第28話 山で、解放的かつ野性的に
青々しくて、静かな山。
ミンミンとセミの鳴き声が響き、蜃気楼のせいか遠くが歪んでみる。
登山道はあまり整理されていなくて、人通りが少ないことが見て取れる。
そんな場所で、2人のゆったりとした足音が響いている。
「いやー。昨夜のラブホ面白かったねー」
「オレは疲れたぞ……」
ケンと葵生の、死に場所を探す旅。
ここは、その1箇所目だ。
「ふわぁ~~」
ケンは大きな欠伸をかいた後、濃いクマのついた目元を擦った。
顔を上げると広がっているのは、生い茂る緑の数々。
(ああ、緑が心地いい。マイナスイオンのおかげで、マイナスな感情がプラスになっていく)
マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる。
初めて学んだときは納得できなかったケンだけれど、妙なところで実感していた。
「別に、ラブホテルで疲れることしてないじゃん。本当の意味で寝ただけだし」
「お前なぁ。突然隣でAVを見始められたら、誰でも度肝を抜かれるだろ」
「だって、好みの女優だったんだもん」
「そのせいでまともに寝られなかったんだが……。というか、男の時からタイプ変わってねえじゃねえか」
「そりゃあ、体が変わっただけだからね。心は男のままだよ」
「……そうか?」
ケンの疑問形に、葵生は曖昧な返事しか出来なかった。
「それにしても、本当に虫が多い。まるで別世界だ」
「まあ、夏だからね。虫除けスプレーかけてきたのに、効果を感じられない……」
「もっといっぱいかけた方がいいんじゃないか?」
「えー。あんまりこのスプレーの匂い、好きじゃないんだけど」
リュックから虫よけスプレーを取り出した葵生は、自分の周りにスプレーをかけ始めた。
風に乗ってきたスプレーにせき込みながらも、ケンはいぶかし気に言う。
「いや、何をやってるんだ?」
「何って、虫よけスプレーだけど……」
「いや、そう使うものじゃない」
「……え?」
葵生は目を丸くした。
嘘や冗談を言っているようには見えない。
「虫除けスプレーって、自分の周りや服にかけるものじゃないの?」
「いや、地肌にかけるんだぞ?」
「え、それって怖くない?」
「……えー」
素で出たケンの声を聞いて、葵生はむくれてしまった。
ぷくー、と膨れた頬には蚊がくっついてしまった。
「それにしても、山はナシだな」
「そうだね。こんなに虫がいるんじゃ、落ち着いて死ぬこともできない」
「そういえば、葵生は虫を」
葵生は少し考えてから、口を開いた。
街中にいる時よりも声が少し大きい。
「男の時よりも不快度高いかも」
「性別関係あるのか?」
「なんなんだろうなぁ。結構肌の状態が気になるんだよね」
「あー。なるほどなー」
「ケンはあんまりに気にしてないね。いいとことの坊ちゃんのくせに」
「……やめてくれ。オレは我慢してるだけだ」
それから2人は、ひらけた場所を見つけてテントを建て始めた。
夕方になり、適当にカップラーメンを食べて、日が沈むのを雑談しながら眺め――
夜になり、星空を数分眺めた後、歩き疲れのためにテントに入った。
「あははは。テント小さい」
「すまん、1人用だったかも。オレは外で寝るか?」
「何言ってるの。頑張って詰めれば」
「暑いだろ」
「多少暑くても、別にいいじゃん」
「汗臭いだろ」
「それはお互い様。ケンの汗、ちょっといい匂いするかも」
突然匂いをかがれ始めて、ケンは全力で抵抗した。
だけど疲れたのか、すぐに静かになる。
それから数分経って。
「ねえ、ケン」
「なんだ?」
「暇だね」
「……まあな」
2人の表情は白けてしまっている。
「山ってやることがないな」
「電波も届いてないしね」
「動画も見れないのは辛いな」
葵生はケンの手をそっと触れた。
「じゃあ、ケン、セックスしない?」
「ごほっ!」
突然言われたせいで、せき込んでしまった。
「いや、昨日も言っただろ。今はダメだって――」
「ねえ、ケンさん」
葵生が纏う空気が、ピリピリしたものに変わった。
「女は一緒に寝たのに手を出されなかったら、傷つくんだよ?」
「いや、お前は元々男だろ?」
「口答えしないで?」
「はい。すみません」
(これ、本気で怒ってる?)
ケンは困惑のあまり、葵生から目を逸らした。
だけど「ちゃんと目を見て」と言われて、逃げられなくなってしまった。
「でも、葵生さん」
「さん付け禁止」
「……はい」
文句の1つを呟きたかったけど、言える雰囲気ではなかった。
「葵生はえっと、せっく、すぅ……すると、確実に妊娠する上に男に戻れなくなるんですよ?」
「そうだね」
「それはさすがにまずくないか?」
「別にいいじゃん。死ぬんだから関係ないじゃん」
「……そうだな」
ケンは、なんとも言えない顔をしていた。
嬉しいのか悲しいのか、困惑しているのか、怯えているのか、感情がどっちつかずだ。
「……出産したい、とか考えないのか?」
葵生が浮かべたのは、純粋な困惑顔。
「何言ってるの? 僕が誰かの親になれるわけないじゃん。幸せな家庭を知らない、この僕が」
葵生の手が、ケンの股間に伸びていく。
「…………なあ、本当にいいんだな」
「うん。よろしく」
2人の顔が近づいていく。
唇同士がそっと触れて、初めて重なった。
溶けあうように体を絡め合っていく。
だけど、ケンは焦っていた。
(……下半身が全く反応しない)
緊張のせいだろうか。
ピクリともしていなかった。
(……何かが足りない)
ふと、白いうなじが目に入った。
まだ傷がついていない、キレイな肌。
次に目に入ったのは、葵生の左腕に刻まれた噛み痕。
ドクン ドクン ドクン
心臓が高鳴って、1箇所に血液が集まっていく。
(くそっ、葵生のせいでねじ曲がったじゃねえか)
衝動に任せて噛みつくと、ケンの体はカァッと熱くなっていった。
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