第31話

 シーフ=ロードにとって、ミストラをバディストンによって占領されてしまったことは、頭上にいつ重石が降ってくるか、というほどに脅威になっている。

 デューク=ガースト王は、決して手をこまねいていたいたわけでも、傍観としていたわけでもない。実際、バディストンの軍勢が侵攻してくるという情報を聞けば、すぐに部隊を編成し、迎撃に向かわせていた。


 しかしながら、この迎撃は全て、小勢同士の局地戦という、いうなれば小競り合いで終わることがほとんどだった。初めは『月下の鷹』騎士団を筆頭としたシーフ=ロード連合軍は、はじめは士気も意気軒昂としていたが、やがてその士気も落ち、規律に乱れが見え始めた頃になって、電光石火というべき早さで、バディストンはミストラを陥落させ、シーフ=ロードへの浸食に成功した。


「間隙を縫うつもりが、まさかいいように翻弄されるとはな」

 デューク王はミストラについて、さほど気にしていない様子ではある。だが、先ほどの通り、地理的脅威であることに変わりない。


 『月下の鷹』城内でも、ミストラ陥落は十分な衝撃になった。町を占領されたということ以上に、バディストン侵攻という噂が噂ではなく現実になり、目の前に差し迫った脅威になってきている。これについて、まるで背中に人の気配を感じさせるような不安さを常時禁じ得なくなる。そんな中であっても、デューク王は露骨に慌てたりはせず、

「不思議な男だな」

 と、ラグランスについて言った。


 情報では、バディストン侵攻はムーラが主であって、こちらに来る確率は大きいものではなく、状況次第では、むしろシーフ=ロードに有利になるはずだった。

 だが、ラグランスは、対ムーラ用にヘーゲン砦、そしてシーフ=ロードにはミストラ占領という二つの侵攻作戦を展開し、今のところ成功している。デューク王が情報を読み間違えてラグランスを侮ったわけでも、情報が間違っていたわけでもない。バディストンの国力を考えれば、二正面作戦、という実にかじ取りの難しい作戦を仕掛ける事自体が無謀であって、常人ならばそのような考えはできないはずだった。だから、先に神の森を襲撃、戦力をととのえたのではなかったのか。


 ところがラグランスは、ムーラとシーフ=ロードという二つの国相手に、二正面作戦に打って出たのだ。

 不思議、とデューク王が言ったのはこのラグランスの思考を指すのだろう。

「だが悠長にそうもいっておれまい。ラルミゴを呼べ」


 側近の者に呼び出させたのは、騎士団団長の、ラルミゴ・ラスフェンで、この時は、まだ三十代に入った頃といったほどで、従来の騎士団長の就任の年齢にしてはすこし若い部類に入る。無論、今までいなかったわけではない。が、その数は少ない。

 ラルミゴは、一見して鎧を掛ける台のように細く、実際に今でも鎧下を人の数倍は放りこんで作り上げないと、甲冑がずり落ちてしまうほどだ。デューク王の御前に控える時も、実に窮屈そうにして膝をついている。


「ミストラは、どうする」

「今は、陥落させるのが難しいかと」

 ミストラの砦は着実に要塞化していて、少々の部隊で陥落させることは難しくなっている。


 無論、ただ完成されて行くのを、指をくわえて眺めているだけではなく、騎士団や特殊部隊などを派兵して阻止しようとしていたが、バディストンの守備兵や、ミストラの自治団などの抵抗が激しいために攻めきることが出来ず、撤退を何度か繰り返していた。


 兵の損失も無視できないほどにまで膨れ上がっている現状、ミストラを陥落させるのは困難になっている。

「ムーラと手を組むべきです」

 ラルミゴはかねてよりそう進言し続けている。

「それは無理な相談だ」

「何故でございますか」

「ムーラの後には、レザリアがある。レザリアと間接的に手を組むのは、将来の禍根になるかもしれん」


 ラルミゴは、デューク王の言葉を理解できないでいるのか、

「禍根、ですか?」

 と戸惑った。

「そうだ」

「なぜ、禍根になるのでしょうか?」

「もし、我が国が自らムーラとの共闘を持ちかければどうなる?」

「国家としての立場が弱くなる、ということでしょうか」

「それもある。そしてもう一つあるのは、これから先、南方の小国どもの行動だ」

 デューク王は、北方の小国たるバディストンを独力で抑え込めない、という現実がガルネリア大陸に広まり、それによって侮られ、支配下に置いている南方の小国たちが離反することを懸念しているようだった。


「ですが、今は、目の前のことを優先なさるべきでは?」

「それですべてがおさまるならそうする。だが、国は存続するのだ。この後もな」

「お言葉を返して申し訳ありませんが、滅んでしまえば何もかもなくなるのでは?」

「お前にとって、滅亡とは何を指す」

「この国の体制その他が消え去ってしまう事、でしょうか」

「この世界から一人たりとも、我が臣民が消えさることが滅亡だと、私は考える。一人たりとも、だ」

「はっ」

「為政者は、目先のことよりも、先を見据えて動かねばならない。その為に、禍根になるようなことは避けねばならない」

「ムーラと一時的な同盟、でもでしょうか?」

「やり方だ。あくまで、ムーラから持ち込ませるか、対等でなければならない」


 といいつつも、

「そもそも、バディストンにいいように都市を占領されている時点で、体裁も何もあったものではないがな」

 と、苦笑した。


「とにかくこれ以上、ラグランスを調子乗せるな。完膚なきまでに叩きのめし、我が国に利益が及ぶように配慮せねばならない」

「承知いたしました。では、早速バーストに向かいます」

「いや、バーストに向かうのは待て。新しい報告では、ボールド・ゴードンは、バーストにいないはずだ」

「なぜ、バーストを離れているのでしょうか」

「神の森だろう。行くとすればあそこしかない。行き違いになるかもしれんが、どの道バーストへ向かう途中に神の森があるのだから、そこへ顔を出せ。そこにゴードンがいればそれでよし。いなければ、バーストに向かえばいい」

「わかりました。では、そのようにたします。陣容は、こちらにお任せ願いますか」

「最小の携行人数でいけ。戦争をするわけではないからな。それと、……、神の森のエルフを助けた男がいたろう。そいつを連れていけ。交渉の窓口には使えるかもしれん」


 ラルミゴが最小の編成で『月下の鷹』を出立したのはそれから程なく、その頃には、エファルたちはすでに神の森に帰還している。

 その編成の中に、キリィ・ランバートはいる。名目上は、ラルミゴの従者、ということになっている。

 なぜ、自分が使節の一人なのか。キリィはラルミゴに尋ねた。ラルミゴは、キリィがバディストンでエルフを助けたことを引合いに出し、それを交渉の材料にする、という。


「そんなことで、材料になるとは思えませんが」

「やってみなければわからないだろう。エルフ達でも多少の恩義のほどは持ち合わせているだろう」

 キリィは、バディストンから脱出する時、ともに脱した時のエルフを思い出していた。名は忘れているが、物腰の柔らかい印象は残っている。

(もしかしたら、あいつを使えばなんとかなるかもしれない)

 そのエルフが神の森にいるのかどうかはまだわからないが、もしいれば、それを頼るほかにない。


 神の森は変わらず一つの新緑の宝玉のように繁っている。麓の宿のあるじにわけを話して、案内人を乞うた。

 出てきたのは、神の森を出入りしている、という木こりの男で、この男もエルフだということだった。

 ラルミゴ達は、木こりの案内のままに神の森へと入っていく。神の森の木漏れ日の色合いは魅惑的に鮮やかで、それに見とれた兵士が一人、隊を離れようとした。

「おい、何をしている」


 ラルミゴが叱咤して兵士は我に返った。木こりは、

「この森に見とれていたら、永久に出られなくなるぞ」

 と、事もなげに言ったのが、逆に凄味が利いていて、ラルミゴも含めた一行は、まるで木こりにひっついていくように神の森を抜けた。

「あ、あいつだ」

 キリィは遠くからでも、トーアパティの存在に気付いた。


「助けたのは、あのエルフの女です」

 よし、とラルミゴはその場所へと向かった。すると数人のエルフ達がラルミゴたちを取囲んだ。

「何だ、お前たちは」

「俺は、あのエルフを助けた者だ。バディストンで一緒に逃げたエルフと話がしたい」

「トーアパティを?……、そこで待て」

 一人のエルフがアーフェルタインの元へ向かった。暫く話し合っていた二人が、キリィの元へ戻ってくる。


「おや。あなたは」

「あ、ああ。あの時以来だな」

 知っているのか、というエルフの尋ねに、アーフェルタインは頷いた。

「確か、あなたは『鷹の目』の一員でしたよね。そのあなたがなぜここに?」

「実は、大事なようがあってきた。俺達は、この森に入る術を知らないから、そこのきこりに案内してもらった」


 アーフェルタインが木こりを見つけるや、

「フェーンストじゃありませんか」

 と、驚いた顔をした。

「アーフェルタインか。少し大きくなったかな」

「ええ、たしか、二千年ほど前でしたかね、最後にあったのは。木こりとは、らしくありませんね」

「まあ、それでも暮らしは十分に楽しいさ。……、そこの人間。私は役目を終えたということでいいんだな?」

「……、そうだな。これは、僅かばかりだが、受け取ってくれ」


 ラルミゴが、銀貨の入った小袋を木こりことフェーンストに渡すと、フェーンストはそのまま森を出て行った。

「話を戻したい。私は、シーフ=ロード、『月下の鷹』騎士団の団長を務めている、ラルミゴ・ラスフェンという。デューク王の正式な使者として、この森にやって来た。この森で一番の権力者は誰か。そのものに会わせてもらいたい」


 アーフェルタインは困惑した表情で、

「権力者、というのはこの森にいませんが、一番の長老である御大なら、いますが」

「その、御大に会わせてもらいたい」

「何故ですか」

「我々シーフ=ロードは、神の森、そして、ムーラと暫定的な同盟を結び、バディストンに対峙したい。それが、わが王の願いである」

「……、そういうことでしたら、御大にお話願いましょう。もっとも、御大がどういう答えを出すかわかりませんが」

「では、案内してもらいたい」


 ラルミゴが始原の木そばの御大の屋敷に入ったとき、御大はトーアパティの看病に手を取られていた。

 終るまで待つ、というラルミゴの態度は殊勝だった。トーアパティの看病はしばらく続いたが、ハンナが後を受け持つ、ということになって、御大はラルミゴと対面した。表情が硬いまま、ラルミゴは名乗り上げた。


「ラルミゴ・ラスフェン」

「まあ、そうかたくなるな。シーフ=ロードには、トーアパティの件で、感謝を少しばかりしている」

「それはありがたい」

「だが、一方で、それをもとに図々しくやってくることには、すこしうんざりもしている」

「だが、そうでもしなければ、とっかかりがない」

 ラルミゴが真面目に答えると、それもそうだな、と御大は思いの外大きく笑った。

「で、バディストンと戦うためにともにありたい、と?」

「そうだ。我らと、エルフ、そして、ムーラとの三者でともにバディストンと戦いたい、というのが、デューク王の要望である。よろしく考えてもらいたい」


 ふむ、としばらく御大は言葉を発しなかった。

「ただでさえ森をまとめるのに時間がかかるというのに、人間は次々と無理難題をふっかけてくる。それも同じ人間の所業のためにな」

「そう言われると、ぐうの音も出ない。だが、それはひとまず横に置いておいてもらいたい」

「我々はともかく、ムーラに関しては関知しない。だが、ここで直に話は出来るぞ」

 御大が手を鳴らすと、ラルミゴの前に現れた人物が、

「シーフ=ロードの若い団長か」

 といった。ラルミゴはそれを見るなり、魂消たようで、しかし納得したような顔をして、

「やはり、ここにおられましたか、ボールド・ゴードン」

「考えることは皆同じ、ということかな」

 といって、ゴードン卿は笑った。

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