第13話

「キリィ、それ以上飲むと明日に響くんじゃないのか?」

 酒屋のあるじが、机に突っ伏しているキリィに言った。


「金は払うよ、親父」

「まあ、ツケじゃないならいいけどさ。ほどほどにしときなよ?」


 あるじが苦笑いをしながら新しい酒の入ったジョッキを渡し、古いジョッキを下げた。キリィが酒に口をつけたとき、不意に

「じろじろ見られて飲む酒は旨くねえんだよ」

 と周囲に聞こえるほどの大きさで言って立ち上ると、後ろのテーブルで食事をしている男の前に座った。


「久しぶりだな」

「相変わらず酒が好きだなお前な」


「酒ほどいいもんはねえぞ、世界の嫌な事を忘れられる」

「だったら思い出してもらわないといけないな」

「ケッ。……」

 キリィは不穏な顔つきのまま、ジョッキの酒をあおった。


「この前、やっと南の竜諸島ドラグーンアイランズから戻ってきたばかりだぞ。他にやらせろよ」

「お前しか手が空いてるやつがいないんだよ。情報省としても、お前の腕を買っているわけだからな」


 キリィの目つきが変わった。据わった、というより鋭くなった。

「どこに行くんだ?今度は」

「バディストンだ」

「例のラグランスか」


「ああ、今、バディストンが何をやろうとしているかは知っているな」

「ムーラ侵攻か」


「神の森が襲われた。おそらく、これは端緒だろう、と王は睨んでいる。西に攻めるとすれば、他はがら空きだ。我らが騎士団を使って北上すれば、事態はさらに混迷するだろう。バディストンの狙いが何か。なぜ、ムーラ侵攻を始めたのか。ラグランスは何をやろうとしているのか。なんでもいい、情報を仕入れて来い」


「俺だけがやるのか?」

「他にも潜入している者がいる。そいつらと連携を取って行動してくれ。それから、バディストンに入ったら、向こうの人間として暮らせ」

「分ったよ。……、人使いが荒いね、お前達は」


「これが終ったら今回の休暇に今度の分も足してやる。だからつべこべ言うな」

 ふん、とキリィは鼻であしらうと、残りの酒を一気に飲み干した。


「これでしばらくこの店とはお別れだな。名残惜しいが、続きはまただな」

 キリィは男にここでの会計を押しつけて店を出た。


 突風が一陣吹くと、キリィは身を縮めて突風に備えて、路地を歩きだした。すでに人通りは少なくなって、キリィがすれ違ったのはほんの二、三人くらいだった。東からの乾いた風がキリィの体を通り抜けていく。キリィの顔の赤みが和らいだ。


 月下の鷹郊外にあるシーアンという村で構えている石造りの家は、祖父の代から住み続けている。木の扉を開け、

「帰ったぞ」

 遠くに声をかけると、少し間が開いて、妻のライナが大きなお腹を抱えてやって来た。


「お帰りなさい、ご苦労様でした」

「ああ、ちょっと飲んだ」

「あら。メルガ芋のスープとトマスの塩漬けを焼いたものを作ったのだけど、どうしましょう」

「食べる。そのままにして置いてくれ」

「でも、お腹いっぱいじゃ」

「途中で食べ損なったのさ、もらう」


 ダイニングの席に着くと、ライナがメルガ芋と腸詰を煮たスープと、トマスという種類の四つ足獣の足もも肉を塩漬けにし、それを焼いたもの、さらに小麦パンが並べられた。


 キリィは一口、メルガ芋の小口切りを口に運び、何度か咀嚼すると、今度はスープを啜った。

「旨い」

 ライナは含み笑いして、

「おかわり?」

 と尋ねた。慌ててキリィが食べ干して、皿を突き出した。再び一杯になったスープをすい、トマスの焼いた肉を食べ、パンをほおばった。


「ライナ」

「私は、先に食べたので、どうぞゆっくりと」

「でも、一人で食べるのは少し寂しい」

 では、とライナは大きなお腹をかかえながら、ゆっくりとキリィの隣に座った。


「……、どうしたの?」

「うん。……」

「……、今度はどこ?」

「……、バディストンだ、北方の小国。そこの動静を探る。もうすぐ生まれるというのに、申し訳ない」


 キリィは皿を置いて頭を下げた。

「仕事なんだから、しょうがないじゃない。直ぐに帰ってこられるの?」

 いや、とキリィは首を振った。ライナは仕方ない、と笑いながら、

「今度帰ってくるときは、この子がどのくらい大きくなってるのかな」

 と、腹を何度かさすった。すると、


「今、蹴った」

 嬉しそうな顔でつたえながらも、ライナは目尻を指で拭った。

「生きて帰ってくる。今までがそうだったように」

「名前は?」

「名前?」

「そう、この子の名前。書いて、わたしにくれる?」

「なんで、言えばいいじゃないか」


「『死地に赴くものは名づけをしてはいけない』っていうじゃない」

「俺は死地に行くつもりはない。あくまで、動向を探るだけなんだから」

 それでも、ライナは首を振った。


「少しでも安心させて?それくらいいいじゃない」

「……、わかったよ」

 キリィは羊皮紙を広げて男女それぞれの名前を考えた。ライナは腹をさすりながら待っている。暫くして思いついて、

『男なら、カイル。女なら、ベルベット』

 と書き、それを丸く来るんでリボンで縛り、ライナに渡した。


「生まれたらあける。それまでは寝室に置いておくわね」

「ああ、そこは任せるよ」

「……、とにかく、帰ってきて。一目だけでも、子供に会って」

「会うどころか、一緒に遊んでやるさ。へとへとになるまでな」

 ライナはくすくすと笑った。


「いっしょになって五年、やっと授かった子供なのに」

「巡り合わせがとことん悪いらしい。まあ、一緒になっても、大半が竜諸島にいたからな」

「仕事とはいえ、王様を怨みます」

「おいおい、そういうのは言わないでくれ、それで俺達は生活をしているのだから」

「冗談よ。でも、もう少し一緒にいたかったのだけれど」

「今度の仕事が終わったら、今回の分に次の分をさらに上乗せしてくれるらしい」

「そう、あてにしないで待っておくわ」

 ライナはそう微笑むと、食事を終えたキリィの食器を片付け始めた。


「で、いつから出発?」

「準備が整い次第だ。いつからとは聞かされていないが、恐らくすぐにでも行ってほしいだろう。だから、近所に話をつけてからだ。準備はその間にするよ」

 キリィの家から一番近いアンネワース夫妻の家でも、歩いて半日はかかる。馬ならばさほどにかからないが、アンネワース夫妻の馬は農耕用の馬で、もう少しかかる。


「そうか、今度はバディストンにな」

 ドラルフ・アンネワーズと妻のマリエ・アンネワースは、ため息をついた。

「遠いわね」

 やや鬱屈したような声で、マリエは言った。


「ここからは行くだけで季節をまたぐだろうし、帰ってくるまでに何度季節を回すことになるか。まあ、それが仕事なんですがね」

「まあ、ライナさんのことは任せておきなさい。すぐにでも、迎えに行ってやろう」

「ありがとうございます。助かります」

「なあに、お前さん方は、私たちにとっては息子夫婦みたいなものだ。心置きなく行ってこい。そして、必ず帰ってくるんだぞ」

「死にはしませんよ、これまで何度死ぬと思って生きて帰ってきたか」

「そうだな。お前は必ず帰ってくる。だから、死ぬな」

「ええ、死にません」

 キリィが家に戻ってきた時、ライナは沈んだ顔をしながらキリィの旅支度を整えてくれていた。


「アンズワースさんが迎えに来てくれる。だから、安心してくれ」

「私の事より、あなたが心配。無茶はしないだろうけど、向こう見ずなところもあるから」

「大丈夫だ、……、行って来る」

 旅の姿のキリィは、ひとまず月下の鷹に向かった。情報省の中央本部はそこにある。


 情報大臣のイリア・パッソムは、デューク王を支える大臣の一人であり、王の妾の一人であるとも言われている。が、実際はそのような関係ではなく、実力主義の王によって見出された一人である。


「キリィ・ランバート、立て続けの任務だが、よろしく頼む」

 正式な任務はすべて口頭で伝えられ、記録に残さないのが、情報省の工作員の仕事で、工作員たちは当然に驚異的な記憶力を持っておかねばならない。無論、キリィもその一人で、キリィの場合はその記憶力がずば抜けて優れている。


「期間は、無制限だ。交代要員もないと考えておいてくれ。……、たしか妻との間に子供がいたな」

「まだ生まれておりませんが、知り合いの者に後を頼みました」

「情報省としても、気にはかけておこう」

 イリアは西大陸の地図を取り出させ、広げてバディストンの位置を説明した。

「これだと普通に行けば季節は三つほど飛びますね」

「今が、炎の期にはいったところだから、向こうに着くのは地の期の中頃になるか。……、一番寒い季節になるな」

「もう少し後伸ばしにしていただきたいものですが、子供の事もありますので」

「そうしてやりたいが、王は直ぐにでも行ってほしいという仰せだった。諦めてくれ」


 そういってイリアは銀貨の入った小袋を渡し、いざとなったら使うように伝えた。

 バディストンの目前までは順調な旅だったが、炎の期ということもあって、キリィは汗でねばつくような皮膚感覚をおぼえていた。

 バディストンの国境警備は厳しく、外国から入ってくる場合には、その国の在留申請がなければならない。


 キリィはイリアから渡された申請を渡すと、バディストンの役人はそれを丹念に、それこそインキのカスレでも見つけそうなほどに読みこんで、

「いいだろう、通れ。ただし、我が領内ではすこしでも不穏な動きを刷ればすぐに消すからな」

 と半ば脅しのような定型の文句をいうと、キリィは腹立たしさを隠して愛想笑いをした。


 町は小さな都市国家のような様子で、一見すると余所者はすぐに目立ちそうなものだが、バディストンの国民は、余所者についてはあまり関心がないらしい。

 イリアに伝えられた工作員のねぐらは、大胆な事に、城の目と鼻の先にある、小さな民家だった。


 扉を三度、ノックした。少し間をおいて、二度ノックした。すると扉の向こうから、

「月夜の鷹はどこにいる」

 という言葉が聞こえる。キリィは、

「月夜の鷹はすでに消え去っている」

 と答えると、扉が開いた。

「キリィ・ランバートか、お前が来るなら安心だ」

 工作員の一人が出迎えて中に引き入れいた。


 何の変哲もない民家で、キリィはそこにあったソファにこしかけた。

「子供が生まれそうなのに、どうにも運がない」

「そういう時に運は使わないものだ、いざとなった時に使えなくなるからな。で、竜諸島はどうだった」

「暑いのなんのって、よくあれで竜人たちは生活ができるな。俺なら出ていくね、すぐに。それに、竜諸島の盟主は、動く気配はない」

「なるほど、それで呼び戻されたのか」

「バディストンは」

「すでに、何かを運びこんでいるようだ。そこからはあまり動きはない。まあ、ひとまずはゆっくりしてくれ。明日から働いてもらうがな」

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