第43話 さようなラ、お父さン

「また勝ってしまった……」


 今度こそ安全でちゃんとした宿に招かれた俺は、椅子に深く座り込んでご満悦であった。

 一応念のために確認しておいたが、従業員はちゃんといるし客も少ないが何名かいた。


 まあ、一部屋が非常に広い高級宿なので、客が少ないのは当然だろう。

 それに、二回連続して罠というのも、貴族議会の名を貶めることになるため、しっかりとしたところを手配してくれた。


 ……いや、当たり前なんだけどね。

 そもそも、宿自体が罠かどうかを心配しないといけない時点でおかしいんだけどね。


「ご機嫌ですね、ご主人様」

「当たり前だろ」


 無表情で俺を見据えるナナシに、踏ん反り帰りながら答える。

 ヘタしたらこっちがつぶされていたかもしれない戦いに勝利したのだ。


 気分が悪くなるはずがない。

 貴族議会を出る前に、ちらりと見たケルファインの姿。


 打ちひしがれているあの男の様は、俺の心をポカポカとさせてくれた。

 俺に舐めた口をきいたからそんなことになったんだぞ。


 牢獄の中で反省しろ。


「しかし、四大貴族が俺の役に立ったな。褒めてやろう」

「素直に感謝しないご主人様、さすがです」


 感謝なんてするはずないんだよなあ。

 そいつらのせいでこんな王都にまで来てやったのだから、むしろ俺に感謝すべきだろ。


 呼ばれなかったら来なかったわ、王都なんて。

 せっかく有能な人間を見つけようと思っていたのに、その時間さえなかったし。


 本当、無駄足だったわ。


「でも、なんであいつら急に協力してきたんだ?」


 疑問なのは、レスクとシルティアの援護射撃である。

 あの会談の後、よくわからないが協力すると言ってきた。


 同じく四大貴族と敵対するほど、俺に味方する意味なんてあったのか?

 まあ、存在自体が宝である俺を殺させるわけにはいかないと思ったのかもしれないが。


 お目が高い。


「タダより怖いものはないですね」

「……え? まさか、何かこれから要求される感じなの?」


 ナナシの言葉に戦慄する。

 ふざけんな!


 ノーカンだ、ノーカン!

 そういうのは最初に言っておかないとダメだろうが!


「仕方ない。貧相だけどナナシを差し出すことで何とかするか」

「ムチムチですが?」

「お前……鏡を見ろよ……」


 怒りよりもあきれよりも、悲しくなってくる。

 その小さな体形で、何がムチムチだ。


 無知無知か。


「それにしても、四大貴族の一角を潰すとは……」

「ふっ。さすがと言っていいんだぞ」


 よくよく考えれば、俺は凄いことをしたのかもしれない。

 なかなかできることじゃないよ。


 なんか見ていたら勝手に話が進んで勝手につぶれたような気がしなくもないが、まあいい。

 俺、凄い。


「もうご主人様は地方貴族の一人として余生を過ごすことはできませんね」

「……ん?」


 不穏な言葉に耳を傾ける。

 いったいどういうことだ?


「だって、四大貴族ですよ? 様々な注目……それこそ、いいものから悪いものまで集まっていますし……」


 諭すように話してくるナナシ。

 この国を動かしていると言っても過言ではない四大貴族。


 その一角を潰したとなれば、影響は計り知れない。

 後釜に座ろうとする者もいるだろうし……潰した当人に対する注目も集まるだろう。


 …………うん。

 俺に対して、ナナシはふっと口の端だけ上げてくる。


 挑発かな?


「アポフィス領は任せてください」


 そんなバカげたことを言う彼女に、俺はニッコリと笑いかける。


「俺たち、運命共同体だもんな」

「いきなり媚びてきてもダメですよ、ご主人様」


 容赦のない切り捨てに、俺は頭を抱える。


「うおおおおおおおお! 何とかナナシに全部押し付ける方法を考えないとおおお!」

「面倒事はとにかく他人に押し付けようとするご主人様、嫌いじゃないですよ」


 だいたい、今回のことは俺何も悪くないじゃん!

 貴族議会に呼び出されたのはバカが内乱を起こしたから。


 ケルファインに目をつけられたのはイズンが関係者だったから。

 そのケルファインを潰したのは、四大貴族がなぜか協力を申し出て、かつやりすぎたから。


 ……俺悪くないやんけ!


「そういえば、イズンはどうした? よくよく考えたら、四大貴族と話させたのって、あいつじゃん。全部あいつのせいじゃん」


 怒りの矛先をイズンに向けようとすれば、肝心の彼女がいない。

 そう言えば、ここ数時間姿を見ていないような……。


「……さあ。私もイズンがどこにいるかは分かりませんが……」


 ナナシはそっぽを向く。

 それは、俺が嫌いで視界に入れたくないとかそういう感じではなく……。


 不憫なものから目を背けたくなるような、そんな雰囲気で……。

 なぜだ。


「彼女は、ご主人様のためにいつも行動していますよ。それがご主人様の望む方向に進むかどうかは置いておいて」

「置いておくな」










 ◆



「殺す……殺してやる……! ひ、ひひひひひっ!」


 フラフラと暗い夜道を危なっかしく歩く男がいる。

 場所は、汚く狭い路地。


 すぐわきには高い建物が建っており、その壁に身体をこすりつけながら歩いている。

 得体のしれない、汚い何かが服に付着することもいとわない。


 いや、気にすることができる精神状態にないということが正しいだろう。

 人は簡単に壊れる。


 それぞれ、譲れないものや決して汚されたくないものが存在する。

 ケルファインにとって、それは四大貴族としての地位と誇りである。


 長年、王国を牛耳ってきたケルファイン家。

 しかし、貴族議会においてバロール・アポフィスに暗殺者を差し向けたことについて有罪とされた彼は、貴族議会からの追放が宣告された。


 普通なら、これほど重たい処罰はありえない。

 なにせ、彼は四大貴族の一人。


 罪をもみ消すことは容易だし、立法、行政、司法に影響を及ぼすことも可能だからである。

 なのに、今回はそれができなかった。


 自分と同じほどの権力を持つ四大貴族が、ケルファインを潰しにかかったからである。


「レスクも、シルティアも、ヨルダクも、俺を裏切った派閥の連中も……バロールも」


 自分を陥れた連中の名前を呟き、頭の中にその顔を浮かび上がらせる。

 黒い炎が燃え盛り……それは、バロールのことを思い出した時に頂点になる。


「バロールバロールバロールバロールバロールバロールバロールバロールううううう!!」


 ガンガンと、壁に頭を打ち付ける。

 何度も何度も何度も何度も。


 皮膚が裂け、血が飛び散ろうが構わない。

 痛みなんて感じない。


 あるのは、憎悪。

 必ず報復し、自分と同じ……いや、それよりも下に落とし込んでやろうという盲目的なことしか考えられない。


「ダメだヨ。バロール殿のところに、行ったらダメ」


 聞こえないはずの声が聞こえた。

 おそらく、他の声が聞こえていても、ケルファインの脳は受け入れられなかっただろう。


 聞こえていても、認識ができなかった。

 だが、その声だけは……そのつたない語尾だけは、絶対に聞き逃すことはない。


 路地の正面に立ちふさがるようにして立っていたのは、イズン。

 バロールのメイドである。


「お前……お前えええええええええええええええええええ!!」


 血を吐くような叫び声。

 とてつもない憎悪が込められたそれは、聞く者を凍り付かせる。


 実際、この場には誰も近寄ろうとしなかった。

 しかし、イズンは表情を変えることなく、ただ彼を見据える。


 闇夜には、その白髪や白い肌、赤い瞳は際立っていた。


「全部全部全部全部お前のせいだ! お前が生まれたから、お前のせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ! あの時から、何かが狂ってしまったんだ!」


 忌み子であるイズンが生まれたから、こんなことになった。

 栄光あるケルファイン家を失墜させ、貴族議会から追放され……もはや、彼に残されているものは何もなかった。


 忌避され殺されるべきはずのイズンは、清潔なエプロンドレスを身に着け、健康そうな肉付きで、自分を見下ろしている。

 一方で、自分は薄汚れた衣服を身に着け、たったの数日で身体はやせ細り、イズンを見上げている。


 逆だ。逆の立場のはずだ。

 どうしてこんなことになっているのか。


「そうなノ? イズン、こういうときになんて言ったラ……」


 困ったように、イズンは眉間にしわを寄せる。

 場違いなほど、能天気なしぐさだ。


「あ! ナナシに教えてもらったんだっタ! えート……」


 ひらめいたと、目を輝かせる。

 満面の笑みを浮かべて、イズンは言った。


「ざまア!」

「死ねえええええええええ!!」


 直後、ケルファインの身体は爆発的な加速を生んで、イズンに迫る。

 握っているのは、ボロボロの剣。


 これでバロールたちに復讐をしようと、片時も離さず持っていたものである。

 イズンに近接戦闘の心得はない。


 武人であるケルファインの接近に対処することはできない。


「イズンの呪いのこと、知っていたはずなのにネ」


 そう、忌み子でなければ。

 イズンの身体から発せられる呪いが、ケルファインを蝕む。


「あ、あ、ああ……」


 みるみるとやせ細っていく。

 ただでさえ肉付きが悪くなっていた身体は、まるで彼の身体にだけ時間を加速させているかのように、朽ち果てていく。


 決して離さなかった剣も、カランと音を立てて手から滑り落ちる。

 その手をすがるようにイズンに伸ばしたが……彼女がそれを取ることはなかった。


「さようなラ、お父さン」


 物言わぬ骸となったケルファインを見下ろすその赤い瞳は、氷よりも冷たかった。


「ちゃんと地獄に堕ちてネ」



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