第10話 ドキドキ初登校と、問題児クラス①

 鮮やかな藍色で落ち着きのあるブレザー。

 メリハリがはっきりした、寒色系のチェック柄が眩しいスカート。

 胸元を華やかにする、大きくて朱色のネクタイ。


 制服らしさの中で、出来る限りかわいらしさを追求したのが見て取れる。

 


(たしか、他の高校と比べて制服がかわいいって有名なんだっけ)



 葵生の眉が、無意識に険しくなる。 

 誰が見ても、言いたいことを理解できてしまうだろう。



(うわ、着たくない)



 なんだか、この制服を着ているだけで『かわいい制服を着たくて、あの高校に入ったんだ』と周囲から思われる気がした。

 葵生が今の高校を選んだのは、家から近かったし学力がちょうどよかったからだ。

 それ以上の理由はないし、他人に邪推されるのはイヤだった。



(でも、着ないと面倒くさいよなぁ)



 葵生達が通っているのは、自称進学校だ。

 変な規則や風習が多くて生徒指導も厳しい。

 特に厳しいと言われているのは、身だしなみだ。


 スカートの丈から髪の色、細かい髪型に至るまで、細かくチェックされてしまう。

 それでかわいらしい制服を用意しているのだから、どうしても矛盾を感じる生徒は多い。



(どんな生徒が欲しいのか、はっきりして欲しい)



 葵生は『このままではらちがあかない』と考えなおして、袖を通してみることにした。


 パジャマ代わりにしていたジャージを脱ぐと、すぐに肌色が姿を現す。

 下着をつけていないから、あっという間に裸になった。


 姿見に映った自分の生まれたままの姿を、葵生はジト目で眺める。



(なんていうか、いい体してるよなぁ)



 葵生が男の時に好きだったAV女優と似たような体型をしている。

 胸が大きいのに、体のラインは細い。

 まるで栄養のすべてが胸の脂肪に集まったみたいだ。

 


(さっさと着替えよう)



 無表情のまま、制服を着ていく。

 念のためブラジャーも身に着けようとするけど、正しい着け方もわからずに適当に着た。


 しかし、パンツは履く気になれなかった。

 ブラジャーは女しか身に着けないものだから、妥協が出来る。


 だけど、パンツは違う。

 パンツには男物と女物がある。

 男は男物を履くし、女は女物を履く。

 それは絶対のことで、自分の性自認を明確にして、

 言うなれば、


 少なくとも、葵生はそう考えている。


 葵生は女物のパンツを一旦、床に放った。



(とりあえず、制服を着てから考えよう)

 


 制服を着るのには、さほど時間はかからなかった。

 着方は簡単だったし、スカートを履くのはパンツを履くより抵抗感が薄かったのだ。



(うわ、なんだこれ)



 第3者が見れば、思わずため息を漏らすほどに似合っている。

 モデルとしてもやっていけるだろう。

 だけど、葵生は鏡の中の自分が認められなかった。


 自分はこんなんじゃない。

 早乙女葵生はもっと醜くないといけない。

 だけど、そんな感情はグッと我慢する。


 そして、気になったのはスカートの長さだ。



(そういえば、スカートの丈が校則で決まってるんだっけ)



 今まで気にしたことがないから、細かいところは覚えていない。

 ネットで検索しても、校則は全くヒットしない。

 校則を確認するために



(なんで載せててくれないんだよ。そんなにやましい校則があるのか?)



 舌打ちをしながら、少し長めに調整した。



(うわあ。スースーする)



 もう一度、女物のパンツを持ち上げる。

 一応トランクスも用意してあるけど、葵生は不安になってしまう。



(トランクスを履いたりノーパンだったら、警察に捕まったりしないよね?)



 初めてのことで、判断がつかない。

 考えれば考えるほど不安になってきて、リスクとプライドを天秤にかけた結果、ギリギリでプライドが負けた。


 

(まあ、いいや。履こう)



 部屋を出ようと1歩足を進めると、急に大きな違和感を覚えた。


 歩いた時の、布や肌が擦れる感触の違いに戸惑って、歩き方がよくわからなくなってしまったのだ。



(あーもー。ちゃんと予行練習しとくんだったな)



 力まかせに部屋のドアを開けると、お茶の間に出た。


 床が見えなくどころか、空間のほとんどがゴミで埋め尽くされている。

 テレビはないけど、グシャグシャのエロ本が開きっぱなしで落ちていた。


 この部屋に比べれば、葵生の部屋はまだマシだ。


 

「……ふごっ」



 ゴミの中に敷かれた、カビ臭い布団。

 その中で、中年男性が寝ている。


 痩せこけていて、髭も髪も生え放題。

 外に出ればたちまちに浮浪者と見分けがつかなくなってしまうだろう。



(くそっ)



 葵生には寝息を聞くだけでも不快だった。

 血は繋がっているけど、父親と認めていないし、早く縁を切りたいとさえ思っている。


 さっさと家を出ようとゴミの上を歩くと、イヤな感触が靴下を通して伝わった。



 クシャクシャで、黄色くなったティッシュ。

 男なら、何に使用したティッシュなのかはわかるだろう。



「――っ!」



 男の時でも不快だったが、今回の不快感はその比ではなかった。


 全身の鳥肌が立った。

 顔色が真っ青になって、全身が硬直する。

 父親に気付かれたくなくて、叫ぼうとする口を必死に抑えこんだ。



(落ち着け、落ち着け、落ち着け)



 深呼吸して心を落ち着かせること、5分。

 ようやく、足の痺れがおさまって歩くことができた。


 カーテンが閉まった薄暗い部屋化を、慎重に進んでいく。



 無事に玄関を出ると、青い空が広がっていた。


 周囲の部屋からも住人が出てきているけど、誰も挨拶すらしていない。

 ここは市営住宅だ。

 


(ここの人達の何割が、生活保護で生きてるんだろう。僕も含めて)



 明るい色の壁と光を効率的に取り込む窓でも、暗い空気を隠しきれていない。

 葵生は周囲に同じ制服の子供がいないことを確認してから、道路に出る。



「いってらっしゃい」



 突然ゴミ捨て場にいた、名前も知らないオバサンに挨拶をされた。

 世話好きで有名で、周囲からは厄介扱いされている人だ。

 本人が自覚しているのかは、葵生は知りたくもない。



「……いってきます」



 面倒くさそうに後頭部を掻きながら、女として初めての登校をするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る