第49話

 シーフ=ロードのイリア・パッソムの目端の敏感さについて、ある種の神がかりのようなものあるのかもしれない。


 エファルが指揮を執る正面部隊から抜け出した、シーフ=ロードの工作員の報告を聞いたイリアは、

「これで我々もようやく動ける」

 と、半ば興奮意ぎみになるのをどうにか抑えながら、デューク・ガーストの元へ急いだ。


 デューク王は、イリアのように感情を表に出すことはしなかったが、

「小国のくせに、と侮っていたのが悪かった。ここから巻き返さねばなるまいな」

 声の調子でいつもと違うことは伝わった。


「では、ミストラへ北進を」

「この度は俺が指揮を直々に取る」

 デューク王は愛馬に跨るや、すぐに警備のための予備兵のみを残し、全軍、ミストラ奪還のための北進を始めた。


 月下の鷹騎士団の総勢五千、直轄の傭兵隊二千と、南方の生国(これは、イヴァリシアを除く)総勢一千の八千という軍容をととのえて、月下の鷹を出立した。これが、帝国歴でいえば、九八八年の、炎の期の末になる。


 ミストラの目前で軍勢は止まった。ミストラは、かつての半自治都市としての姿、つまりは開かれた扉と奔放な街の風景が、今は囲うようにぐるりと張り巡らされた石壁の要塞と化していた。


 無論、前述の通り、シーフ=ロードは何度も攻めた。だがその度に合成獣に阻まれ、あるいは鈍い士気、それまで本隊らしい本隊が出なかった、ということもあって、はっきり言ってしまえば連戦連敗という散々たるものになっていた。


 国内からも、デューク・ガーストの、王としての資質が問われるような声がちらほらと上がり始めていた。


 並の主君であれば、そのような者を捕まえては見せしめに処刑などして、表面的にでも黙らせるように向かうはずが、デューク王はそのようなことはせず、まるで聞こえてもいないかのように泰然と構えていた。これについて、

「全ては俺の詰めの甘さだ」

 と、常々述べている。


「甘さではなく、合成獣の事も踏まえて慎重にお考えになったゆえの事でございます」

 と、イリアは擁護するが、デューク王はそれに甘えることをしなかった。


 デューク王の中には一つの考えがあった。それは、

「いつ、ムーラが動くか」

 ということだった。ムーラの内情は、『鷹の目』の工作員たちからよく聞いていたし、ついでにレザリアとの内情も、表に出ている情報については漏らすことなく頭に入っていた。


 ムーラがヘーゲン砦を攻め落とすという算段になった時が、本格的にミストラ奪還の頃合いだと考えていたものの、しかし指をくわえて見ているだけであれば、ミストラの要塞化は着実に、しかも迅速に前進し、ついには難攻不落の要塞になっているだろう。


 それを防ぐためには、たとえ、本隊を出さずとも、小競り合いをしかけ、なんとか遅らせる事に終始していた。

 そのムーラが、ついにヘーゲン砦を攻略する、という段になって、デューク王は自らの指揮でミストラを奪還し、それまでの不評を覆す賭けに出た。


「ミストラの指揮官は、ボーンズとかいう奴だったな」

 はい、とイリアは答える。

「ボーンズは戦好きな男で、これまでの情報を知る限りにおいては、知略というより直行型というべきかと」

「守るという役目は果たせない男だな。ならば、少し仕掛けてみるか」

 デューク王は傭兵隊二千のうち、五百をミストラ目前にまで進め、ただひたすらに挑発と罵詈雑言を繰返した。


 それは聞くに堪えないようなものばかりで、酷いものになると、ボーンズの母親や父親を詰ったり、挙句には、

「ボーンズは男でもなければ女の風上にも置けぬ、臆病者」

 などとまでいって、とにかくボーンズを挑発し続けた。



 当然、そのボーンズは、この挑発が、自らをおびき寄せるための駆け引きである事は分かっている。だから、家族や両親の事を言われても、自身を臆病者といわれても全く動かなかった。


 が、これを一変させる挑発が、シーフ=ロード側から飛び出した。それは、

「ボーンズはエファルに負け、尻尾を巻いて逃げた」

 というものだった。これはあきらかに、神の森の襲撃ことを受けてのものだが、

「誰が、エファルに負けたというのだ!!」

 と、それまでの冷静さを一気に賦飛ばすほどの、まさに怒髪冠を衝くものだった。


「相手の挑発に乗ってはいけません」

 周りの将校たちはボーンズを宥めるが、ボーンズにとってエファルという人物は禁句だった。もっといえば、バディストンの兵士たちが潜在的に思っているでもあった。さらにシーフ=ロード側から、

「エファルに負けた男に、わがシーフ=ロードが負けるはずがない。さっさとミストラを明け渡せ」


 という言葉が聞こえて来た時、ボーンズは最早正気を失っていた。

「正門を開けろ!!打って出るぞ」

 周辺の将校はボーンズを引き留めるために千言万語を尽くし、ボーンズの正気を取り戻させようと躍起になった。ある者はボーンズをほめたたえ、ある者はボーンズに正論を話し、ある者は宥めて機嫌を取るなどしていたが、ボーンズの怒りはそれでおさまるどころか、

「邪魔をするのであれば」


 といって、将校たちを片っ端から斬り捨てるという愚挙に走った。そうなると、誰もがボーンズを止められなくなる。結局、ミストラの表門が開かれ、バディストン軍とシーフ=ロード軍との会戦が始まった。


 バディストン側の軍勢はおよそ三千、という報告がすでに入っている。そして、バディストンから増援が贈られる可能性もある、という情報も、デューク王はすでにつかんでいる。


「ならば、出来る限り増援を引き付けて戦え。それと、後方に魔術が使える連中を配備させ、支援させろ」

 イリアは自らを含む臨時の魔術師部隊を結成すると、最前線から少し離れ、デューク王の合図を待った。


 月下の鷹騎士団と傭兵隊の突撃は、士気の鈍いバディストンの兵士たちを蹴散らすには十分だった。さらにデューク王は手をあげて合図を出すと、イリアの号令によって、魔術師部隊が『隕石落下』を唱え、間断なく炎をまとった大小さまざまな石が降り注ぐ。バディストンの兵士たちはミストラに引返そうとするが、

「逃げるな!!戦え!!」


 という、理不尽ともいえるボーンズの指揮によって、また戦場に出るはめになる。こうなると戦況は一方的になっていく、はずだった。

 バディストンから悠然と、大きな影の塊が飛来してくる。その姿を見たシーフ=ロード軍は、

「ご、合成獣だ!!」


 と、正体に気づいて、混乱をきたした。合成獣は猛る獅子のように辺りに向かって吠えると、シーフ=ロード軍の兵士や、騎士団の騎士たちは途端に戦意を失い、逃亡を始めた。

「合成獣は面白い芸当をやるものだ」

 デューク王だけがそれを見て笑っていた。そして、

「やれるだけのことはやるか」

 と、腰の湾曲刀と投擲斧を構え、器用に足で愛馬に合図を送った。愛馬は嘶き一閃、合成獣の元へと駈けていく。これを見たイリアは、

「ずいぶんと無茶をされる」


 と、額に汗を垂らしながら、今度は『竜巻』を詠唱して竜巻を発生させ、デューク王を支援した。他の魔術師たちもそれに倣って、次々と魔術を合成獣にむけて放っていった。合成獣は竜巻に巻き込まれ、真空の刃に皮膚を切り裂かれてさらに、隕石を食らってもびくともしなかった。それどころか咆哮一つ上げるだけで、シーフ=ロード軍八千はもとより、バディストンの兵士たちも戦意を失っていく。


「ひるむな!!」

 と鼓舞するイリアでも、合成獣の咆哮の前に全身を強く震わせ、後ずさりしていく。それでも辛うじて踏みとどまっていたのは、合成獣を目の前にし、誰よりも咆哮の威力をまともに浴びているはずのデューク王が、愛馬から落ちることなく、合成獣の前足に果敢に挑み続けている姿を見ていたからだった。


 デューク王は愛馬を巧みに操り、また愛馬もそれにこたえて、なるべく合成獣の死角に潜り込むようにして戦っている。

 いつしか、両軍、デューク王と合成獣の一騎打ちを見ていた。イリアはたった一人で詠唱し、自身が知っている限りの攻撃魔術を、魔力が続く限り放ち続けた。

 確かに、合成獣の皮膚には傷がついていて、形容しがたい色の血液が脈打って流れている。それでも合成獣の攻撃の威力と早さが劣る気配はなく、ぎゃくにデューク王の攻撃が少しずつ鈍り始めている。


「何をしている!!攻撃を始めないか!!」

 イリアの声にシーフ=ロード軍は士気を取り戻し、巨人に組みつく小人たちのような兵士たちは合成獣の足といわず尾といわず、剣や槍の通りそうなところであれば手あたり次第に攻撃を加えていった。

 バディストンの兵士たちも指をくわえてみているはずもなく、両軍は敵味方が入乱れての乱戦になった。こうなると、魔術部隊もおいそれと魔術を使うわけにはいかず、合成獣への攻撃に集中した。


 ボーンズはすでに要塞から出て、合成獣への攻撃を続けているデューク王に肉薄している。

「戦え、デューク・ガースト!!」

「貴様の相手をしている暇はない」

 デューク王はあくまで合成獣を倒すことに専念している。ボーンズはデューク王の前に立ちふさがり攻撃を入れるが、デューク王は軽くこれをいなすだけで、後は合成獣に向かって行く。


「臆するか!!」

「これが終ったら次はお前をあいてにしてやる。それまで大人しくしていろ」

 デューク王はさらりと言って、合成獣に向かっていく。

 戦局が大きく変わったのは、それまで効果が認められなかった、と思われた合成獣への魔術の攻撃が、突然として効き始めたことだった。


 痛みによる唸り一つ上げなかった合成獣だったが、どの魔術攻撃が当たったのか分からないほどのべつ幕なしに続けた攻撃の『何か』が当たったのだろう、突然大きな叫喚の声をあげるや、暫くよろめき、ついに大きな音を立てて倒れた。体中にできた傷から血が流れ、大地に大きなしみとなって広がっていく。合成獣は何度か体が痙攣していたが、それも治まるや明らかに生命活動は停止した。


 デューク王はイリアの方へ向き直って、投擲斧を天高く掲げた。イリアは安心したのか、その場に座り込んで、なんども深呼吸をしていた。

 デューク王はボーンズの方へ向くと、

「今度は、お前だったな」


 というなり、愛馬を全速力でボーンズへと向かう。ボーンズは身構えるが、デューク王は投擲斧をボーンズに向けて投げつける。回転しながら向かってくる斧を弾くボーンズ。その瞬間に、ボーンズの首と胴が離れ、ボーンズの首は空に舞った。


 ミストラ要塞のバディストンの兵士たちは散り散りになって八方に逃げていった。

 ここに、シーフ=ロードのミストラ奪還はなり、一方でバディストンはミストラという拠点を失うことになった。帝国歴でいうと、九八八年風の期二十日の事だった。



 ミストラ陥落の報は、まだダイセンには届いていない。ダイセンは、援軍の要請をすでに出している。にも拘らず、本国から、あるいはミストラからの増援が来ないことに苛立ちというより焦りを覚えていた。


「もしこのような状況で攻められたら、こちらはどうしようもないぞ」

 ヘーゲン砦の図面が何者かに奪われた以上、敵は、こちらの弱点を狙って攻めて来るに違いない。そしてその弱点は、いうまでも無く修復を怠ってきたあの場所に違いない。逆に言えば、あの箇所に絞って防衛態勢を整えれば、少しは持ちこたえるかもしれない。


「とはいうものの。……」

 ダイセンは、遅かれ早かれ、この砦は陥落するだろう、と考えていた。ミストラは町そのものを要塞化しているため、どうあれ防衛拠点として十分に力を発揮するだろう。だが、このヘーゲン砦の規模は、ミストラとは比較にならないほど小さいもので、そもそもこのヘーゲン砦は急ごしらえの感すらある。周辺の森の木々を伐採し、それを利用して作ったとしても、これが大きな役割を果すともいえず、防衛拠点としてはこのヘーゲン砦は間違いなく貧弱だった。


「もっと早く、本格的に攻めていれば」

 おそらく今頃は、神の森を勢力下におき、ムーラの喉元に食らいつく格好になっていたはずだった。だが、小国ゆえの乏しさのために、それはついに叶わなかった。

「これまでかな。……」

 と呟いたとき、大きな衝撃と揺れを感じた。兵士の報告では、表正面の扉が攻め立てられているという。


「死ぬ気で守れ!!ここが落ちたら、我らは終わりだぞ!!」

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