第34話 外の世界



「あ、お父さン!」


 ケルファインの邸宅の離れ。

 必要最小限の人員と機会でしか寄り付かない場所には、イズンがたった一人で住んでいた。


 そんな彼女の下に、父であるケルファインがやってきていた。

 彼も実の親だが、めったに寄り付くことはない。


 そんな父親がやってきたことに、イズンは喜色満面の笑みで迎え入れる。

 可愛らしい子供のしぐさだが、ケルファインは表情を一切変えることはなかった。


 また、無言で睨みつけてくる彼に対し、イズンがひたすらに話しかける。

 その時間が始まると、イズン自身も思っていたのだが……。


「……出ろ」


 父の口から、言葉が発せられた。

 それも、イズンに対して。


 そのことにぎょっと目を見開く。

 さらに、普段は固く閉ざされている扉があけられるではないか。


 イズンは恐る恐るケルファインに尋ねる。


「イズン、出てもいいノ?」


 その問いかけに、ケルファインが答えることはなかった。

 扉を開けると、さっさと背を向けて歩き出したからである。


 イズンは少し躊躇しつつも、生まれてからずっと一人で過ごしてきた部屋を、初めて飛び出した。

 寂しかったが、自分にとっては安全で居心地のよかった部屋。


 そこを最後に目に焼き付け、イズンは父の背を追った。


「ワー……!」


 初めて出る外に、イズンは目を輝かせる。

 正確に言うと、まだ外ではなくケルファインの敷地内である。


 だが、庭を散歩することすら許されなかったイズンにとっては、それだけでも目新しく新鮮だった。


「あのね、あのネ! イズン、お父さんと話したいことがいっぱいあるノ!」


 きらきらと目を輝かせながら、イズンは父の背を追いかける。


「イズン、お父さんと話してもいイ?」

「……いや、その必要はない。今まで、ご苦労だったな」


 イズンは思わず立ち止まる。

 父から、言葉が返ってきた?


 今まで一度たりともなく……そして、イズンが心の底から求めていたもの。


「う、ううン! 全然大丈夫だヨ!」


 ねぎらいの言葉に、思わず涙が出そうになる。

 生まれた時から幽閉し、言葉すらかけてもらえなかった仕打ちは、まさしく虐待である。


 だが、それでも、子供は親の愛情を欲するもの。

 イズンは今までの生活なんて吹き飛ぶほどの喜びを感じていた。


「だが、お前も知っているかもしれないが、新しい子供が生まれた。つまり、お前がここに閉じ込めておく必要もなくなったということだ」

「イズン、外に出てもいいノ!?」


 さらに目を輝かせるイズン。

 一時的な外出ではなく、ずっと外にいることが許される。


 他人からしてみれば当たり前のことでも、イズンからするとそれはとてつもなく魅力的な提案だった。


「……ああ。だが、俺たちと一緒には住めない。それは分かるな?」

「エ……」


 だが、イズンの表情が凍り付く。

 すなわち、それはもう両親と会えないということで……。


 イズンはうつむくが……。


「イズン」

「……うん、わかったヨ。お父さんとお母さんのために何かできるんだったら、イズン頑張ル」


 顔を上げれば、イズンは笑顔を浮かべていた。

 それは、悲しみを抑え込んだ、子供が浮かべるにはあまりにも痛々しい表情。


「それでいい」


 それを見て、ケルファインはただ無感情に頷くだけだった。










 ◆



「おお、これは……」


 目を輝かせるのは、ケルファインに連れてこられた薄暗い路地裏の先にあった、それなりの大きさの屋敷の主である。

 ギラギラと輝く目は、イズンが今まで向けられたことのないもの。


 確かに価値があると見てくる目。

 それは、本当なら嬉しさを感じても不思議ではないのだが、イズンは恐怖を覚えていた。


 なぜなら、その目は明らかにイズンの見た目だけに価値を感じているものだったからだ。


「この年齢まで生きている忌み子を見るのは、生まれて初めてです。素晴らしい……」

「素晴らしい? とんだ皮肉もあったものだな」

「これは申し訳ない。しかし、決してケルファイン様の気分を害すつもりはなかったことをご理解ください。感動しているのですよ。成長した忌み子なんて、数十年このような商売をしていても、初見ですから」


 男は上機嫌に、ケルファインは不機嫌に会話をしている。

 イズンは、その会話をただ聞いているしかできない。


「あ、あノ……」

「おお、これは申し訳ない。お嬢ちゃんは、今日からここで暮らすことになる。よろしくね」


 にこやかに笑いかけてくる男。

 しかし、やはりその目はどこか恐ろしく、イズンを人間としてではなく、物のように映していた。


「では、後は頼んだ」

「ええ」

「あ、お父さン……」


 クルリと背を向けて、ケルファインは歩き出す。

 イズンは思わず手を伸ばすが、ケルファインが振り返ることはなかった。


「さあ、行きましょう」


 男に腕を引かれ、イズンは深い闇に落ちていくのであった。










 ◆



 ケルファインがイズンを置いていった場所は、奴隷商だった。

 自ら手を下すことはできない。


 新生児の状態でも、自分に敵意を向けた者を枯らして殺してみせたのだから。

 恐ろしくて、手を上げようだなんて考えにも至らない。


 だから、ケルファインは奴隷として売り飛ばした。

 忌み子は、その特異な見た目からすぐに判別できるため、生まれた瞬間に呪いを振りまく前に殺されてしまうことがほとんどである。


 ケルファインは噂を立てられないためにイズンを幽閉していたが、皮肉にも成長した忌み子を生み出すことになった。

 珍しく、また幻想的な美しさのある忌み子。


 透き通るような白い髪と肌に、血のような赤い瞳。

 地域によっては神とあがめられる容姿なのだから、その美しさを持つイズンは一瞬ののちに買われた。


 しかし、忌み子を妾にしようとする金持ちはおらず。

 彼女が買い取られた先は、見世物小屋だった。


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