第16話 お題:毛布 「小さな世界」 ※少しだけ残酷な表現有

 だだだっ……と足音を立てて階段を上る。

 階下から母親の声が追いかけてきて、部屋に飛び込みドアを閉める事で振り切る。

 そして鍵をかけると、そのままベッドにダイブした。

 ぼふんっと勢い良く飛び込むとベッドのマットレスが私の体重を受け止め、ふかふかの羽毛布団と手触りのいい毛布が私の体を包んだ。

 その優しく私を包み込んでくれる手触りのいい毛布を抱き締め、頭から被ると体に巻き付ける。

 鍵をかけたドアの向こうでは母親が何かを言いながらドンドンッと叩いている音が毛布越しに鈍く聞こえてきた。

 だけど、その声とドアを叩く音はどんどんと遠くなり、私は毛布と共に旅に出る。


 小さな部屋の天井にある窓を大きく開き、毛布に包まった状態で私は空を飛ぶ。

 外の世界は広くて大きくて、そして、とても美しかった。

 昼は光に溢れ太陽の温もりが世界を覆い、溢れる。夜は静寂の中、無限に続くキラキラと輝く星と月。眼下に見える空へと延びる瑞々しい木々。地面を這う様に流れる小さな川に、人を容易く飲み込む程の大きな河。透明な水はてのひらから零れ落ち、世界に注がれる。

 毛布と共に飛び出した外の世界には、私の知らない事がたくさんあった。

 楽しい事、嬉しい事――幸せな事。

 そんな世界を旅するのだ。

 この肌触りのいい毛布と一緒に。いつだって、どこへだって。私が望みさえすれば、毛布は連れて行ってくれる。

 毛布が私にとっては友達であり、家族よりも家族であり、そして掛け替えのないパートナーだった。

 凍える様な寒い日は特に寄り添って温めてくれる。

 砂漠の夜だってこの毛布さえあれば、凍える事は無い。

 空を飛び、山を越え、川を渡る。

 月は廻り、陽は落ちる。

 何年も、何十年も、ひょっとしたら何百年も。

 この優しい毛布と一緒に私は旅をした。


 きっと私は、愛されて育っているのだろうと思う。

 小さな部屋だけど、そこにある家具や、身に着ける洋服。それらはとても立派な物だった。

 望めば大抵のものは用意してくれるし、まるでお姫様の様に扱ってくれる。

 だけどその中で、私はいつだって溺れそうなほどの息苦しさを感じていた。

 父や母たちが、見ているのは私では無い他の何かだった。

 そしてその何かとずっと比べ続けられる、私。

 外の世界を知ろうとすれば、いつだって怒られる。

 だから家の外に何があるのかなんて、知らなくて。

 私が知っている世界はこの小さな家の中と、その中でも更に屋根裏にあるこの小さな私の部屋だけ。

 親に入って欲しくない時は、この小さな部屋に鍵をかける。

 そしてベッドに飛び込むのだ。

 ふかふかの羽根布団と毛布が私の体ごと、感情も受け止めてくれるから。


 そして、今夜もまた優しい毛布と共に一緒に世界を旅する。


 ===


 画面に映し出されているモノを、溜息と共に見る。

 はまた深い眠りについていた。

「彼女はまだ不安定だな」

 隣でカルテに症状を記入しながら、同僚がわたしと同じように溜息交じりでそう小さく口にする。

 それに苦笑をして見せて、モニターを切り替えた。

「……不安定にもなるでしょ。どこへも出られないんだから」

 この小さな屋敷の中だけなら好きに歩き回ってもいい。

 だけど、ここから外に出るのは禁じている。危険だから。

 その為すべての窓も外へ通じるドアも彼女には見えない形で封じている。

「まぁ、それもそうだな」

 また深く溜息を吐きながら同僚もそうわたしの言葉に同意し頷く。

「それにしても、かなり知恵がついてきている。鍵の代わりにロープを代用する事をどこで学んだんだ」

 先程眠りについた彼女の部屋から回収したロープを手にして同僚が肩を竦める。

 彼女には知識に繋がるような物――例えば本など――は与えていない。その他の物ならば望みがあれば極力叶えてあげるようにはしている。

 ストレスは彼女にとってとても良くないもの。

「彼女もずっと子供のままじゃないってことよ。わたしたちだってそうだったでしょ?」

 子供はその頭脳をフル回転して思いもしなかった行動を取る事が多い。どこで知ったんだ、と思える知識をいつの間にか蓄え、それを思わぬところで披露してくれる。

 大人とは違い柔軟な発想力を持つ子供は、そしていつだって大人を驚かせるのだ。

「まぁ、そうだな。それにしても……」

 また鬱陶しいくらい溜息を吐いて同僚が今モニターに映し出されている光景を見つめる。

 そこには夥しいほどの、赤、赤、赤。

 彼女が脱走しようとして止めきれなかった彼女の両親たちの墓場だ。

 そこにまた一体先程追加された。

「何匹殺せば安定するのかねぇ」

「さぁ? この屋敷から出られるまでじゃない?」

 同僚の言葉にそう投げやりな言葉を返せば、彼は反論することなく肩を軽く竦めた。

 そんな事は無理だとでも言うように。


 ===


 ふわりと毛布の端が私の頬を優しく撫でる様に触れる。

 そして零れ落ちた水滴をそこに吸い取り、ぎゅうと私を抱き締めてくれた。

 寝入った私を父さんと母さんがベッドの横に立って見つめてくれている。

 そしてそっと顔にかかっている毛布をどかせ、私の頬についている涙の痕を毛布と同じようにその指で擦ってくれた。

 この時ばかりは両親の愛情を感じる事が出来る。もっと優しく触れて欲しい。頭を撫でて欲しい。そんな欲求がまどろみの中、膨れ上がっていく。

 だけど、でも。

 酷く重い頭で考える。

 さっき、私は父さんを、壊したはず。

 じゃあこれは新しい父さん?

 視界が霞んで良く見えないけど、きっとそう。

 頬に触れていた手が、私の目尻を擦る。

 そしてぐいっとまるで無理矢理目を開かせる様にした後、そこになにか眩しい光を当て、私はくらくらした。

「うん。寝てる」

 何かを確かめた様にそう言うと父さんは私から離れていった。

 いや、いや。

 離れないで。

 もっと、触れて。

 撫でて。

 あいして。

 そう思い、腕を伸ばす。

 毛布の中から、にゅるり、と伸びたそれは父さんを絡め捕り、母さんはその横で驚いたような声を上げたあと、走り出した。

 部屋のドアへと。

 待って。母さん。置いていかないで。

 私、出たいの。

 そとへでたいの。かあさんといっしょに。

 母さんへも腕を伸ばす。

 何本かあるうちの腕のひとつが母さんへと伸び、そして、今度はちゃあんと母さんも捕らえられた。

 腕の中でキンキンする声が響く。

 だけど私の腕からは父さんだって、母さんだって逃げられない。

 いつもは力加減を間違えてしまうけど、今日はきっとだいじょうぶ。

 眠くて落ちてしまいそうな瞼を頑張って開けて、何人目かの父さんと母さんを見て私は微笑む。

「ずっと、いっしょ、に、い、よ」

 不明瞭な父さんと母さんが使う言葉を、一生懸命口にする。

 そんな私を見て、母さんは酷く驚いたような顔をして、父さんは何かを叫んでいた。


 そして私は、父さんと母さんと、すでに私と一体化している毛布と一緒に今度こそ本当の外の世界へ旅に出るのだ。

 二度と離れない様に取り込んで。


 歓喜に打ち震える私を、毛布はいつも以上に優しく包み込んでくれていた。

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