんな俺の下に、ナナシが戻ってくる。


 アルテミスは風呂に行っているので、俺も素を出すことができる。

 彼女はじっと俺を見ると、口を開いた。


「私、襲われちゃいました」


 ……襲われた?

 それって、あれだろ?


 もう……あれみたいな感じで、あれなやつだろ?

 俺はふーっと息を一つついて、心を落ち着かせる。


 そして、ナナシの細い肩を掴んで、彼女の目を真摯に見て意見を言う。


「マジ? じゃあ、もうその身体を使って篭絡とかできるんじゃない? お前の身体で落とされる男がいるかは知らんけど、クビにしてやるからどっか行けよ」

「そういうことじゃないですし、仮にそういうことだったらご主人様は最低です」


 おっとー。

 いつも真っ黒な目が、もっと深淵に近づいている気がするぞー?


 気のせい……気のせいですね。

 俺は知らない。


 見ていない。


「あのおばさんが言っていた裏社会っていう勢力に、襲われたんです」

「なん、だと……?」


 俺は戦慄する。

 ナナシが襲われたこと自体は、構わない。


 それは、どうでもいいことだ。


「は?」


 見るのも怖いナナシの声が聞こえた気がするが、そちらには目を向けない。

 怖いから。


 それは置いておいて、だ。

 問題は、ナナシが【俺のメイドだから】という理由で襲われたということ。


 すなわち、奴らの目的はこの貧相貧乳メイドではなく、スーパーハイブリッドイケメン領主である俺ということになる。

 これはマズイ。


 ナナシを単体で狙ってくれるのであれば、俺もにっこり穏やかに推移を見守ることができただろう。

 だが、俺を狙ってきているとなれば、話は別だ。


 さっさと逃げなければ……。


「自己中心主義極まれりですね、ご主人様」


 俺は首を傾げる。

 自分のことを言っているのかな?


 しかし、どうやって逃げようか。

 もはや、アシュヴィンからアポフィス領出禁になっていることは考慮に入れない。


 クーデターではないようだし、帰ってもそこまで文句は言われないだろう。

 だって、俺ご主人様だし。


 次は、どうやってこの王都から安全に逃げ出すのかということだが……。

 ここで顔が割れていて、接触したことがあるのは、ナナシだけだ。


 ……よし。


「嫌な予感しかしないんですが」


 ジト目で俺を睨みつけるナナシ。

 はっはっはっ。いったい何を言っているんだ、君は。


 頭がおかしくなってしまったのか?

 ……もともとおかしいな、うん。


「ナナシ。お前に崇高にして偉大な任務を与える」

「……一応、聞きましょう」

「おと……」

「却下です」


 唖然として開いた口がふさがらない。

 どうしてお前に決裁権限があるんだよ。


 しかも、最後まで言っていなかったし。

 何がダメなんだ?


 俺が逃げ切るまで、裏社会の連中の【囮】になるという任務なのに……。

 俺のために死ねるんだぞ?


 この世に誕生したすべての生命体にとって、これほど栄誉なことはないのに……。


「あれだぞ。二階級特進みたいなのもするぞ」

「メイドの二階級特進とは? 領主ですか?」

「お前はバカか?」


 メイドの二階級上が領主って、お前自分をどれだけ高い位置に置いているんだよ!


「ふにゃあ……。やっぱり、水は苦手にゃあ……」


 さらにナナシに言いつのろうとしていれば、風呂に行っていたアルテミスが戻ってくる。

 ロングのエプロンドレスを身に着けている。


 風呂上りもそうなの?

 邪魔じゃない?


 しかし、ろくに頭を拭いていないのか、ポトポトと水滴が落ちている。

 ……まあ、俺の屋敷じゃないから、別にいいや。


「ぶるるるっ」


 なんてことを思っていたら、いきなり身体を震わせて水滴をまき散らす。

 ぐおおっ!? 俺の近くで水を弾き飛ばしてんじゃねえよ!


 かかるだろうが!


「ほら、こっちに来い。拭いてあげよう」


 俺は額に青筋を浮かべながら、にっこりと笑って手招きをする。

 めちゃくちゃ痛く頭を拭いてやる……!


 禿げるくらいゴシゴシしてやる……!

 俺が復讐のために、普段なら決してありえない他人への奉仕をしようとしていると……。


「それはみゃあが楽だから嬉しいんだけどにゃあ……。そうする余裕、ないと思うんだけど」

「は?」


 こっちを見て、小首をかしげるアルテミス。

 何言ってんだこいつ。


 余裕がない?

 いや、余裕しかないだろ。


 仕事もないし、時間を潰しているだけじゃん。


「だって、ほら」


 ニッコリと笑うアルテミス。

 不穏なことを言っているのに、表情が笑顔って合っていませんねぇ……。


 すると、その直後。


「ドーンって、ね?」


 俺たちのいる宿全体が、大きな音と共に激しく揺れたのであった。

 はっ!?










 ◆



「ちょおおおおお!? あれ何がどうなっているんだ!?」


 爆発した宿から逃げ出した俺は、思わずそう叫んでしまう。

 落ち着いてクールで格好いいバロール・アポフィス像を多少傷つけてしまったかもしれない。


 反省反省。てへっ!

 ……なんて余裕でいられる状況じゃねえ!


 どうして俺の滞在していた宿は、どこもかしこも面倒ごとに巻き込んでくるんだ。

 まあ、今回はケルファインの時とは違い、宿が敵に回っていたということではないらしい。


 宿から悲鳴も聞こえてくるし。

 ……ちなみに、助けに戻る選択肢は微塵もない。


「自分が狙われているからって、自分から離れる必要はなかったんじゃにゃい?」


 一緒に疾走しているアルテミスが、そう声をかけてくる。

 どうやら、彼女は俺が逃げ出したのを、【自分が狙われていて、そのせいで他人に迷惑をかけるわけにはいかない】という理由で飛び出したのだと勘違いしているようだ。


 ……まあ、俺に都合がいいから訂正はしないが。

 そんな聖人みたいな性格の奴いるの?


「襲撃だにゃあ。一回ミスったから、なりふり構っていられないのかにゃ?」


 それって、裏社会とかいうやつ?

 ミスしてからの行動が早い!


 勤勉だわ。こんなところでそれを発揮してくれなくてもいいんだぞ。

 勤勉に働くべきでは?


「てか、そんなショック受けにゃくてもいいんじゃにゃい? あれ、ご主人の家じゃにゃいし」


 ヘラヘラと笑うアルテミス。

 ……確かに。


 なんかしばらく暮らしていたから自分の部屋が爆散されたと勘違いしていたが、別にそんなことはなかったわ。

 ちょっとイライラも収まった。


 まあ、狙われては知らされている時点で、裏社会に対するヘイトはすさまじいものがあるが。

 ファッキュー。


「いや、あそこにいたほかの人々のことを考えていたんだ。彼らが無事ならいいんだが……」


 心にもないことを言う。

 しかし、自分のことばかり考えているよりも、他人のことを考えていた方が評価は高くなる。


 世の中ってよく分からないわ。

 自分のことがみんな大切なくせに、どうしてきれいごとばかり評価されるのか。


「相変わらずやっさしー。他人なんて、自分のための踏み台にゃのに」


 アルテミスはケラケラと笑う。

 同じ考えだなんて奇遇だな。


 やっぱ、アルテミスが一番俺と考え方が似ているので、気が楽だわ。

 すべて本性をさらけ出すわけにはいかないが、一部分なら笑って済まされそうで。


 ……あれ?

 でも、他人を踏み台としか思わない奴だったら、俺のことも自分の踏み台としか思っていなかったり?


 やっぱりこいつ嫌いだ!


「ありゃ? にゃんか急にご主人からの目がきつくなったような……。ご主人秘蔵のお酒を売りさばいたこと、バレちゃった?」


 何してんだテメエ!

 そう言えば、飲もうと思ったのにまったく見つからなくて、「あれー?」ってずっと言いながら探し続けたんだぞ!


 こいつの秘蔵のマタタビを燃やしてやる……!


「そういえば、ナナシは?」


 ふと気づけば、走っているのは俺とアルテミスだけだ。

 そこに、ナナシの姿はない。


 ……死んだか。

 あいつも俺の財産を狙っているというとんでもないメイドだったが、家事能力は卓越したものだったから、そこそこ役に立った。


 胸を張って地獄に堕ちるがいい。


「イズンの回収にゃ」


 ……あ。

 アルテミスの言葉に、俺はようやく思い出す。


 そう言えば、イズンも風呂に入っていたな。

 ナナシが他人のために危険な場所に残るとはなかなか考えられないが……。


「とりあえず、みゃあたちはさっさと逃げるにゃ。わざわざ戦うなんてばかばかしい」


 ええ子や……。

 ないとは思うが、助けに戻るとか言い出したらどうしてくれようかと思っていたところだ。


 アルテミスは話が早くて助かるぜ。

 彼女の先導に従い、俺たちは走り続けた。


 すでに、宿からの騒ぎは聞こえないくらいには離れている。

 そんな場所で、俺たちは足を止めた。


「……なあ、アルテミス」

「……にゃに?」


 声をかけると、アルテミスも返事をしてくる。

 話すつもりはあるようだ。


 だから、俺は気になっていたこと……そう、とてつもなく気になっていたことを尋ねた。


「囲まれているように見えるのは、俺の気のせいか?」


 人通りがまったくない狭い場所。

 そこを囲むようにして、明らかに堅気でない男女が大勢立っている。


 囲まれているのは、もちろん俺とアルテミスである。

 ファンかな?


 サインならアポフィス領に戻ってからしてあげるから、どいてくれない?

 というか、そもそも目の前の光景が俺の幻覚かもしれない。


 よし、アルテミス。

 幻覚にゃ、って言え。


「……みゃあの目も腐っちゃったのかにゃ?」


 ごらああああああ!!

 何してんじゃボケえええええ!


 お前も認めてしまったら、もう完全に現実だろうが!

 いやぁ!


 辛い現実より楽な妄想の世界に入りたい!

 そんなことを思っていれば、囲んでいた集団から一人の男が出てくる。


「久しぶりですね。今はアルテミスという名なのですか? 2号」


 俺……ではなく、明らかにアルテミスに向かって話している。

 2号というのがさっぱり分からないが。


 ……まあ、俺が目的でないのであれば、息を殺して気配を消そう。

 そして、そのままフェードアウトだ。


 一方で、明らかに因縁がありそうなアルテミスは……。


「……誰?」


 知らんのかい!



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