第38話 ボクは誰なんだろう
「
古い和室。
所々から隙間風が吹いていて、いたるところに新聞紙が挟まれている。
「青海ちゃーん。寝てるのー?」
ドスドスギスギスと、古い階段を登る音が近づいてい来る。
ムクリ、と布団が動いた。
顔を出したのは、18歳ぐらいの少女だろうか。
少しキツめの雰囲気があるけど、まるでまだ夢を見ているみたいに虚空を見つめている。
部屋の窓からは、朝日に照らされた海が見えている。
バタン、と。
勢いよくドアが開かれた。
「あら、起きてたの?」
意外そうに呟いたのは、中年女性だった。
どこにでもいそうな肝っ玉母ちゃんみたいな見た目で、実際には今も右手にお玉を握っている。
「あ、おはようございます」
「おはよう――って」
青海の顔を見た瞬間、中年女性の顔色が変わった。
「なんで泣いてるのよ」
「……え?」
少女――青海は、言われて初めて自分の目元を拭った。
「あれ?」
一度気付くと、ポロポロととめどなく流れていく。
細い指で拭っても拭っても、涙が収まってくれない。
「どうしたの?」
「何か、夢を見た気がするんです。とっても辛い夢」
「そうなの」
中年女性は青海に近づいて、そっと黒髪を撫でた。
優しくて母性溢れる撫で方。
「落ち着いたら、ご飯を食べに降りてきて」
「……うん」
中年女性が部屋からいなくなると、さらに涙の勢いが増していく。
何十分泣いただろうか。
一瞬、泣き疲れて気絶するように眠っていた。
ふと気づいて、自分の頬を叩いて目を覚まさせる青海。
(すごく悲しかったけど、どんな夢を見てたんだろう)
思い出せない。
思い出せないのに、涙が出てしまっていた。
悲しい気持ちで胸がいっぱいになっていた。
だけど直前見ていた夢が思い出せないことなんて、青海にはちっぽけなことだ。
(ボクには、記憶がないしなぁ)
青海は、この家にずっと住んでいたわけではない。
中年女性とずっと一緒にいたわけでもない。
ほんの1か月前に出会ったばかりで、この家のことはあまり知らない。
(……ボク、クジラみたいに砂浜に打ち上げられてたんだよね?)
砂浜で中年女性に助けてもらえた。
目を覚ましたら記憶をなくしていて、
しかも、もう一つ大きな問題を抱えていた。
それなのに、中年女性は面倒まで見てくれている。
(ボクも、頑張らないと)
体を起こして、パジャマから着替える。
(ちょっとサイズが小さいんだよな……)
少し窮屈な思いをしながらも、部屋着に着替えて階段をゆっくりと降りていく。
リビングからは騒々しい音が漏れ出ていて、青海は顔を少し引き締めた。
「おはようございます」
ドアを開けると同時に耳に入ってきたのは――
おぎゃあおぎゃあおぎゃあ、という赤ちゃんの泣き声だった。
「あら、もう大丈夫なの?」
「はい。ごめんなさい。
中年女性――汐美は目元にクシャッとしたしわを作った。
「何も謝る必要はないわよ?」
「赤ちゃんの面倒も任せてしまって……」
「そんなこと気にしなくていいの。私が好きでやってるんだから。それよりも、すぐにご飯を用意してあげるわね」
「……ありがとうございます」
それから出された朝食を食べていく。
港町のためか、魚肉が中心だ。
「おー。よちよちよちよち」
「きゃっきゃっ」
横を見ると、汐美は赤ちゃんと戯れている。
だけど、彼女の子供ではない。
(ボクが産んだ子なんだよね?)
青海には、親になった実感ははない。
産んだ記憶もうろ覚えだ。
だけど、顔がとても似ていて、否が応でも血縁関係を突きつけられてしまう。
ふと左腕をさすると、まだうっすらと
完全に消え切ることはないほどに、深く刻まれている。
(過去のボクに、何があったんだろう)
いくら思い出そうとしても、思い出せない。
無理矢理に思い出そうとすると頭痛に襲われて、吐き気を催してしまう。
1か月。
何も思い出せずに、悶々だ。
ずっと迷子の気分を抱きながらも、青海は今日も生きている。
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