第26話

 シーアンにある家に戻ってきたキリィを、一番に出迎えたのは、キリィの長男のカイルを抱いているライナだった。


「やっと、終わったよ」

「ご苦労様でした」

 ライナは明らかに安堵している。


「例の北の国の噂がこっちにも聞こえていたわよ」

「どんな?」

「なんか、とんでもない化け物を飼っているとかどうとか。心配したのよ」

「そうだったか。……、ナシェルがな」

「……、うん、聞いてる。おばさん、凄く落ち込んでいた」

「だろうな。母一人子一人だったし、おばさんはナシェルを可愛がっていたからな。弔慰金はでるみたいだけど、そういう問題でもないだろうが、こればかりはな」

「だから、あなたが帰って来てくれてよかった。カイルと二人きりじゃ、どうしようもなかった」


 キリィはライナの目の下を拭って、涙を取った。

「大丈夫だ。当分は休みをもらってきた。ゆっくり暮らせるさ」

「じゃあ、今日は少し奮発しますか。カイルをお願い」

 ライナはカイルをキリィに預けると、料理の支度にとりかかった。しばらくすると、嗅ぎなれた、あのメルガ芋のスープの香がキリィの鼻にやってくる。それだけではないようで、他の食べ物の香がしてきた時、

「久しぶりだな、これ」

 といった。


「そうでしょ?ヤコーンの上に何を乗せたい?」

「そうだな。……、トマス肉の塩漬けがあるならそれ。それと、野菜も欲しいな」

「残り物でいい?」

「ああ、それを温めて食べたい」

 わかった、とライナは暫く料理に勤しんで、キリィの前に並べた。

「さあ、召し上がれ」

 ライナの食事は、キリィにとって癒し以外のなにものでもない。キリィはライナにカイルを渡すと、メルガ芋のスープをすすり、ヤコーンを食べ始めた。ほのかに甘く、それでいて歯ごたえのあるヤコーンは、ライナのメルガ芋のスープとおなじほどに好物で、

「落ちついて食べなさいよ」

 とライナに窘められるほど、キリィは貪り尽した。


「バディストンではいいものにありつけなかったからな、余計にこっちが食べたくなる」

「そんなにないの?」

「ああ、ない、なんてものじゃない。よくあそこの住民は生活ができるもんだと感心するくらいだったさ。北は、作物が育ちにくいらしい」

 ふうん、とライナはカイルをあやしながら聞いている。

 ああ、とキリィはライナにデューク王から下された首飾りを見せた。


「デューク王からだ。出産祝いだそうだ」

 ライナは目を丸くし、絶句していた。

「な、なんで」

「休暇の途中でバディストンに行った事も考え下さってのことだろう。だから、受け取っておけ」

「じゃあ、カイルに渡していいから?この子にあげたいの」

「それは、ライナが考える事だ、そうしたいならそうすればいい」

「じゃあ、そうする」

 キリィはカイルの頬を軽くつついた。するとカイルはキリィの指をぎゅっと握って放さない。


「本当、生きて帰ってこれてよかった」

 翌朝、キリィはアンネワース夫妻を訪ねた。夫妻は、キリィの無事な姿を見て、満足そうに頷いた。


「無事でよかった。これで、私たちの役目も終わりだな」

「いるでもカイルを見に行ってやってください。ライナも喜ぶでしょうから」

「そうもいっておられんよ、甘えるわけにはな」

「そうですか」

「たまには、な。……、それよりも、ナシェルの母親だが」

「おばさんが、どうかしましたか」

「首を、くくったよ」

 ナシェルの母親の死体を見つけたのは、ドラルフだった。ナシェルの殉職の報は昨日、キリィが家でくつろいでいた時だったようで、弔慰金の金貨の封がきられていないままだったらしい。


「よほどだっただろうな、一人息子を亡くしちまったんだから」

「何か、言い残したことはなかったんですか」

「短い手紙が置かれてあったよ、『寂しい』とだけ書かれていた。キリィ、お前は生きて帰って来てくれてよかった。もし、お前まで死んでしまったら、ライナはどうしていいか分からないだろうし、下手すると、お前を追って死んでしまうかもしれないからな」

「まさか、子供がいるのに」

「いや、ライナはそれくらいお前に惚れているのさ。任務とはいえ、危険な目に遭っているお前を、ライナはいつも心配していた。こっちが見ていて気の毒になるほどだったよ」

 ドラルフとマリエは、キリィの筋肉質な手を握った。


「いいか。お前はもう一人じゃない。命を背負っていることを、忘れるなよ」

「ええ、分かっています。ライナを置いて死にません」

「ああ、そうしてくれ。仕事の関係上、危険なことも多いだろうが、そのことだけは、くれぐれも忘れるなよ。先輩、として忠告する」

 ドラルフは暫く握った手を放そうとしなかった。


 家に帰る道すがら、酒場に寄ろうか、とキリィは考えたが、どうにもそのような気分になれなかった。ナシェルの母が自ら命を絶った、ということが重くのしかかっている、ということもあるが、ライナの傍にいたい、という気分が勝っていたからだった。

「そういや、あの狼野郎は、どうしてるかな。……、エファルとかいっていたか」



 ムーラの内政の混乱は未だ膠着状態から脱していない。神の森へ、バディストンが侵攻し、すでに二周期は経っているというのに、だ。

 ではその間、ボールド・ゴードン卿は手をこまねていたか、というと、ただ執拗に評議員たちの説得のために奔走していた。


 もともと、強議員たちの中でも、バディストンの神の森侵攻については、主戦、穏健、非戦、降伏と様々に議論があって、紛々としてあったため、評議会としては身動きが取れないでいた。リンク王は緊急事態宣言を発令によって権力集中はできたはずだが、それも一部の、それも降伏派と非戦派の評議員たちによって監視されてしまって、どうにもならない。


 そこで、ゴードン卿は、主戦派と穏健派、とくに主戦派について、説得に回った。穏健派の一人、サジェル・マイゼンと何度も会談をした。

 サジェル・マイゼンはのちに上級魔術審問官という、いうなれば司法の職につくが、このときはまだ無名の評議員の一人でしかない。


 ゴードン卿は、サジェルの屋敷にあって、何度目になるかわからないほどの会談だった。

 ゴードン卿は、応接間の深いソファに座っている。

「それで、勢力はどうなった?サジェル」

「今のところは、半々、というところでしょう。主戦派と、穏健派の一部が、主戦派に変わりました。ただ、非戦と降伏の二派というべき評議員たちの結束も硬く、これ以上は難しいでしょう」

「なんともはや、己たち以外に国を守る者がいるはずがないのに、それすらも分らんとはな」

「小さな紛争を除けば、ウィンデリア戦争を最後にして、およそ百七十周期ほど戦争がありませんからな、戦争に引け目を覚えるのは無理もありません。……、ただ、非戦はともかく、降伏派の中に、なにやら不穏な動きもありますが」

「不穏な動き?」

 ゴードン卿はソファから身を乗り出した。


「ええ」

「どういう動きだ?」

「降伏派の中に、バディストンの意向を受けている者がいる、という話があります」

「ということか」

「そうではなく、買収されているのではないか、と。我が国を併呑した後にしかるべき領地と権限を与える、とか。そういう口約束らしいですね」

「口約束で裏切るほど軽い連中がおるのか、この国に」

「それだけではないでしょう。もともと、リンク王に対する反感のようなものもあれば、当然反逆の芽はありますから、そこを突かれれば、あるいは」

「情けない限りだな、そういう奴が評議員になり、それを選ぶ連中がいる」

「それがお嫌なら、この国の制度そのものを変えるしかありません。……、まあ、そのような悠長なことを言っている事態ではありませんから、降伏派を寝返らせるか、あるいは捕まえるか」

「評議員の身分保障は知っているだろう」

「ですが、一方で国家反逆者はその身分を問わず拘束が出来、評議員の場合は身分剥奪となり、逮捕されます。ですが、その為には十分は裏付けが必要になりますね」

「裏付けもないのか」

「あくまで、噂ですからね。噂で逮捕は難しいでしょう」

 ゴードンは薬草茶をのみほすと、暫く考え込んだ様子で動く様子はない。


「ゴードン卿?」

「いや、良い話を聞かせてもらった。もうそろそろ帰るとしようか」

「そうですか。お菓子も用意したのですが」

「息子に、菓子は控えるように言われているからな、また今度だ」

「おや、普段はフレデリックのいうなど意に介さない御方であるのに。珍しい」

「そういう日もあるさ」

 屋敷に戻ったゴードン卿は、直ぐにフレデリックを呼んだ。


「随分と早かったですね」

「それよりも、お前、マクミットとはまだ連絡を取っているか?」

「ま、まあ。それが何か?」

「今、連絡を取れるか?どういう方法でもいい」

「彼女は『通信』が使えますから、それでやり取りは出来ます。ですが、これは当人同士でないとできませんから、父さんには無理ですよ?」

「いいから、早くしろ」

 フレデリックが机の上に小さな魔法陣を描くと、暫くして人形のようなマクミットが現れた。


『どうしたの?フレッド』

「すまない、いま、父さんが連絡を取れって。……、で、どうすればいいんだ?」

「マクミットにな、ムーラの評議員の中で、バディストンに近づいている奴を教えるように言え」

 フレデリックがそのように伝えると、小さなマクミットは笑った。

『ムーラの裏切り者を出せっていうことね?残念だけど、今はそういう話は聞いていない』

「でも、ムーラにはそういう噂が立っているんだよ。聞いたことはない?」

『あったとしても、私とあなたたちは今は敵同士よ?そのような事を話すわけがないでしょ』

「でも、僕は君を敵だと思ったことはない。何処の誰であろうが、君は君さ」

『……、ばかね、そんなこというから、後ろ髪が引かれるのよ』

「なんだって?」

『こっちの話よ。……、なぜ、それを知りたいの?』

「戦争を避けたいからじゃないかな。ムーラの中では、混乱が起きている。それをおさめて、バディストンに備えたいんだよ」

『……、ひとまずは調べてみる。でも、期待はしないでね』

 わかったよ、とフレッドの答えが通信の最後になった。


「これでいいですか?父さん」

「ああ、それでいい。それとなフレッド、評議員の中で非戦と降伏を表明している連中の名前を調べておいてくれ」

「確かめるんですね?」

「そのような簡単な話ではないさ」

 ゴードン卿はフレッドに耳打ちをすると、フレッドの顔はみるみるうちに青ざめて変わっていくのがわかった。


「そ、それはいくらなんでも」

「緊急を要するんだ、大事の前の小事、というだ」

「しかし。いくらなんでもそれは。……」

 フレッドはなおも逡巡していると、ゴードン卿は、

「国のためだ、やるしかない」

 そういって、決して譲ろうとしなかった。

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