第12話

そこには角のついたトカゲのような顔をした、獣人だった。全身が鱗に覆われていて、えらに水かきのようなものがついている。


「貴殿は?」

「ベラグラハム。その馬はあるところに売り渡すことになっているんだ」

「べらぐらはむ、おぬしのやっていることは盗っ人でござる。盗っ人の言い分を聞く耳は持ち合わせておらぬ」


 エファルが馬を解放させると、馬たちは喜び勇んで屋敷から逃げ出していく。ただ、アケビだけが残った。


「そこの黒の牝馬、いい馬だな。あれは金になるんだ、どうだ?山分けってのは」

「この、大馬鹿者!!」

 エファルの声はよくとおるので、この怒鳴り声はベラグラハムがひるむには十分だった。

「このアケビを売り渡すとな?このアケビは、それがしにとっては相棒のようなものだ、それを些少の金子で売れ、と。貴様には良心の欠片も残っておらぬようだな」

「うるせえ!どうでも置いていかねえなら、お前を殺すまでだ」


 ベラグラハムが腰の曲刀を抜いて構える。エファルは腰の長剣に手をかけるが、抜く気配がない。


「どうした、かかってこないのか」


 ベラグラハムの挑発には、エファルはのらなかった。ベラグラハムがエファルに飛びかかって曲刀を振り下ろした。

 かと思った次の瞬間には、ベラグラハムの曲刀ははるか後方に弾き飛ばされていた。


「な、何があったんだ?」

「タイ捨流の居合でござる。詳細は訳あって話せぬが、このようなことはできる」

「……、まいった。俺の負けだ」

「では、返してもらうぞ」

「良い腕だな、俺の用心棒にならないか?分け前は五分、悪い話じゃねえぜ」


 アケビが心配そうな顔をしてエファルを見つめる。エファルはアケビの鼻を撫でながら、

「生憎、そのようなことに関わっている場合ではない。それに、それがしは盗っ人稼業に精を出さねばならぬほど、ひもじいわけではない」


「惜しいね、その腕で」


「改心すれば命だけは見逃してやろう。ただし、二度とこのような真似はすまいぞ」


 エファルがアケビと共に馬小屋から屋敷を出ようとしたとき、ベラグラハムが隠し持っていた短剣でエファルの背中を刺した。アケビが大きく鳴いて後ろ脚でベラグラハムを蹴り上げると、ベラグラハムは大きく吹っ飛び、背中から落ちた。


 呻きながら立ち上ろうとするベラグラハムを文字通り尻目にして、エファルはようようの事でアケビの胴体に乗った。

「ア、アケビ。……ひとまず。……神の森だ」

 アケビは返事をして、エファルを落さぬように、しかし最大限の速度で神の森に向かった。


 神の森の外で、アーフェルタインが立ち尽くして待っている。

「どうだ、帰ってきたか」

 ニーアフェルトも外に出てきた。

「さあ、さっき出かけたばかりですからね、もう少し時間がかかりますよ」

「まあ、一旦中に入るか」


 ニーアが入ろうとするが、アーフェルタインは入ろうとせず、向こうを指さした。

「あれは、アケビですね。……、ニーア、治療の用意をお願いします」

 わかった、とニーアフェルトが森の中に戻っていく。アーフェルタインは全速力でアケビに近づく。


 アケビは全身に汗をかき、首を上下させて息を整えている。そして、振り返るように鼻を向けると、アーフェルタインが気付いた。

「エ、エファルさん?」

 エファルの腰のあたりから、青色の血か流れ出て、その痕跡がはるか向こうまで続いている。


「アケビ、よく頑張りました。あとは、こちらにお任せください」

 アケビは何度も頷くと、アーフェルタインはアケビを曳いて、神の森に入った。


 暖かな陽だまりの中で、陽之助は未だ起きる気配がない。

「旦那様、登城されませぬのか?」

 あけびが陽之助に話しかけるが、陽之助は横になってすやすやと寝ているだけである。あけびはたまりかねて陽之助をゆり起こそうとするが、陽之助は全く起きる気配がない。

「旦那様は一度寝ると、自分から起きない限り、梃子でも起きないのですから、困ったこのです」

 といいつつも、あけびは仕方なさそうに笑っている。

「榊殿!!」

 表の方で声がする。小太郎が出向くと、同じお納戸役の中山彦四郎が出てこない陽之助を迎えに来ていた。

「旦那様、中山様がお見えになられましたよ」

 それでも陽之助は起きる気配がなかった。


 神の森の御大の屋敷の一室のベッドに、エファルは目を閉じて横たわっている。すでに傷はアーフェルタインの魔術によって塞がっていて、命自体に危険はないが、昏々とエファルは眠っている。

 アーフェルタインやハンナが時折様子を見に行くが、エファルは目を開けることはない。


「死ぬ、ということはないだろうがな」

 御大の表情はなんとも言えないものだった。

「エファルさんは死にませんよ、傷も塞がったのですから」

「しかし、奴の血がどれほど失われたのかによるぞ。いくら回復魔術でも、血を増やすことはできないのだからな」

「そのあたりは、エファルさんの体力次第です」

 屋敷の外では、アケビがエファルの眠っている部屋のそばを離れようとしない。

「あの黒馬、よほど奴が好きらしいな」

「ええ、ビシャの町に見初められてから、ずっとですよ」

「随分と疲れているだろうに、けなげな事だ」

 アケビは外で待ち、ハンナは休むこともせず看病を続けた。エファルは四日眠り続けた。


 エファルが目を開き、天井が見えた時、

「久方ぶりにいい夢を見た」

 といって体を起こした。包帯の取り換えのために部屋に入って来たハンナが涙を浮かべてエファルに飛びついた。同時に、アケビは一息ついたようにその場にしゃがみ、眠り始めた。


 ハンナが触れまわったことで、皆がエファルの部屋に集まった。

「そういえば、べらぐらはむとか申す蜥蜴のような男に刺されて。……」

「トカゲではなく、竜族だろう。そいつがどうかしたのか」

「その者、馬泥棒でござった。ばーすとからの帰路の途中で小さな村に立ち寄り申した。ところがその村は馬泥棒の村でござってな、恐らく奴は、その泥棒の首領かと推察致す。馬を南方の国に売り飛ばすとか申しておったので、打ち負かした隙をつかれて。……実に不甲斐ないことでござった。討ち漏らし申した」


「そんなことよりも、ひとまず意識を取り戻してよかった。ハンナもアケビもお前のことを思うて、夜もろくに寝ずに看病していたぞ」

「ハンナ殿、かたじけのうござった」


 いいえ、とハンナは離れ、ひとまずエファルは峠を越した。

 それから数日、エファルは静養した。寝台から体を起こし、次第に外に出ても大丈夫なほどにまで回復していった。

 エファルは体を動かし始めた。長剣を以て剣を振るう。上段から振り下ろし。下段から撥ね上げたかと思えば、胴貫きを打ち、袈裟斬り。突きを三度入れ、後ろを向いて剣を振る。まるで何人もの相手を一人で打ち負かすような迫力があった。納刀し、一礼したところで拍手が起こった。アーフェルタインだった。


「実に素晴らしい剣捌きですね。あらためてほれぼれとしました」

「お粗末でござった」

「その様子ですと、もう大丈夫のようですね」

 アーフェルタインは何か言いだしそびれているようで、もじもじとしているのがわかる。


「アーフェルタイン殿はなにか言いたいことがあるのでは?」

「……、いえ、特にはありませんよ?そう見えましたか」

「いつもの貴殿ならば、もうすこし流ちょうに口が滑る所がござる。そのことで、それがしは少し浮ばれるところもあり申した。それが、今、貴殿はそれとは真逆に、なにやら口を縫い合わせたかの如く重うござる」

「……、少しの間、私は貴方と別れなければなりません」

「別れる?」

「ええ、ほんの少し。ですから、エファルさんはここでお待ちください」


 エファルが何かを尋ねても、アーフェルタインは口を閉じて話そうとせず、無言のまま去っていった。

 エファルは御大を尋ねた。

「アーフェルタイン殿が、なにやら口を重くしておりましたが、なんぞありましたか」

「ああ、いや。実は少し用事を頼んだだけだ」

「用事、でござるか」

「そうだ。それは、狼族には関係のないことだ。それよりも、これからどうする。もう一度ムーラに向かうか」

「いちど、ゴードン殿を訪ねたく思うが、気になっているのは、魔獣の子供たちの行方でござる。子供たちを助けに向かいとうござる」

「それは、狼族には関係のないことではないか」

 さにあらず、とエファルは頭を振った。


 エファルは、元をただせばバディストンの領土的野心から起こったこの変事であり、ましてや神の森において重要な魔獣たちの子供を誘拐したことについて責任がある、といった。

「しかし、それはラグランスとかいう小僧が仕掛けたものではないか。お前が加担したわけではないだろうに」

「とはいえ、自らの故国が他国を蹂躙せしめ、乱取りするなど許されるわけではござらぬ。それに、それがしはハーロルト様の仇を討たねばなりませぬ」

「一人で行くのか?」

「ハンナ殿をよろしくお願い申し上げる」

「無茶な事をするな、お前は。……、つくづく、お前は不思議な狼族だ」

「よく、言われまする」

「奇妙な奴だとおもっていたが、悪い奴ではない。その善なる心を、なくさぬようにな」

「肝に、銘じまする」


 エファルはハンナに内緒で支度をととのえ、神の森を出ようとしたとき、後ろからついてくる気配があった。

「ハンナ殿か?」

 と振り返ると、少し怒ったような顔をしているアケビだった。

「アケビ」

 ぶるる、とアケビは鳴らし、エファルをじっと見つめている。

「厳しい旅になるぞ?」

 頷くアケビに、なぜかエファルは置いていけば生涯後悔しそうな気がした。

「これも何かのめぐりあわせやもしれず、では、死のうも生きるも供にあるか?」

 アケビはようやく笑った。

「ならば、これからよろしく頼むぞ」

 エファルはアケビの轡を掴んで、神の森を出た。



 バディストン公国の南にある『シーフ=ロード』は、まだ平和のまどろみの中にあって、誰もが今日も明日もわからぬような日々を送っている。

 首都は、月下の鷹ムーンホークといった。鷹がこの国の象徴であり、いくら惰性の中にあっても、その本能は消えてなくならない。

 各地に散らばっている、『鷹の目』と呼ばれる工作員が暗躍していて、それから齎される情報はどのようなささいな事、つまらないことでも、必ず届く情報網が出来上がっている。


「バディストンがムーラに?」

 首都と同じ名前の城にある執務の間にいるデューク・ガーストⅧ世の声色が少し高くなった。数ある情報中で、デューク・ガーストⅧ世が一番最初に手にとった情報だった。情報省の長官が答えた。


「はい、その気配がある、と。そしてバディストンは、神の森を襲撃した模様です」

「神の森をな」

「ええ。目的はわかりませんが、エルフ達の抵抗に遭って引上げた様子です」

「エルフ相手に喧嘩をするか。ラグランスという男は間抜けか?」

「いえ、ラグランス公王は、外征を目論んでいるという話がそこかしこから上がっている事を考えると、おそらくムーラを併呑するつもりでは」

「芥子粒のような小国が、古豪の大国を飲み込むか、見ものだな」

「もう少し工作員を張り込ませますか」

「ああ。バディストンに注力しろ。どんな些細なことでもいい、情報を上げさせろ」

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