第45話 扱いづらい子



 バロールが心にもないことを言って純真なイズンを騙していたころ。

 領主とメイドの二人がいなくなったアポフィス邸の一室に、二つの影があった。


 一人はアシュヴィン。

 王国では最も嫌われている異民族の女である。


 もう一人はアルテミス。

 頭部に生えた耳とフリフリ揺れるしっぽが、明らかに人間ではない。


 彼女たちは暗い一室で、資料を見ながら言葉を交わす。


「これでよかったのか?」

「ええ。これで、中央もバロール様のことを無視できなくなりました。地方貴族でも、貴族議会に注目されるという、他の貴族とは一線を画する存在になったのです」


 アシュヴィンが艶やかにほほ笑む。

 すべてがすべて、計画通りだったわけではない。


 そもそも、バロールにケルファインが暗殺者を差し向けたことなんて、計画のうちに入っているはずもない。

 その情報を聞いた時は、大いに慌て、ケルファインを凄惨な拷問に合わせようと硬く決意したくらいである。


 しかし、その過程は色々と計算違いがあったものの、その目的は最初から決まっていたし、実際に達成できた。

 すなわち、バロールの中央での存在感である。


 国を動かすことができるのは、貴族議会。

 貴族議会に参加できるのは、領地を持たない宮廷貴族のみ。


 アポフィス領を持つバロールは、本来国家を動かす重要な地位にいることは許されない。

 普通の貴族を議会に入れようとするのは、宮廷貴族たちからの抵抗はすさまじいものになるだろう。


 だったら、自分たちも領地を持ちたいと思う。

 その既得権益を打破することは困難であると、アシュヴィンも考えていた。


 だが、その貴族議会を構成する宮廷貴族たちが、バロールの意向を無視できないものにすればどうだ?

 貴族議会に参加しなくても、影響を及ぼすことができる。


 バロールが、アポフィス領を飛び越えて、王国にまで支配を広げている。


「ご主人はあんまりそういうのを望んでいないと思うんだけどにゃあ」

「バロール様はお優しい方ですからね。確かに、このように強引な方法で影響力を強くするのは好まれないかもしれませんわ」

「うん、まあそうだにゃ」


 アルテミスから見ても、バロールという男はとても甘い。

 ヘタに近づけば、ドロドロに蕩けさせられてしまうような甘さだ。


 劇毒としての側面もあるだろう。

 だから、アシュヴィンもイズンも……そして、フラフラとどこかに出かけるあのメイドも、アルテミスは受け入れられないのだ。


 唯一自分と同じだと言えるのは、ナナシくらいなものだろう。

 もちろん、バロールが嫌いなわけではない。


 自分も救われた身だし、嫌いだったらさっさと殺して別の場所に移動している。

 その甘さも嫌いではない。


 だが、ゆだねることはできない。

 そうすれば、もうアルテミスという女は、二度と自分の足で立つことができなくなるだろう。


 アシュヴィンもイズンも、もしバロールが命を落とせば、その原因となった人物を惨殺して後を追うようなタイプだ。


「(飼われるのは嫌にゃんだよねえ)」


 そんなことを思ってはいるものの、それなりの期間バロールの下にいることが飼われているのではないかという疑問は出てこなかった。


「ですが、この国は本当に有能で、偉大で、素晴らしい方が治めた方がいい。四大貴族や宮廷貴族のような、地を這いつくばっているのがお似合いの悍ましいものたちが我が物顔で動かすことは、決してよくないことです」

「それが、ご主人?」

「ええ。あのお方は、異民族である私を救ってくださり、忌み子であるイズンをも受け入れました。その寛容さ、優しさこそ、頂点に立つにふさわしい」

「ふーん」


 興味がなさそうにそっぽを向くアルテミス。

 今まで排斥されてきたアシュヴィンとイズンだからこそ、この国を変えたい。


 そう思っていると判断しがちであるが、アルテミスは知っている。

 こいつら、ただ自分の好きな人を一番上に立たせたいだけである、と。


 正直、彼女たちは同じ異民族、同じ忌み子のことなんて、大して眼中にないだろう。

 考えているのは、バロールをいかに立派な地位に押し上げるかのみだ。


 自分の好きな人が、格好よくあってほしい、立派な人であってほしい。

 そう思うのは普通のことかもしれないが、アシュヴィンたちはその規模が他よりえげつなかった。


 一方で、アルテミスは職業柄もあってか、バロールに目立つような地位にいてほしいと思うことはない。

 適当に仕事をさぼりながら、一緒に日向ぼっこでもして頭を撫でてくれるくらいでいいのである。


「汚い裏の仕事は、私たちがやればいいんですわ。その時には、ぜひ力を借りたいですわね、アルテミス」

「んー……」


 アシュヴィンはアルテミスの顔を冷たく見据える。

 裏の仕事について、バロールのメイドの中では【彼女】と同等か、それ以上に能力と適正があるのがアルテミスである。


 経験も豊富だ。

 彼女の力は、間違いなくバロールの力になる。


「みゃあはもうそういうの、卒業したんだよね。ご主人のメイドっていう、表のきれいな仕事をするときに、そう決めたし」


 しかし、期待に反してアルテミスは難色を示す。

 裏の人間には、比較的よくあることだ。


 汚い仕事に嫌気がさし、堅気に戻ろうとする。

 アルテミスもその類だろう、とアシュヴィンは判断する。


「ですが、これもすべてバロール様のためですわ」

「うん。まあ、そういうときならわかんにゃいけど、少なくとも褐色おっぱいから言われて『はい』ってうなずけるほどお気楽じゃないんだよにゃあ……」


 そういう時、というのはバロールから求められた時だろう。

 気まぐれな自分がその時にどういう判断をするかは分からないが、少なくともアシュヴィンから求められて頷くことはない。


「……バロール様に逆らうおつもりですか?」


 ゾッとするほど冷たい声。

 アシュヴィンのそれは、一種の悍ましさすら感じられる。


 ヘタな返事をすれば、本当に殺されかねない。

 そんなドロドロとした殺気が含まれていた。


 しかし、アルテミスは一切怯えることなく、ひらひらと手を振った。


「違うって。もぉ……白髪と一緒で、おっぱいも頭がぱっぱらぱーだにゃあ……」


 はあ、とため息をつき、アシュヴィンを見返す。

 直視するのもためらわれるほど禍々しい雰囲気を醸し出している彼女を、アルテミスもまた冷たい氷のような目で見返す。


「あんたの命令には従わないって言っているのよ、おっぱい」

「……私のことを胸呼ばわりは止めてくれませんか?」

「だって、でかいし。むかつくにゃあ」


 一瞬で殺意入り乱れる雰囲気が霧散する。

 アルテミスはいつの間にかジト目でアシュヴィンの胸部を睨みつけていた。


 やれやれ、と首を横に振りながら、さりげなく揺らしてみせる。

 意趣返しである。


「ま、とにかく、そういうことだから。みゃあがまたそういうことをするときは、あんたの命令した時じゃない」


 アルテミスは背を向け、扉の前で立ち止まり、アシュヴィンを振り返る。


「ご主人が、みゃあを頼ったときだよ」


 最後にそう言い残し、アルテミスは今度こそ去って行った。

 残されたアシュヴィンはため息をつく。


「……本当、扱いづらい子」


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第2章終わりです。

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