第38話 ふっ、解雇だ



 宿に連れて行かれたイズンは、今までの人生で味わったことのない暖かな対応を受けた。

 まず、温かい風呂である。


 そもそも、風呂という贅沢な施設を備え付けている宿は非常に少なく、バロールが只者ではないことを表していた。

 温かいお湯で、汚れた身体を綺麗に洗われた。


 四大貴族であるケルファインの屋敷にももちろん風呂はあったが、忌み子であるイズンが使うことは認められていなかったので、人生初めての入浴である。

 補助として、バロールのメイドであるナナシが一緒に入ってくれた。


 彼女もまた、忌み子であることを気にした様子は見せなかった。

 身体のべたつきがとれ、温かいお湯に浸かる幸福感。


 思わず寝入ってしまいそうになるほどだ。

 その後、柔らかく清潔なタオルで身体を拭かれる。


 身体をこすって痛くないタオルなんて、初めて使った。

 いい匂いもするものだから、ほわほわと夢心地である。


「さあ、出ましょう。ご主人様がお待ちです」

「あ、あノ……イズンが怖くないノ?」


 平然と近くにいるナナシに、イズンは恐る恐る尋ねる。

 ここで、『怖い』と言われたらショックを受けるくせに、どうしても聞かないと気が済まなかった。


 しかし、ナナシはイズンの予想に反して、平然と首を横に振る。


「いえ。私にとって怖いのは、アポフィス領の財産を手に入れられなくなることですから」

「エエ……?」


 使用人が主人の財産目当てを公言する異常事態に、イズンは引く。

 なんだかこいつもやばそうだと、イズンはこっそりとナナシの評価を定めていた。


「ほら、行きますよ」

「アッ、待っテ!」


 ナナシにぐいぐいと手を引っ張られるイズン。

 つんのめりそうになりながらも、必死に足を動かして……ふと気づく。


 こうして手をとってもらうことなんて、初めての経験だと。

 浴室から出た二人を待っていたのは、食事だ。


 空腹を誘う匂いに、イズンは思わずごくりとのどを鳴らす。

 ゴミ箱をあさり、腐りかけの残飯を貪ることしかできなかった彼女にとって、しっかりと料理された食事なんていつぶりのことだろうか?


 まさか、これは自分が食べてもいいのか?

 恐る恐る、本当にゆっくりと窺うようにバロールの顔を見上げると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。


「ああ、遠慮しなくていい。これは全部君のために用意してもらったものだからね(ちなみに、食べたら俺の言うことを全部聞かなければならないものとする)」

「い、いただきまスッ!」


 バロールが内心でとんでもない悪徳契約を持ちかけてきているとは一切知らないイズンは、無我夢中で食事をとる。

 それはすぐになくなってしまったが、イズンにとてつもなく大きな幸福感を与えたのであった。


「おいしかったかい?」

「うん、とってモ!」


 満面の笑みを浮かべるイズンに、バロールも満面の笑み。

 逃がすつもりは、もはや一切なかった。


 ナナシみたいに腹黒でもなく、アシュヴィンのように反抗的ではない。

 理想の肉盾、ゲットである。


「でも、どうしてイズンにこんな優しくしてくれるノ?」

「(それはね、肉盾になってもらうためだよ)」


 もちろん、バロールは堂々とそんなことを言うはずもなく、口をペラペラと動かし始める。


「それは、もちろん俺が君にしてほしいことがあるからだよ」

「……それっテ?」


 アポフィス領をうまく回せて養ってくれる女を捕まえるまでの肉盾である。


「俺の使用人なってほしいんだ」

「使用人?」


 目を丸くするイズン。

 どんな非道なことを言われるのかと、しかしこんな優しくしてくれた人なら構わないかもしれないと。


 そう思っていたのだが、想像以上に違う答えだった。


「父に仕える使用人は多いんだけども、俺個人の使用人はここにいるナナシともう一人だけなんだ。だから、君の力を俺に貸してほしい」


 ニッコリと笑うバロール。

 力を貸してほしいというのは本当だし、嘘は言っていない。


 すべてを言っていないだけである。


「イズンの力……? 本当に、イズンでいいノ?」

「君が必要なんだ(なんか従順そうだし)」


 その強い言葉に、イズンは心臓を高鳴らせる。


「……イズンが、必要」


 今まで不要とされてきて、両親にすら捨てられたイズン。

 そんな彼女だからこそ、その必要だという強い言葉は、彼女の心臓を強く揺らしたのであった。


 そもそも、自分一人では生きていくことすらできないのだ。

 ならば、答えは決まっている。


「わかっタ。イズン、あなたのために頑張ル!」

「ああ、よろしく頼む(その意気だ。俺のために頑張って、死んでくれ)」










 ◆



「ほほう。白髪赤目は忌み子。忌み子は周りに得体の知れない呪いを振りまく、と」

「ふっ、解雇だ」

「自分で自分の首を絞めましたね、ご主人様」


 ナナシの報告に、バロールは不敵な笑みを浮かべながら解雇宣言である。

 なお、それは不可能だ。


 すでに領地内で弟よりも領民に認めてもらうため、外面をよくしていたバロール。

 自分の評価を上げるため、忌み子も受け入れたよと自分でこっそりと喧伝していた。


 領民たちは忌み子を受け入れるほどの深い度量と大きな器という評価をしていたため、それを今更捨て去ることなど、バロールにはできなかった。

 仮にできたとしても、領民たちからの評価は下がってしまうだろう。


 ナナシの言う通り、自分で自分の首を全力で絞めていたのであった。


「嫌だああああ! ナナシに呪いを全部ぶつけてくれえ!」

「なんてこと言ってくれちゃっているんですか、このクソご主人様」




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