第23話 体育祭で悪友に告白する②
「いただきます」
「……ます」
ケンの家に帰った2人は、質素な食卓を囲んでいた。
ケンの手にはおにぎり。
葵生はサンドイッチの封を開けている。
両方とも、コンビニで買ってきたものだ。
「ごめんね。いつもご飯までもらって」
「別に構わない。親から多めに生活費が振り込まれているし」
「そうなんだ。金持ちなんだっけ?」
「金だけあっても、心が貧しい人達だ」
ケンはおにぎりに素手が触れないように、御行事よく食べている。
葵生はサンドイッチを一度分解して、匂いを念入りに嗅いでから口に入れ始めた。
しばらく無言で食べていると、ふと葵生が話し始める。
「ねえ、ご飯の代わりに家事でもしようか?」
「おっぱい揉ませてもらうだけでも十分なんだが」
「うーん、それだけだと、僕が
「でも、葵生は家事ができるのか?」
わずかにしかめっ面をする葵生。
「まあ、掃除以外はできる。掃除とか整理整頓は絶対に無理。それ以外は、実家でもやってたし。やらないと生きられなかったし」
「掃除とかはオレが得意だからいいが……。ごはんも作れなかっただろ」
ケンの指摘に、葵生の頬がプクゥと膨らんだ。
「……ごはんなんて作れなくても困らないじゃん。それに、包丁すらも買っていないケンに言われたくない。今時、どこでもご飯が買えるんだから、料理は家事じゃなくて趣味というべき」
「フライパンはあるからいいだろ」
「包丁使わないと料理って感じしなくない?」
「焼けば大体料理になるだろ。カット野菜を焼いても料理だ」
葵生は少しの間、何もない空間を見つめた。
「そんなことを言えば、カップ麺も料理にならない?」
「いや、カップ麺は料理じゃない。自分で味に関与する余地がなさすぎる。あれは完成品を食べられる形に戻しているだけだ」
「じゃあ、アレンジを加えれば料理になる?」
「アレンジはギリギリ料理だな」
「へー」
また沈黙。
だけど、重苦しい沈黙じゃない。
ただ一緒にいる時間を噛みしめているような、甘い空気。
「ねえ、告白されたんだけど、どうすればいい?」
サンドイッチを食べ終わった葵生は、まるで天気の話をするみたいに切り出した。
ケンは息が詰まりながらも、あらかじめプログラムしていたみたいに口と舌を動かす。
「誰からだ?」
「えっと、あの『神』みたいなクラスメイト」
「ああ」
本当は知っていたし、神メイトに呼び出される葵生の後姿を目撃していた。
それでも、ケンは初めて知った風に相槌をうった
「それで、返事したのか?」
「……何も言わなかった」
ケンは呆れたように言う。
「それはさすがに酷いだろ」
「なんで? 相手は『返事は後でいい』って言ってくれたし」
「返事を待つ側はつらいんだぞ」
葵生の眉がピクリと動く。
「へー。ケンがそれを言うんだ」
「――っ!」
葵生にとっては軽口のつもりだったのかもしれない。
だけど、ケンはめまいに近い衝撃に襲われた。
「ねえ、ケンは僕にどうしてほしい?」
「オレに訊かないでくれよ。そんな資格はない」
「資格とかそういう話じゃない。僕には決められないから」
ケンは乾いた唇をそっと舐めた。
「それで、オレに選ばせるのかよ」
「ケンが選んでくれるなら、後悔することはないから」
「…………」
(なんで、こんな気持ちが湧き上がってくるんだよ)
重要な選択を他人に任せる。
ケンには理解できない行動だし、呆れてしまう気持ちもある。
でも、それ以上に心の底から嬉しさがこみあげてしまっている。
「お前なら、迷いなく断ると思ってた」
「うん。最初は断ろうと思った」
「じゃあ、なんで――」
断ってくれなかったのか、と言いかけて口を閉ざした。
「もし付き合ったら、普通に近づけるかなって思って」
「普通……」
ケンの反芻する声に、葵生はコクリと頷いた。
「普通に告白されて、普通に付き合って、普通に恋愛して、」
「まるで普通の女の子」
「元々男だったけど――ううん、女として生まれ変わったからこそ普通になれるのかぁ、って」
「……女になったからこそ、か」
もし。
葵生が男のまま、女の恋人ができたとする。
その場合、自分はどういう気持ちになるだろうか、とケンは考えた。
おそらくは、同じように裏切られた気持ちになったかもしれない。
でも、今よりは辛さを感じなかっただろう。
「ねえ、ケンは僕に付き合ってほしくないの?」
「なんでだ?」
「酷い顔してる」
思わず自分の顔を隠すケン。
「すまん。だけど、オレは葵生には普通の生活を送って欲しい思ってるんだ」
「やっぱり、今の僕は普通じゃないよね?」
「まあ、普通の学生、と呼ぶのは難しいが……」
言葉を濁すケンに対して、葵生は目を細めた。
「僕がこんな風になったのは、父親のせいだと思ってる」
ケンは相槌もうたなかった。
「でも、あの父親は絶対に変わらない。もし今すぐ変わったとしても、僕は変わらない。本当に理不尽だよね。だから、僕自身が変わるしかない。普通に変われば、生きるのが苦しくなくなるかもしれない」
「葵生は、生きるのが苦しいのか?」
「うん、苦しい。この世界はとっても生きづらい」
葵生は仰向きに倒れて、昼光色の電灯に手を伸ばした。
「でも、ケンといると楽しいよ。楽しいからって苦しみが消えるわけじゃないけど」
「そうだよな」
ケンの遠慮がちな手が、葵生の手を握った。
「ケンがいれば人生が楽しくなる。僕は、そう思い込みたいんだと思う。でも、ケンとこの関係を続けていても、普通の早乙女葵生にはなれない気がする。ケンは、普通じゃない僕を受け入れてしまうから」
ケンは冷や汗で濡れた自分の手の平に不快感を覚えながら、 必死に舌を回す。
「もし、もしもの話。あの場所にいたのがオレじゃなくて、神メイトだったら、お前は神メイトの事が好きになっていたか? オレ以上に」
中学校の卒業式。
ガラスを割っていた人。
もしそれが、ケンではなく神メイトだったら。
「どうだろうね。わかんない」
「……わかんない、か」
ケンの声は、羽虫のように小さかった。
聞こえているのかいないのか、葵生はうわ言のように言葉を継ぐ。
「でも今ここにいるのは、あの時ケンに出会った僕だから。それだけかな」
「……ありがとう」
感謝。
それは、ケンが本当に言いたい言葉じゃない。
(ここで言え、オレ)
ここで一言吐露できれば、すべてを解決できるかもしれない。
自分の苦しみを取り除けるかもしれない。
だけれど、どうしても自信を持って言えない。
「なあ、その告白してきたヤツと、体育祭で戦ってもいいか?」
これが、ケンの精いっぱい。
「なんの戦い?」
「勝った方が、葵生と付き合える」
カチリ、と時針が動く音が響いた。
「ケンはそうしたいの?」
「本当はもっと違うことをしたい。だけど、オレはこんな風にしか頑張れないから」
葵生の頬が、ゆっくりと緩んだ。
「じゃあ、応援してる」
それはどういう意味だろうか。
ケンには、訊く勇気もなかった。
(ああ、ダメだ。頭と心臓が痛い)
何も考えたくなくて、ケンは自分の頭をすっからかんの空っぽにした。
全くの無。透明。
そのはずなのに、ぼんやりと文字が浮かんできた。
卑怯。
さらに自分自身に嫌気が差して、深いため息が漏れるのだった。
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