第37話 肉盾、ゲットだぜぇ!
バロールがそこを通りかかったのは偶然だし、イズンに傘を差しだしたのも必然ではない。
そもそも、イズンが隠れ潜んでいた路地裏はアポフィス領ではない。
ケルファインの息のかかった貴族が治める領地であり、バロールは父親の外交に連れ添ってやってきた。
もちろん、ちゃんとした仕事の場に出続ける気なんてまったくないため、雨が降っているにもかかわらず、息抜きと称して逃げ出し……散歩しているのである。
嫌なことがあると散歩に逃げがちなのは、この時にすでに片りんはあった。
「あー……クソだるいわ。仕事なら一人で逝けよ、クソ親父」
「逝けのニュアンスがおかしくありませんか?」
雨の音が会話をかき消してくれることを幸いに、バロールの毒吐きが止まらない。
父親にすら向けられている。
自分以外はだいたい石ころと同じだと思っているが所以である。
そんな彼の傍に付き従っているのはナナシである。
この時から、すでに目はブラックホール並にどす黒い。
二人は相合傘をしている。
もちろん、甘酸っぱい感情が理由ではなく、単にナナシが傘を持つのが面倒くさいという理由である。
背はバロールの方が高いので、必然的に彼が傘を持つ。
なにせ、ナナシに持たせたらビショビショになる。
「しかも、雨って。こういう時は部屋に引きこもって農民どもがあくせく働くのを想像してニヤニヤするのが有意義な過ごし方なのに……」
「有意義の意味、ご存じですかご主人様?」
次期領主とは思えないほど悪辣な趣味を持っているバロールに、ナナシも引き気味である。
そんな彼らは、さっさと堅苦しい仕事終わっていないかな、と時間を潰すためにゆっくりと街を練り歩いていると……。
「ん?」
チラリとバロールが路地裏に目をやった。
偶然……ではある。
たまたま視線をやっただけで、今までにも目をやらずに通り過ぎた路地裏はたくさんある。
だから、彼がその偶然を行ったことは、イズンにとってはまさしく救いだった。
「孤児か?」
バロールの目に映るのは、ぼろ布を纏ってうずくまる人。
背丈からしても、大人ではないだろう。
男か女かは分からないが……バロールの頭は、急速に回転していた。
こいつを、使用人として雇えないかと。
使用人……バロールにとって、それは肉盾であり面倒くさいことの押し付け対象である。
すなわち、自分に従順でよく言うことを聞かなければならない。
以前、アシュヴィンという異民族を拾ったのだが、どうにも自分に反抗的である。
従順な肉盾が欲しいのに、反抗的な奴なんていらないのである。
そのため、確実に自分に従う手駒として、その路地裏の存在を見出した。
そもそも、バロールにとって出自などは関係ない。
自分の役に立つなら孤児でもいいし、役に立たないなら王族でもクソである。
だから、彼は何の躊躇もなく、雨に濡れる彼女に傘を差しだしたのであった。
「……大丈夫か?」
「ちょっ。私が濡れる濡れる」
相合傘をしていたナナシの悲鳴は無視である。
◆
「エ……?」
イズンは、最初まったく状況を理解することができなかった。
大丈夫か?
その言葉は、まさか自分にかけているのか?
誰からも嫌われ、忌避される自分に向かって……。
「どうしテ……」
「このままだと、君が風邪をひいてしまうだろ」
やはり、優しい言葉。
生まれてから気遣われる言葉なんて一度もかけてもらったことがなかった。
だというのに、今日初めて会う人から心配されている。
信じられないほどの衝撃と、気にしてもらえる嬉しさで頬が緩む。
しかし、ふと気づく。
今の自分は、ぼろ布で頭から足先まで隠している状態だと。
すなわち、バロール――――イズンはもちろん名前を知らないが――――は彼女が忌み子であると気付いていないのである。
気づかれたら、この優しさもなくなるだろう。
恐怖におびえ、逃げられるに違いない。
それだけならまだしも、見世物小屋にいた時のように笑われれば……。
イズンは平常ではいられなくなるだろう。
「い、イズンは……大丈夫だかラ」
「大丈夫じゃないぞ。ほら」
その恐怖から離れようとするが、バロールはさらにイズンの身体を引き寄せようとする。
「い、いいかラ……アッ!?」
力づくで逃げようとするため、バロールの手にぼろ布が引っかかり、脱げてしまった。
イズンの白髪、赤い目、真っ白な肌が露わになる。
それは、忌み子の明らかな特徴だった。
「君、その見た目……」
「アア……」
目を丸くするバロールに、イズンは愕然とする。
嫌われる、笑われる。
自分に一度でも優しくしてくれた人に、そうされることは恐ろしくてたまらない。
赤い目に自然と涙が浮かんでくる。
ああ、この人も自分を受け入れてくれないのか。
そう思って、イズンはバロールを見上げて……薄く温かい笑みを浮かべた彼がいた。
「やっと大人しくなったか。ほら、おいで」
スッと優しく立ち上がらせてもらえる。
その笑顔も、自分を見ていた嘲りの含んだものではない。
純粋な笑顔を、イズンは初めて向けられた。
「どうして、イズンのことを見て笑わないノ……?」
自分が忌み子であると分かったのに、どうしてそんな笑顔を向けられるのか。
生まれてから両親を含めすべての人から嫌われてきたイズンにとって、まったく理解ができなかった。
そんな彼女に、バロールは人懐こい笑みを浮かべる。
「笑う? そりゃ、楽しいことがあったら笑うが、君の可愛らしい顔を見て笑うことなんてないよ」
「ッ!?」
そんなことを言われたのは生まれて初めてのイズンは、嬉しさよりも強烈な衝撃を受けていた。
しかし、バロールが本当の意味で笑うことがないのは当然だ。
彼が本当に笑うことができるのは、誰かに養ってもらった時だけである。
「ほら、このままだと風邪をひく。俺たちの泊っている宿に来なさい」
「う、ウン……」
イズンはバロールに連れられ、歩き出した。
すでに、逃げるという選択肢はなくなっていた。
「(よっしゃあ! アシュヴィンに代わる肉盾、ゲットだぜぇ!)」
『さすがクズです、ご主人様』
バロールは、こうして見事に誘拐に成功したのであった。
ちなみに、この男は忌み子なんて存在を全く知らない。
知っていたら連れて行かなかったと、のちに激しく後悔する。
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