第9話 領主の息子

 


 アシュヴィンは、まだ子供である。

 少なくとも、大人ではない。


 異民族……いや、両親たちが行っていた略奪を手伝っていなかったことからも、それが分かる。

 だから、本来であれば彼女が捕まることはありえないことだった。


 それは、少しの気まぐれが原因である。

 両親が、ちょっと娘と息子にいい所を見せたかった。


 それが略奪だというのだから何とも言えないのだが、異民族にとってはそれが普通なのである。

 だから、本来では決して出ない略奪の場に、アシュヴィンは弟と共に出てきて……そして、捕まった。


 異民族の動きが、ばれていたのである。

 その結果、実行していた両親諸共、アシュヴィンと弟も捕らえられたのである。


 案の定、捕まって待っていたのは地獄のような日々だった。

 異民族に恨みを持つ者は、大勢いる。


 彼らを商品として扱うはずの奴隷商ですらも、彼らを苛烈に虐げるほどだった。

 そもそも、異民族に見た目の良さなんて求めていない。


 ただ、復讐のはけ口としての活用方法しか見出されていないのだから、当然だ。

 だから、多少傷を負っていても、それほど売れにくくなるということはない。


 むしろ、傷ついていることに好意的に見て、買っていく客がいるほどだ。

 その暴力は、まだ子供であるアシュヴィンや彼女の弟にも向けられる。


「(わたくしたちは、こんなにも疎まれて、嫌われて、恨まれていたんですわね)」


 アシュヴィンにとって、それは衝撃的だった。

 子供が、殺しても構わないと思っているほどの強烈な憎悪を向けられたのだから、その衝撃は計り知れない。


 アシュヴィンがそれでもまともでいられたのは、守らなければならない弟がいたからだ。

 もし、彼がいなければ、彼女はとっくに憎悪に押しつぶされていただろう。


 アシュヴィンのこの話し方は、エセお嬢様言葉だ。

 少しでも気に入ってもらおうと、暴力を受ける回数を減らそうという、彼女なりの努力である。


 もちろん、無駄だったが、子供なりに必死に考えての行動である。

 そして、そんな子供の姿を見て、親が何も思わないはずがなかった。


「走ってくださいまし! わたくしについてきて!」


 アシュヴィンは弟と共に逃げ出した。

 それは、両親が暴れ、注意を引き付けたからこそ、成功した逃走であった。


 自分たちの見栄のために捕まり、口調までも変えさせてしまった負い目があった。

 口調というのは、非常に強いアイデンティティである。


 それを変えるというのは、何か強烈な出来事がある。

 アシュヴィンはまさに捕まったことがそれにあたる。


 そんな両親の、最期にできる子供たちへの手向けが、奴隷商から逃がしてやることだった。

 もちろん、彼らはタダでは済まない。


 おそらく、あの後すぐに殺されたのだろうと、今に至っているアシュヴィンは思う。


「大丈夫ですわ。わたくしが、必ず守りますから」


 震える弟を抱きしめ、アシュヴィンはそう言った。

 だが、それがどれほど難しいことなのか、幼い彼女でも今までの奴隷商での仕打ちを受けて、しっかりと理解していた。


 異民族を、同じ人間だとみなさない国で、頼るところを一切持たないで、子供が二人だけで生きていく。

 不可能だ。


 情報を聞くだけで、諦めるだろう。

 アシュヴィンも、たった一人だとしたら、そうそうに諦めていただろう。


 路地裏で衰弱死していたか、また別の奴隷商に拾われていたか……私刑で殺されていたか。

 だが、彼女には弟がいた。


 自分よりも弱く、庇護されなければならない弟が。

 だから、アシュヴィンは必死に生きた。


 路地裏の汚い場所で寝泊まりし、出店から食料を盗み、ゴミをあさって腹を満たす。

 元来、恵まれない子供たちは徒党を組んで助け合い、そうしてうまく生きていくものだ。


 だが、アシュヴィンたちは異民族。

 同じような境遇の子供たちからも忌避されていた。


 だから、うまくいかなかったこともたくさんある。

 盗んだ店主に捕まり、本当に死の直前まで暴力を振るわれたことだってある。


 それでも、両親たちがつないでくれた命を守るため、弟を守るため、アシュヴィンは頑張り続けた。


「このクソガキが! 異民族のくせに、人のものを奪いやがって! 殺してやる!!」


 アシュヴィンは今も暴力を振るわれていた。

 盗んだ店の主に捕まったのである。


 子供の足では、大人から逃げるのは難しい。

 こういうことになるのも何度か経験があったが、しかし今回の店主はなおさら苛烈だ。


 他の貧しい子供たちに頻繁に盗まれていたのか、はたまた異民族に対する怒りが他人よりも強かったのか。

 それを知るすべはアシュヴィンにはなかったが、ただ大人でも昏倒してしまいそうな暴力を受けていることは事実だった。


 殴られ続けていれば、不思議なことに一撃一撃に強烈な痛みを感じることはなく、ボーッとしつつも頭の中が冷静になる。


「(あぁ……どうしてわたくしがこんな目に……)」


 自然と、自分の運命を呪うようになる。

 そう思わないように、気丈にふるまって頑張ってきた。


 だが、彼女はまだ子供だ。

 不平不満を抱いても不思議ではないし……。


「(あの子が、いなければ……)」


 自分に庇護されることしかできない弟を、重荷に感じても責めることはできないだろう。

 彼がいなければ、さっさと諦めて死ぬことができたのに。


 こんなに苦しく、痛い思いをする必要もなく死ねたのに。


「死んで償え、異民族が!!」


 そんな彼女の考えなんて知らない店主は、怒りのままに硬く握りしめた拳を叩き込もうとする。

 今でも、アシュヴィンの身体はあざだらけで、顔ははれ上がっている。


 その渾身の力を込めた拳を叩きつけられれば、本当に死んでしまうだろう。


「(ああ、これでようやく……)」


 ゆっくりとすることができる。

 死に至るような攻撃も、甘んじて受け入れようとアシュヴィンは目を閉じた。


 だが、その拳が彼女に届くことはなかった。


「ちょっと待ってくれないかな? 僕の顔に免じてさ」

「ま、マルセル様……」


 はれ上がった瞼を苦労しながら上げたアシュヴィン。

 彼女の目には、穏やかな笑みを浮かべる領主の息子……マルセルが映っていた。



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