第16話 交渉

 


 バロールがスヤスヤと昼寝に入り、なんとなくご主人様が気持ちよさそうにしているのが腹立ったナナシに邪魔されていたころ。

 屋敷の門の前に、しずしずとやってきたのはアシュヴィンであった。


 その歩く姿はとても洗練されており、彼女……ひいては、彼女の仕える主も高く評価されることだろう。

 それは、バロールを糾弾しに来た男でも、思わず感嘆のため息を漏らしてしまうほどだった。


「わたくしはバロール様にお仕えするアシュヴィンと申しますわ。あなたは?」

「私はマルセル様の使者として参った。バロール・アポフィスの元へ連れていただきたい」


 バロールと呼び捨てにしたところで、アシュヴィンの眉がほんの少し、ピクリと上がる。

 しかし、すぐにいつも通りの笑みを浮かべた彼女。


 使者の男が気づくはずもなかった。


「では、目的をお話しくださいまし」

「一介のメイドに話すようなことはない。バロールの元へ連れていきたまえ」

「バロール様は、お忙しい方ですので」

「ちっ。主が主なら、メイドもメイドか」


 忌々しそうに舌打ちをする使者。

 どうやら、アポフィス領では珍しい反バロールの男らしい。


 まあ、マルセルの身内となれば、それも当然だろう。

 何せ、先代の領主からアポフィス領を授けられたのがバロールで、一切権利を与えられなかったのがマルセルなのだから。


 嫌味を言っても笑みを浮かべたまま動こうとしないアシュヴィンに、使者が折れた。


「いいだろう。マルセル様の護衛を務めている者たちが、消息を絶った」

「まあ」


 目を丸くして、驚く様子を見せるアシュヴィン。

 真実を知っている者からするとこれほどしらじらしい反応もないのだが、彼女の演技にすっかり騙されている使者の男は、さらに言葉を続ける。


「その者たちが最後に目撃されたのが、バロールと会話をしていた時である。何か関係していることは、明白だ。何か揉めていたという証言もある」


 彼らが子供に難癖をつけていた時のことだろう。

 格好よく優しいバロールが、身を挺して庇ったのだ。


 アシュヴィンは少しいい気分になり、鼻息を荒くする。


「つまり、バロール様がその護衛の方々を亡き者にしたとおっしゃるのですか?」

「少なくとも、マルセル様はそう思っていらっしゃるということだ」

「あらまあ……」


 まったくの見当違いに、思わず笑ってしまいそうになる。

 あの優しいバロールが、愚弟とはいえマルセルの身内に手を出そうとするはずがないのに。


 口元を手で隠し、驚いているように詐称する。

 なお、バロールは護衛どころかマルセルすらもさっさと消えてくれないかと真剣に星に願う男である。


「マルセル様の手の者を手にかけたとなれば、大きな衝突に発展しかねない。そして、それはマルセル様も望んでいらっしゃらない。マルセル様は、話し合いで解決したいということだ」

「なるほど。マルセル様は、どのようなことをお望みで、何をすれば許してくださるのでしょうか?」


 あの悪辣な男が話し合いだなんて。

 アシュヴィンはまったく信用せず、対価を尋ねる。


 すると、使者の男は待ってましたとばかりに笑みを浮かべた。


「領主権の一部譲渡である」

「まあまあ……」


 アシュヴィンだからこそ、この程度の驚きで済んだ。

 もしここにバロールがいれば、内心でブチ切れまくるし、ナナシがいれば白目をむくだろう。


 それほど、マルセルの要求は無謀で見当違いで……愚かだった。

 なにせ、領主権というのは、貴族が領主たる証明であり、領主にしか許されない絶対の権利。


 いわば、その領域に限れば、領主は王そのものなのである。

 税の徴収から裁判までも支配する。


 それを、一部とはいえ要求するのは、あまりにも不敬である。


「マルセル様は慈悲深いお方だ。領主権のすべてではなく、一部でいいとおっしゃっている。バロールも譲歩すべきだろう」


 領主権の一部を要求することが、彼らの中では譲歩になっているらしい。

 アシュヴィンは思わずため息をつきたくなるのを、なんとか耐える。


「しかし、領主権というのは、とてつもなく重要なものですわ。それを譲渡せよというのは……」

「バロールは、それほどのことをしたのだ! ならば、報いを受け、賠償をするのも当然!」


 メイドなんて弱い存在が目の前にいるものだから、使者の男は強く出る。

 声を大きく張り上げ、恫喝する。


「マルセル様は譲歩された。バロールも譲歩しなければ、つり合いは取れないだろう!? まさか……戦争を望むか?」


 その言葉を言い放った時点で、使者の男は勝ったと思っていた。

 戦争。


 それは、まさしく切り札ともいえる言葉。

 この言葉を聞けば、バロール側は引き下がらざるを得ないと考えていた。


 なにせ、この戦争に、バロール側のメリットがまったくないのだから。

 たとえば、侵略戦争をして勝利すれば、相手の領地や財物を手に入れられる。


 だが、すでに領地と財物は自分のものであり、戦争が起きれば防衛戦争。

 しかも、相手は領地などを持ち合わせていないので、賠償を求めることだってできない。


 つまり、この戦争にバロールが参戦しても、得られるものはなく、もし負ければすべてを失うというとんでもないものである。

 だから、この言葉を出せば、バロールは譲歩しなければならない。


 そのはずなのに……。


「では、お答えさせていただきますわ」


 アシュヴィンはニッコリ笑った。


「――――――寝言は寝て言え、バーカ」

「なっ!?」


 愕然とする。

 メイドが、こんなにも乱暴な物言いをするのか?


 つい先ほどまで、礼儀正しい言動をしていたからこそ、その衝撃は何倍にも増していた。

 そして、驚きから復帰した次に心を占めたのは、使用人風情に舐めた態度をとられたことによる怒りだった。


「わ、私はマルセル様の使者だぞ!? その私にそのような暴言……! 一介のメイド風情が、調子に乗りおって……!」


 他者から……しかも、メイドから明らかに下に見られて、カッと頭に血が上る。


「そもそも、今は実権を一切持たないのがマルセルでしょう? ただ、先代領主の血が流れているだけの男が、至高の領主権を求めるなんて、片腹痛いですわ。領民は誰も納得しないでしょう」

「き、貴様! たかがメイドの分際で、マルセル様を侮辱するか!?」

「侮辱も何も……。当たり前のことを言っただけですわ」


 薄い笑みは、これほど冷たいものはないと思わせられる。


「そもそも、貴様では話にならん! バロールを出せ!!」

「このようなくだらない話を、バロール様の御耳に入れるはずがないでしょう。それと、もう一つ申し上げたいことがありましたの」


 ニッコリと笑うアシュヴィン。

 スッと男の前に近づく。


 ふわりと感じられる甘い匂いに、思わずドキリと心臓を跳ねさせるが……。


「がっ!?」


 ふわりと男の身体が浮く。

 それは、彼の胸に突き刺さる細い槍のせいだ。


 心臓を的確に貫き、一瞬で絶命させる。

 アシュヴィンはズルリと槍を抜き取ると、地面に崩れ落ちて血を広げる男の死体を、冷たく見下ろした。


「バロール様を呼び捨てにするなよ」


 さて、どうしようか。

 この死体の使い道は。


 首を切り取り、それをマルセルに送り付けようか?

 宣戦布告である。


 いや、そもそもバロールの屋敷の前に、こんな汚い死体を放置することもできない。

 バロールの目を汚すことも避けたいので、さっさと処分しなければ……。


「あらー。結構激しい宣戦布告だにゃあ」


 ひょこひょこと現れたのは、同じメイドのアルテミスである。

 凄惨な死体を見ても、平然と笑っている。


 まあ、彼女の方がこういったものはアシュヴィンよりも見てきているのだから、それも当然だ。


「アルテミス、準備はよろしいですわね?」

「多分。みゃあはあんまりやってないし。イズンがやっていたにゃ」


 ヘラヘラと笑うアルテミス。

 押し付けてきたということもできるのだが、彼女よりイズンに任せておいた方が安心なので、アシュヴィンも何も言わない。


 アルテミスは、色々と違う方面で活躍してもらうことになるのだから。


「なら、結構。バロール様には、このアポフィス領を完全に手中に収めてもらいましょう」


 アシュヴィンは信じる。

 自分のやっていることが、バロールのためになるということを。


「戦争ですわ」



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