永遠とは

 森の中を彷徨っている。

 頭ではわかっている。さっさと下山して、崖の下に人が落ちたのだと伝えなくてはならない、と。けれど、どうにもそんな気になれずにいる。

 そもそも、渡垣がそれを望んでいるのか? あたしにはわからない。

 どこか呆然とした心持を抱えたまま、引き返すでもなく、獣道をかきわける。鬱蒼と茂る木々の下、既にどこをどう進んだのかもあやふやなまま、ただただ足を動かす。行く当てなんてない。ただ、こうしてないとおかしくなりそうだった。そうやって歩いていても思考は鈍く巡り続ける。

 なぜ、みんな、自らの手で姿を消してしまうのだろう?

 渡垣みらんについては、少し時間を置いて、辛うじて理解できるようなった。たぶん、中条五羽の後ろを追いかけたのだろう。なにが切欠で後を追おうと思ったのかも、いなくなる前後の会話やなんとなく理解できてしまうが、言語化してしまうと耐えられなくなりそうだ。

 翻って、中条五羽がいなくなったのはわからない。それを解き明かすためのパズルの欠片をあたしは持っていない気がする。結局、この村まで来て、画家の足どりこそ多少解き明かせても、心までは見えてこない。軌跡は途切れてしまっている。

 こうなってくると、何のためにここまでやってきたのかすらわからなくなってくる。色々調べ回っても、心のモヤモヤは晴れることなんてなかったし、意味なんてなかったんじゃないかって。


 暗い森の中でぐるぐる考えながら闇雲に進み続ける。どこも目指していなかったし、そもそもここがどこかもわからない。有体にいって遭難していたが、不思議と恐怖はなかった。どうにでもなれだ。

 目の端にそれがチラついた時、幻じゃないかと思った。

 赤いセーターと黄土色のジーンズを履いている短い髪の少女が薄らと笑いながら、あたしの方を見ていた。どことなく褪せた雰囲気を感じさせる彼女の顔には、見覚えがある。最近、どこかで目にしたような。

 数秒の間を置いて、気付く。佐川由乃。神隠しにあった一人で、中条五羽が探していたその人だった。

 生きていた? いやでも、そうだとすれば、中条より年上のこの人はもっと老けているはずだ。少なくとも、あたしの第一印象である、少女、なんていう表現が出て来ない程度には。けれど、目の前にいる佐川由乃と思しき彼女は、多少大人びた顔つきこそしているものの、あたしよりもかなり若く見える。

 別人? けれど、その姿かたちは昨日見せてもらった写真の中の少女と瓜二つだ。ここまでの一致なんてあり得るんだろうか?

 困惑の最中にいるあたしの前で、少女は踵を返した。そのままどこかしらに行ってしまいそうで、

「待って」

 呼び止めながら、追いかける。

 少女は木々の間を飛び交う野生動物みたいな身軽さで、狭い獣道をなににもぶつからずに進んでいった。対してあたしは、枝で頬を切ったり、根や石でつまずきそうになったりしながら、なんとか付いていく。今は少女の後ろ姿しか見えない。けれど、なぜだかとてもとても楽しそうに笑っているという確信があった。

 中条五羽と佐川由乃はこんな風にして森の間を駆け回っていたのかもしれない。見たこともない記憶のようなものが蘇ってくる感覚。あるいは彼女の方からあたしの頭の中へと思い出が流れこんでいるのかもしれない。その証拠に、由乃とおぼしき少女の周りにはぽつりぽつりと現れていく。かくれんぼの途中らしく、足を止めた少女がどこかしらを指さす度に、顔を出す子供たちが一人、また一人と増えていく。その中には幼き日の快活な表情をした中条五羽もいて、胸が熱くなる。

 そうやって走り回っている少女たちの足が不意に止まった。鬱蒼とした森の中で、子供たちの間に途方に暮れた雰囲気が流れる。おそらく、迷ったのだろう。おまけに強い雨が降ってきたせいで、視界まで悪くなる有様だった。例外なく不安にかられているであろう子供たちの中で、少女は笑顔を振りまき、全員を促して歩きだす。彼女の目は決して楽観的なものではなかったけど、あくまでも笑みは形作り続けていた。

 雨で体が濡れないよう、少し歩いたところにあった古い洞窟へと皆を促す。おそらく、一時の休息のつもりだったのだろう。しかし、雨はなかなかおさまらずそれどころから強くなるばかりで、外に出るのもままならない。段々、肌寒くなる季節だったのもあって、震える子供も出てくる始末。そんな小さな体に寄り添い温めながら、外が晴れるのを待っている最中、唐突に洞穴内で振動が起こる。いち早く異変に気付いたらしい五羽が出口を指さしながらなにかを叫んで駆け出す。それに遅れるようにして、少女、その次に子供たちが動き出した直後、大量の土砂と岩崩れが起こって、全てが吞みこまれた。

 雨の中で、一人だけ脱出に成功した五羽が振り返ったところで、洞窟からは上半身だけを出す少女の姿がある。それ以外の部分は土砂に埋まってしまっているし、おそらくついてきた子供たちも同じだろう。五羽は急いで掘りだそうとするが、子供の小さな手では上手くいかない。その間も、少女はどことなく苦し気ではあったものの、笑顔は崩れないままだった。

 どれだけの時間、そうしていただろうか。既に雨は降り止んで、空からは月明かりが差していた。五羽は手を動かし続けて、由乃をなんとか腰の辺りまで掘りだし、息を吐いたあと、目を大きく見開いた。少女の腹には鋭く尖った大岩が突き刺さっている。おそるおそると五羽が少女の顔を見れば、微笑んだまま動かくなくなっていて……


 翌朝。由乃を掘り出し終えた五羽は、自らよりも大きい体の少女を背負ったまま、終始ふらつきながら歩を進める。時折、後ろ髪引かれるようにして洞窟を振り返りながらも、着実に一歩一歩。獣道の間を縫い、時折キツネとすれ違ったり、枝で体中に傷をつけたり、頻繁に転んだりしつつ、それでも、それでもと飲まず食わずで。そういった繰り返しの果てに、薄い黄金色の光の下で景色が開け――


 目の前で、幾枚かの紅葉が舞いあがる。開けた草原。その真ん中には一本の木。見下ろせば夥しい葉が落ちている。これらの落ち葉が唐突に起こった風かなにかで飛んだものがあたしの前に現れたんだろう。そう察しつつ、興味はここにある大半の葉を落としたであろう、樹木へと向く。近付いていけば、小さな中条五羽が、少女を木の幹に腰かけさせていた。頑なに微笑んだまま彼女を見つめながら、ただただ呆然としている。こちらに気付く様子のない子供を横から覗きこみ気が付く。悲しみに彩られていると思しき男の子の顔は、なぜだかうっとりとしていたのだから。ギョッとしながら視線の先を追う。そして、納得した。

 木の幹に座りこみ、まるで眠っているみたいに微笑む少女。たしかにその姿には、引きつけられるものがあった。同時に納得もする。つまり、永遠というのは……

 一方で、あたしの中には不本意さもある。五羽の視線。それもまた、永遠に一点に注がれている。そして、こちらにはもう二度と向くことはなくて……


 黄昏色の淡い光に照らされながら、強く強く歯を噛み締めた。

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