第48話
外から響いてくる衝撃と音に揺さぶられたヘーゲン砦の兵士たちが次々と出て行くのを眺めていたメルダロッサだったが、思ったより砦に詰めている兵士の数の少なさに拍子抜けしていた。
「もしかして、この砦、案外楽なんじゃないのか?」
攻略が、ということなのだろう。不規則な兵士の足音が砦の内外から聞こえていたが、それも次第に小さくなっていくと、砦の中に静寂が訪れる。砦の中は単純で、石壁の中に詰所のような建物と大きな中央の塔があるだけだった。出入り口は、兵士たちが出て行った正面の一つだけで、メルダロッサは難なく忍び込んだ。
螺旋階段を上がっていく。『隠転』と『軽身』を使っているためか、メルダロッサの足音は皆無に等しい。
中央の塔は二層の構造になっているようで、二階部分にはまだ人のいる気配がした。メルダロッサが中を覗くと、指揮官だろうか、鎧の上からでも分かるほどの立派な体格をした軍人が、大きな卓の上に広げた地図を見つめている。
他に明かり用の燭台、執務用の机と多少の本棚があるくらいで、部屋の中は殺風景だ。
『図面だ』
あるとすれば、机の引き出しになるだろうか。メルダロッサはゆっくりと机に近づいたが、軍人は気づく気配はない。
外はまだ音と衝撃が続いている。机にある引き出しは四つで、正面に一つ、脇に三つ。メルダロッサは、音が出ないように慎重に、丁寧に引出しを開ける。脇の引き出しの二つ目に入っていた羊皮紙を取り出し、中を覗くと、ヘーゲン砦の詳しい図面だった。
「誰だ?」
軍人の声がした。メルダロッサは動きを止める。
『気づかれたか?』
まだ『隠転』と『軽身』の魔術の効力が続いていることは、自身の影がないことでわかる。空中に羊皮紙が浮いているように見えるだけで、メルダロッサが懐に仕舞うと、完全に影は消えた。
「報告であります」
兵士だったことに、メルダロッサは安堵した。
「なんだ?」
「正門ちかくの騒ぎでありますが、付近を捜索しても、それらしい影は見当たりません」
軍人は応えず、しばらく考えているようだった。そして、
「今すぐ全軍を呼び戻せ。どこからか侵入をされているかもしれん」
「侵入、でありますか?お言葉を返すようですが、そのような怪しい者は見ておりません。この砦は正面からしか入れませんから」
「たしか、森側に修復するべき箇所があったはずだな?あれは直したのか?」
「いえ、本国からの職人がまだ来ておりませんので」
「そこから入れたらどうする!!すでに侵入されているかもしれんぞ」
「しかし、そのような怪しいものは、見ておりませんが」
「姿を隠す魔術がある事くらい、いくら魔術に疎くても知っているだろう?もしそれを知らないというのならば、話にならんぞ」
兵士はようやく事の重大さに気付いたのか、すぐに引返していった。恐らく、砦の兵たちを呼び戻すつもりなのだろう。
メルダロッサは出入り口ににじり寄っていた。
『もう少し』
そう思った時、出入り口近くの燭台に体が当たり、燭台が倒れた。鉄のぶつかる乾いた音が響いた。
「誰かいるのか?」
軍人の怪訝そうな声が聞こえた。メルダロッサが素早く出入り口を出た途端に、
「賊だ!!」
と怒鳴った声がした。メルダロッサの『隠転』の効果が消え始めていた。足からメルダロッサの姿が浮かび上がる。
下からは戻ってきた兵士たちが殺到してきている。
「捕まえろ!」
軍人が叫ぶのへ、兵士たちがメルダロッサに飛びかかる。メルダロッサはとっさに大きく跳躍した。兵士たちの頭上遥かにこえ、塔の出入り口に一足飛びに到着した。
止まれ、という兵士の声をよそに、メルダロッサはエファルの待つあの所まで駆けた。壊れた石壁に飛びつこうとしたとき、すでに『軽身』の効果が切れていたため、思ったより飛上ることが出来ず、何とかよじ登ったその時、背中に痛みと衝撃が走った。何か温かいものが漏れ出している、と認識した時、メルダロッサの意識は消え入りそうになった。それでも立ち上る一筋の細身の煙を掴もうと足掻くように意識をかろうじて意識を保たせながら、メルダロッサは石壁の外に落ちていった。
エファルは落ちてくるメルダロッサを授かったように受け取ると、背中に何本かの矢が刺さっていることに気付いた。
「待っておれよ、娘。すぐに、助けてやるからな」
エファルはメルダロッサの服をはぎ取って一筋の布にし、くくりつけるようにしてエファルの背中に乗せると、エファルは全速力で走りだした。
それをみたアーフェルタインとフレデリックが合わせて、砦から遠ざかっていく。
「くそっ」
軍人こと、ダイセンは夜陰に消えていく影を忌々しく見ていた。
「追いましょうか」
「いや、追ったところですでにわからんさ。それに、下手に打って出て、それこそ伏兵がいるとも限らないからな。それで砦が奪われたらいい笑いものだ」
「警戒を怠るな。それと被害を報せろ。あと、本国に増援を要請しておけ。合成獣も出せるなら欲しい、とな」
エファルは人間のように走っていたが、次第に狼が飛ぶようにして四足で走るようになっていた。そうなると速度が俄然に上がり、アーフェルタインたちが追いつけなくなってしまうほどだった。
本陣に戻ったエファルはすぐに近くの者に手当を施すように願うと、若エルフ達がメルダロッサを宿の寝台でうつぶせで寝かせ、回復魔術を使ってメルダロッサを治療し始めた。ある程度傷がふさがり、出血が止まったところで一旦魔術を止めた。
「後はこの子の生命力によるしかありません」
「傷は、深うござるか?」
「体の芯まで到達していなかったのはせめてもの救いですが、それでも大怪我には違いありません」
「かたじけない。後は、それがしが面倒を見よう」
「でも、貴方は、さきほどまで走りづめでしたでしょう?無理はいけません」
「いや、この娘に無茶をさせて巻き込んだのはそれがしでござる。その程度の事で、ねを上げるわけにはいかぬゆえ」
エファルは自ら桶に水を汲み、メルダロッサに付き添った。
程なくして二人も本陣に戻ってきた。
「エ、エファルさんは」
アーフェルタインが焦りながら尋ねると、若エルフ達は事情を話し、アーフェルタインとフレデリックは安堵した。
「少し、休みます」
陽之助は登城の最中、彦四郎と話していた。
「そういえば、小太郎の元服はいつだ?」
「ああ、小太郎の元服は、来年の春と決めておりまする」
「烏帽子親はおぬしか?」
「いや、殿がどうしても、と仰せられまする。それに、倅にとっても、殿に烏帽子親を頂くのはこの上ない誉れ。折角ゆえ、そのように致そうかと」
「そうか。これで、小太郎も立派な跡継ぎになるな」
「まさか、まだまだ」
陽之助はからからと笑い、彦四郎も微笑んでいた。
「榊殿」
「はい」
「これから、何が起るか分らん。だが、おぬしとのこの友誼だけは、忘れずにいたいものだ」
「何をおっしゃる。貴殿とそれがしの間には、なんに不都合もあり申さず」
陽之助はそういったが、彦四郎はなんとも言えない顔をしていた。
メルダロッサが目を覚ましたのは、三日ほど後になってのことだった。背中の傷はまだ痛むのか、顔が引きつっている。
「おっさん、おっさん」
傍で寝ているエファルを起こすと、エファルは狼らしく口を大きく開けてあくびをした。
「大丈夫だったか?」
「大丈夫?……、大事ない。それより、傷のほうはどうだ?痛むか?手当の布を替えてやろう」
「い、いいよ。それより、どうだった?」
「あ。……、ああ、実はな、おぬしをここへ運ぶことに夢中になって、すっかり忘れておった。アーフェル殿とフレッド殿が知っておるはずだが」
こちらにありますよ、とアーフェルタインがエファルに図面を渡した。図面を開けて見てみると、ヘーゲン砦の詳細が手にとるようにわかる。
「先に見せていただきましたが、私やフレデリックさんが遠目の魔術を使った時に見た印象とまるきり一緒ですから、恐らくこれで間違いないかと」
「そうであったか。……、いや、役目大儀であったな」
「だったらおっさん、約束、忘れてないよな」
「確か、住むところを支度するということであったな。よかろう。此度の戦が終わり次第、すぐに手配を致そう。望みがあれば、その時になんなりと言うがよかろう」
メルダロッサは何か言いたげにしていたが、それにエファルが気づかないと見るや、直ぐにひっこめた。
エファルたちは本陣の作戦部屋に入り、ヘーゲン砦の位置と、詳細な図面を見比べている。
「こうして見ると、この砦は拠点防衛というには少し小さすぎますね」
アーフェルタインの言葉にフレデリックが頷く。
「本来、砦や城は、ある程度の耐久性を持たさねばなりません。例えば、食料の備蓄、防衛する人数の規模、周辺の状況などを見ても、防衛拠点というよりは、むしろ攻めるための中間地点という感じですね」
「つまるところ、繋城ということになるか」
「つなぎしろ?」
二人はエファルの方を見た。
「繋城とは、まさしく街道の関所を支配し、兵をそこで集めたり、あるいは次に向かわせるための城でござる。この砦の場合は、向城の意味もあろうかと」
「むこうじろ、とは」
「城攻めに及ぶ際につかう拠点の事でござる」
フレデリックが納得したように何度も頷いた。
「たしかに、中間地点とムーラを攻めるための拠点ということになると、エファルさんのいうその二つの機能が備わっていると考えたほうがいいでしょう」
「エファルさん、エファルさんはどのように攻めるか、考えはありますか?」
「そうさな。……」
エファルは少し考えて、ある策を二人に話した。
翌日から、ヘーゲン砦攻略の準備をはじめた。まず神の森から真直ぐに大きな木を切り出し、さらに切り出した面を真直ぐに整えると、数か所を等間隔に縄でもって縛り上げ、さらに持ち手を取り付けた。
もう一つは、かぎづめを二つ作り、それぞれに縄を結わえ、その間に切り出した木の板を通し、これも等間隔に固定させた。これを二つ。
さらに正面を攻める部隊の指揮はエファルが執り、砦の側面をアーフェルタインとフレデリックが受け持ち、ニーアフェルトには、ムーラの魔法戦士隊を先に取りで周辺の森に潜ませるように先行させた。
エファルは正面を受け持つ部隊に例の丸太を持たせると、
「それを鐘を打つように振るのだ」
といって振らせようとしたが、部隊の反応はない。
「こうだ」
エファルは腕を前後に振るのを見せると、部隊はもう一度丸太を持ち上げ、今度は振った。丸太が前後に力強く動く。
「これでよい。後は、時を待つだけだ」
エファルがそう言って辺りを見回した時、
「はて?」
と気づいたことがあった。それは、正面部隊に配属されているはずの人数が、一人足りないのだ。
「そこにいた者はどこへいった?」
部隊の人間は誰にもわからない。仕方ない、とエファルはアーフェルタインの部隊が一人借り受け、なんとか陣容を整えた。
そして夜になって、ヘーゲン砦攻略の戦いがはじまった。
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