第27話 同じのようで、違う

 静かになった店内には、自主的に洗い場に向かって体を洗う食器たちの立てる音だけが、かちゃかちゃと響いている。夜さんがふらふらとやってきて、鍋島焼のお皿が納められたあたりの食器棚の前で、丸くなって眠った。肥前の猫とお皿、惹かれ合うものがあるのだろう。


 羽犬さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、静かに上下する夜さんの耳を眺める。

 ふふ、と羽犬さんが含み笑いを漏らした。


「紫乃のこと、好いとるんやねえ」

「そうなんです。大好きだったみたいで」

「ああ、違う違う。今の楓ちゃんが、紫乃のこと気に入っとるんやねって」


 私は目を瞬かせる。


「そんなふうに見えます?」

「見える見える。だって関係変えんでよかとやったら、元の楓ちゃんへの遠慮はなんもなかやろ?」

「……あ」


 羽犬さんは食器が食器棚に戻っていくのを見ながら、カウンターの中のスツールに腰を下ろす。

 穏やかな目が私を射貫いた。

 紫乃さんとはまた違う、でも私を大事に思う人の眼差しだった。


「お父さんには見えんっちゃろ? 紫乃のことが」

「まー……見えませんね、正直なところ」

「んじゃ恋愛として好き?」

「それはわかんないです。迫られたらめっちゃどきどきしたけど」

「だはは」

「ただ……記憶が消えてるからか、お父さんやお兄さんという感覚は皆無ですね」

「それならそれでいいとやない? いつかどっかで腑に落ちる時もあるやろし、こんかもやし、ふわふわした好きでも全然よかって俺は思うけど」

「そう……なのかなあ」


 私はコーヒーカップを傾けた。元々楓は砂糖を入れない子だったのだろうか、羽犬さんは当たり前のようにブラックで淹れてくれる。

 甘い風味で口当たりも軽い、紅茶のような不思議な味わいのコーヒーだ。


「苦くないんですね、コーヒー」


 それはグアテマラ産やね、と答え、羽犬さんが続ける。


「コーヒーと一口に言っても産地と採れる時期、それに淹れ方で味も変わっとよ。新鮮かどうかでも変わるし、発酵のさせ方でも違う。気にして飲んでくれて嬉しかよ」


 そう言いながら違う淹れ方でコーヒーを淹れてくれる。

 試飲くらいの量で渡されたものは、匂いが全く違う。


「少し……酸味の感じが減りました?」

「正解。同じ産地の同じ農園の豆だけど、こっちは加工方法が違うやつ」

「加工方法だけで全然違うんですね」

「風味を変えっとは、加工方法だけじゃなかよ。同じ産地でも時期と年によって豆は全然違うものになる。淹れるときの調整も変わるたい」

「繊細な作業なんですね。果物が毎年、『今年は甘い』とか、『今年は水っぽい』とかいうのがあるのと同じですか?」

「同じ同じ。コーヒー豆も果物の種やけんね」


 すごいなあ、と思いながら口にしている私を見て、羽犬さんがふっと笑う。


「楓ちゃんも同じ。同じ魂でも、生まれ変わるたび違う子よ」


 言いたいことがなんとなくわかった。羽犬さんがへへっと笑う。


「過去との繫がりや同じってことばっかりじゃないとよ。今の楓ちゃんは楓ちゃんってことでよかっちゃなか? って俺は思うよ。前の楓ちゃんはコーヒーブラックで飲まんかったしな」

「えっ」

「まじまじ。苦いもんって先入観強かったんよなあ。試しに普通に出してみたら美味しく飲んでくれよるし、俺は嬉しかよ」

「美味しいです。無理全然してない」

「やろ~?」

「そっかあ、別の人間かあ」


 コーヒーの飲み比べが美味しくて、悩みなんてどうでもいい気がしてきた。


「うーん、でもその……結婚とかお付き合いとか……もっとこう、なんとなくいい人だなー好きだなーくらいで始めていいものなんですか?」

「美味いと思ったら理屈抜きで美味かやろ? 好きも嫌いもそんなもんばい」


 お客さんが入ってくる気配がする。羽犬さんが立ち上がって最後にウインクした。


「臆病なんよ、あいつ。でもその奥に入り込めるのは楓ちゃんだけやけん」


 最後のお客さんだけになり、羽犬さんからは戻っていいよと言われる。

 私はお礼を言って食器を洗って(付喪神が自分で洗うのは知っているけれど、気分の問題だ)屋敷のほうへと戻った。

 少し気持ちは前向きになった。私は、紫乃さんと仲良くなりたいと思っている。

 その気持ちは決していけないことではないのだ。


◇◇◇


「よーし、逃げない、怯えない、向き合う向き合う」


 私は自室の前で、頰をペちんと叩く。

 実は私はまだ、着替えや生活に最低限必要なもの以外は過去の自分の持ち物に触れていなかった。スマホはなくても今のところ生活できていたし、高校も卒業したので教科書に触れる必要はない。


 昔の自分を知るのが、なんとなく怖かった。

 今の自分と違う部分を見て、どう思うのか─不安で、触れるのが怖かった。


「別の人間だから大丈夫、大丈夫」


 心を奮い立たせるようにはやかけんを握りしめ、私は部屋に入った。

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