第22話 水底の神様

 鵲(かささぎ)がばさばさと飛ぶ。筑後平野を通って、佐賀に。


「なるほど、まだ楓さんと筑紫の神は、婚姻関係を結んでいない、と」


 電柱の上に立っていた謎の男が言う。

 そこにもう一人、女の子が立っている。珠子だ。


「そこで何をしているのばしとるとね佐賀の方士よさがんもんが。……さてはあなたあんたがあけしかけたとね?」

「これはこれは三池の女神。水底の竜宮城にいなくていいんですか?」

「あたは知らなくていい話よ(んでよか話たい)。……あた、自分も千年を生きる方士ほうしならとやったら、土地神と巫女に手を出すのがどれだけどげんやってはいけないことやっちゃいかんこつかか、わかっていないとらんとはいわせいわせんばいないわよこのばかちんが

「始皇帝も袖にした私にそれ言います?」

「あな(ん)た追い出されたいのかしらるうごたっとね?」


 珠子の霊力が広がり、スカートとおさげ髪が広がる。

 プリーツスカートの裏の闇から、半透明の龍神が顔を覗かせる。大蛇に嫁いだ姫君の異類婚姻譚と、龍神信仰と祇園(ぎ おん)信仰。いくつもの祈りが絡み合って形を為した三池山の女神は、大蛇であり龍神であり、山の姫神でもあり炭鉱ヤマの女神でもあった。

 彼女の怒りなどたいしたことないとばかりに、徐福は扇で顔を覆ってどこ吹く風だ。


「ここを追い出されても私には別の場所がありますので。あなたとは違って」

「私の居場所はここよ」


 強く、珠子は言い切る。


あなたあんたそれで済むとお思いちおもうとっとか? あな(ん)たがそのつもりだったら(そげんかつもりでおるんやったら)、私も肥前の姫たちに黙ってはいられないとられんけんわよけんな。嘉瀬川の淀姫様も背振の弁財天も、私と女子会やっる仲だからねやけんな

「おお怖い……ああ、本当に筑紫の女神は恐ろしいことですよ」


 風の流れが変わる。

 すっと、プリーツスカートの中に龍神が消えていく。

 落ち着いた珠子が、徐福を見据えたまま尋ねた。


「あな(ん)た、妙に煙に巻くけれどばってん、何か知っているのではなくてとっちゃなかとね? あの消えかけだったようごたった猫が遠い距離移動できたとは思えないものんもん。佐賀からうちに渡って来るくっときに、土地神の私も紫乃も、気づけなかったづききらんかったのはおかしいわおかしか

「さあてね。大海原に通じる恐ろしい水底の姫ならば、全てを知っているのでしょう? 有明海から飛び出せば、何か見えてくるかもしれませんよ」

「……そういうことそげんかこつ?」

「ご想像にお任せしますよ、姫君」


 消える徐福。溜息をついて、それから珠子は水底を見つめる。

 この地の炭鉱は全て閉山した。

 閉山した炭坑のさらに奥に、とある神を閉じ込めているのは知る人ぞ知る話だった。

 珠子は三池港に降り立つ。

 夕日の落ちる有明海は黄金色に照らされ、空も海も眩しかった。

 風に目を細めていると、彼女がお父さんと呼ぶ魂たちが集まってきた。


「おおい、珠子ちゃん。大丈夫ね?」

「なんかえらい話し込んどったみたいやね」

「大丈夫よ。心配かけてごめんね、お父さん」


 彼女は屈託ない少女の笑顔で返す。そして迎えに来てくれた父親たちを抱きしめた。

 父と呼ぶのは便宜上で、出自だってばらばらだ。彼らの共通項は、今はみんな平等に、彼女の『父』であるということ。土地神の彼女にとって、彼らは父であり兄であり、弟であり子どもたちだった。

 土地神である己の傍にいてくれる、等しく愛しい魂だった。


「私はずっとここにおるよ、お父さん。……ずっと、一緒よ」

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