第44話 大好き
貴族議会でケルファインをあざ笑ってから、バロールは一週間ほど宿に滞在していた。
これだけ大変なことがあったのだから、今すぐアポフィス領に帰って仕事なんてやってられるかという考え。
また、もうケルファインがいなくなったし自分の命は狙われないだろうという慢心。
この二つから、バロールは盛大にサボっていた。
「バロール殿! 耳掃除しテ!」
「……は?」
そんな彼のもとに、イズンが突っ込んでくる。
うきゃーっと上機嫌なのは大変可愛らしいのだが、バロールにとってはうっとうしい以外のなにものでもない。
しかも、耳掃除である。
どうしてそんな世話焼きみたいなことをしてやらなければならないのか。
自分で耳かきを突っ込んで鼓膜を破れ、とか思っていた。
「いったいどうしたんだ? 急な話だね」
「子供って一度は親にしてもらえるものなんでショ? イズン、やってもらったことがなかったかラ」
「うーん、この……」
一気に断りづらくなってしまった。
元より断るつもりしかなかったが、理由を聞いてから断れば鬼である。
外面を気にするバロールは、もはやその選択肢を選ぶことはできなくなってしまった。
「……と言っても、俺もあんまりやったことがないけど……それでもいいのか?」
「ウン!」
「(よくねえよ)」
それでも悪あがきを続けるが、イズンは純真無垢な笑みで元気に頷くものだから、もう逃げようはない。
内心で毒づくバロール。
「ふふー、ごろーン」
「機嫌がいいなあ(俺は悪くなる一方だわ)」
バロールを座らせると、イズンは上機嫌にその膝の上に頭を置いた。
ふわりと甘い匂いが漂ってくるが、バロールはまったく動揺しない。
むしろ、機嫌が悪くなっていた。
これほど容姿が整っている異性に甘えられて、不機嫌になるのはバロールくらいである。
「でも、耳かきを持って来ていないから、一回退いて……」
「ハイ」
「……準備もいいな」
耳かきを探すことで時間を潰してやろうと考えていたのに、スッとイズンから差し出されて憮然とした表情になる。
もちろん、勘のいいイズンに悟られないよう、一瞬で元のにこやかな表情に戻したが。
「(まあ、適当にやって満足するまで時間を潰せばいいや)」
丁寧にきれいにする必要はまったくない。
ある程度やっている感を出せたら、さっさと終わらせよう。
そう考えて、バロールはイズンの美しい白髪をかき分ける。
真っ白な耳が露出したので、痛みなどを与えないよう、ゆっくりと耳かきを挿入した。
「んっ……」
「…………」
耳を掃除する。
「ひっ、アッ……」
「…………」
耳を掃除する。
「んっ、んっ、アァッ!」
「……声を抑えることはできないかな?」
頭を痛そうに抱えるバロール。
何とも艶っぽい声を出して、膝の上でもだえるイズン。
変な気持ちを抱いても不思議ではないのだが、アポフィス領をうまく回しつつ養ってくれる異性にしか興味がないバロールは、ただただ疲弊するだけだ。
むしろ、この艶声を扉の外の人間に聞かれた方がマズイ。
クリーンなバロール・アポフィス像が崩れてしまう。
「んー……なんか気持ちよくて、勝手に出ちゃウ……」
「そっすか」
苦笑いである。
真っ白な頬を愛らしく染めている彼女に対しても、何ら感情を抱かない。
ドライモンスターだ。
「ふー」
「あひゃああああっ」
仕上げに耳に息を吹きかける。
今までよりも一番の反応を見せ、イズンは膝の上でビクンと身体を跳ねさせた。
ほへー……と蕩けた表情を浮かべるイズン。
醸し出される色気はすさまじい。
なお、バロールは眉一つ動かさなかった模様。
「きれいになったよ(おら、さっさとどけや)」
「ありがと、バロール殿」
ゆっくりとイズンが身体を起こす。
バロールもサッと離れて、伸びをする。
アポフィス領に戻りたくはなかったが、王都でイズンとナナシと一緒にいるのもストレスなので、嫌々帰ることを決めたのであった。
「バロール殿」
「うん? (まだ何かあるのかよ。さっさと出ていけよ)」
まだ座り込んだままのイズンを見下ろすバロール。
内心をぶちまけたいのだが、何やらシリアスな雰囲気なので押し黙る。
こういう展開、傍から見ているのは好きなのだが、巻き込まれるとなると話は変わってくる。
要するに、面倒くさい。
「イズン、役に立てタ?」
おずおずと見上げながら、イズンが問いかける。
彼女にとって、バロールの役に立つということは、まさしく生きている意味そのものだ。
忌み子として、すべての人から嫌われた。
不要な存在として朽ち果てそうになっていたところを救い上げてくれたのが、バロールだ。
そんな彼の役に立つことに、生きる意味を見出したイズン。
今回、自分は役に立てただろうか?
彼に……捨てられたりしないだろうか?
そんな不安が、どうしても頭から消えてくれない。
だから、尋ねたのだ。
自分を、捨てないでいてくれるのか?
そんなイズンの問いかけに、バロールは薄く笑った。
「バカだなぁ」
「ワ!?」
ワシワシと頭を撫でられる。
真っ白な髪がボサボサになってしまうため、イズンは少し不服そうに彼を見上げた。
そこには、不安なんて吹き飛ぶような、バロールの穏やかな笑みがあった。
「役に立つとか立たないとか、そんなことはどうでもいいんだよ。イズンが傍にいてくれる。それが大事なんだ」
「…………」
その言葉一つ一つが、イズンの心を温かいもので満たしていく。
幸福。
それだけがイズンの全身を包んでいた。
ただ傍にいてほしい。
その言葉を、どれほど欲しただろうか。
喉から手が出るほど望んだものを、言葉を、バロールは言ってくれた。
「だから、これからもずっと俺を支えてくれ」
「……ウン!」
うっすらと目じりに涙を浮かべたイズンは、とても美しい笑顔を浮かべるのであった。
「大好き、バロール殿!」
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