第14話 ここまで懐かせるのにどれほど労力をかけたと思ってんだ! 殺すぞ!



「久しぶりだねぇ! 急に僕の前からいなくなったから、心配していたんだよ」

「…………っ」


 とてつもなく嬉しそうな笑みを浮かべて近づいてくる。

 領主の息子に、ここまで言わせることができるのは、この領内で生きていくならいいことだろう。


 目をかけてもらえるというのは、悪いことではない。

 その目をかける者が、度し難い邪悪でなければ、だが。


 アシュヴィンはマルセルを凝視する。

 目をそらすことなんて、できるはずがない。


 彼女の生きる意味こそが、この男を殺すことだからだ。

 だが、その対象がこうして無防備に、のんきに近づいてくると、身体が硬直して動かない。


 どうしてかは分からない。

 絶好の機会に、身体が高ぶりすぎて動けないのか。


 それとも……この男が怖くて、身体が動かないのか。


「僕は心配していたのに……まさか、この男と一緒に歩いているなんてねぇ」


 ギロリとマルセルはバロールを睨みつける。

 アシュヴィンに向けていた笑みなんて、かけらもない。


 ただただ、そこにあるのは敵意と憎悪。

 家族に向けるには、あまりにも苛烈なそれだった。


「ちゃんと教えてあげただろう? この化物には、気をつけなさいって」

「……この方は、化け物なんかじゃありませんわ」


 きっと睨みつける。

 兄弟を、どうしてこんなにも悪く言うことができるのか。


 アシュヴィンには、到底理解できなかった。


「化け物さ! 君が知らないだけで、この男は紛れもなく化物だ」

「(見た目良し、中身良しの俺を捕まえて、化け物? 目玉腐っているのか?)」


 バロールさん、内心でブチ切れる。

 自分に対する自信がとてつもない。


「直接会いたくなかったよ、バロール。いい気分だったのに、台無しだ」

「それは申し訳ない。俺は君と会えてうれしいよ、マルセル」


 一方的に嫌う発言をするマルセルと、笑みを浮かべながら融和的なバロール。

 傍から見ていて、どちらの味方になりたくなるかといえば、当然後者である。


 ここは街中。

 領民たちの目があることをしっかりと認識しているバロールの演技により、評価はさらに上がっている。


 一方で、マルセルの評価は下降続きである。

 そういうところが甘い。


「反吐が出る。止めてくれないかなぁ」

「(きええええええええええええええ!!)」


 とはいえ、言われっぱなしをまったく怒っていないというわけではない。

 発狂を常にしている状態のバロール。


 表に一切出さないのは、さすがと言えた。


「さあ、行こうか」

「……は?」


 スッと腕をとられる。

 ぞわっと背筋が凍り付くが、あまりにも理解のできないことが起きたので、とっさに動くことができない。


 それを都合よく解釈したのか、マルセルは笑みを浮かべている。


「何をポカンとしているの? 君を拾ってあげたのは、誰だったかい? まさか、その恩を忘れたとは言わさないよ」

「お、恩!? わたくしはあなたに憎悪を抱きこそすれど、恩なんて微塵も残っていませんわ!」


 ギョッと目を見開くアシュヴィン。

 この男は、いったい何を言っているのだろうか?


 どうしてそのような言葉を吐くことができるのか、まったくもって理解できなかった。

 同じ人間と思えない。


 異民族という違いがあれど、それでもだ。

 弟を遊び目的で虐殺し、その姉に恩を語って聞かせるなんて、常人ではできることではない。


 だが、この男は……マルセルは、してしまうのである。


「はぁ……。異民族って、恩知らずしかいないの? あの汚い姉弟を拾って、人間に押し上げてあげたっていうのにさあ。まったく……信じられないよ」


 思い通りにアシュヴィンが動かないことに、露骨にイライラしている様子を見せるマルセル。

 内心で怒鳴りまくり、地べたを転がりまくっているバロールは、一切表に出していない。


 格差である。


「さあ、来い」

「きゃっ!?」


 強く腕を引っ張られる。

 たたらを踏んでしまう。


「もっと僕を楽しませてくれ。あの時は、とっても楽しかったんだ。あれほどのことを、もう一度経験したい。そのためには、君を痛めつけ、傷つけないといけないんだぁ!」

「ひっ……!」


 満面の笑みを浮かべ、信じられないほどの悍ましい欲望を見せつけてくるマルセル。

 アシュヴィンは復讐の怒りよりも、恐怖が上回る。


 理解できないものは恐ろしい。

 アシュヴィンは、このマルセルという男がまったくもって理解できなかった。


 ただ身をすくませている彼女は、復讐の鬼ではなく、年相応の少女にしか見えなかった。


「さあ、行こう。こんな化物ではなく、僕と一緒に……。ああ、楽しくなってきたよぉ」

「い、嫌……」


 よだれを垂らし、恍惚とした笑みを浮かべるマルセル。

 他者を虐げることに、強烈な快感を覚える男なのだ。


 絶望や恐怖の表情を浮かべてくれるのであれば、これ以上のことはない。

 また自分の部屋に連れ込んで、徹底的にいたぶってやろう。


 ああ、どれほど気持ちがいいだろうか。

 マルセルは子供である。


 その歪んだ欲望を制御する方法を持たない。


「マルセル」


 だから、その欲望を制御するには、外部の力が必要なのだ。

 低い声がマルセルに届く。


 その声を発したのは、バロールだ。


「んあ? 気分がいいのに邪魔しないでよ。お父様に言えば、お前なんていつでも消せるんだ。なにせ、お前は――――――」


 嘲りを含んだその表情から、マルセルがロクなことを言わないのは明白だった。

 そして、それは自分にとってとてつもなく不都合なことだとバロールは判断。


 その判断まで、かかった時間は0.03秒。

 そして、次の行動に至ったのも、一瞬のことだった。


「ぶげええっ!?」


 オークの悲鳴のような、何とも情けない声が響いた。

 それは、マルセルの口から飛び出したもの。


 その頬に、バロールの硬い拳がめり込んだからだ。

 バロールが、マルセルをぶんなぐったのである。


 無様に地面を転がる彼を見下ろし、冷たく言い放つ。


「こいつは俺のものだ。勝手に手を出してもらっちゃ困るな(ここまで懐かせるのにどれほど労力をかけたと思ってんだ! 殺すぞ!)」

「ば、バロール様……」


 内心の聞こえていないアシュヴィンは、感動の声を漏らす。

 初対面では、無視をした。


 その後は、自分の復讐のために彼を利用した。

 だというのに、バロールは自分のことを思って、マルセルを殴り飛ばしてくれた。


 いくら領主の息子同士だからと言って、本来このようなことはできる限り避けたいはずだ。

 問題になるのは目に見えている。


 聡明(だとアシュヴィンが思っている)なバロールも、当然理解しているだろう。

 それでも、それでもである。


「お、おみゃえ! こ、こにょ僕を殴ったな!? こんにゃことをして、タダで済むと……!」

「済まないかもしれないな」


 鼻血を流しながら、マルセルはバロールを睨みつける。

 その目に怯えと戸惑いがなければ、少しは格好がついただろう。


 しかし、そんな格好は一切ないので、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 だが、バロールがあっさりと認めたことで、にやりと笑う。


「だ、だったら、土下座しろよ……!」


 汗を流しながら、しかしいまだに自分が上だと認識している笑顔だった。


「土下座して、僕に謝れよ! 化け物ぉ!」

「この……っ!」


 鼻血をそのままにしながら、バロールを責め立てるマルセル。

 アシュヴィンはそのことに我慢ができず、何も言わないバロールの代わりに言い返そうとして……。


「ただでは済まないかもしれないが……」


 スッとバロールが前に立つ。

 マルセルを見下ろし、冷たく見下ろす。


「彼女を貶めたこと(何よりこの俺をバカにしたこと)は、絶対に許さねえ!!」

「ぷぎゃぁっ!?」


 再び強烈な拳が、マルセルの顔にめり込んだ。

 悲鳴を上げた彼は、今度こそ地面を倒れて動かなくなる。


 涙を流し、情けない姿をさらしている。

 アシュヴィンのためが1割未満、自分のために9割以上という比率で起こったバロールは、心底気持ちよさそうに顔を緩めた。


 だが、話した言葉はアシュヴィンのためというだけなので……。


「バロール様……」


 熱いまなざしを送るアシュヴィンが完成するのであった。

 彼女が盲目的にバロールを信仰する所以となった事件だった。



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