第18話 異端の魔女
メイシアからさらに北上し、私達はロザリアとの国境付近を歩いていた。この辺りは昔と変わらない。ひどく殺風景な荒野が広がっている。あるものといえば土塊と枯れ草くらいなもので、生き物の気配はまるでしない。
「なあ、フィオナ、本当にこっちでいいのか?」
私の後を歩くアランがマントで北風を凌ぎながら尋ねてくる。
「多分ね」
しばらく進むと、アランが再び口を開いた。
「待て」
「えっ?」
アランの視線を辿ると、その先には白い兜を被った人の姿があった。ロザリアとの国境沿いにある崩れかけた壁の上から私達を見下ろしている。鎧の隙間からは、微かに漏れ出た瘴気がたなびいていた。
「異骸……か?」
「ええ、そうみたい」
私は王家の紋章をかざしてみる。けれども向こうからは何の反応もない。
「だめね。ロザリアの民ではないのかしら」
「俺達を襲う気もないようだが……」
「確かに害意はなさそうね。でも少し気味が悪いわ。先を急ぎましょう」
「ああ、そうだな」
その異骸は、私達が見えなくなるまで、背中をじっと見ていた。
再び瘴気の混じった風の中を進んでいくと、枯れ果てた黒い森が見えてくる。異骸化した鳥の魔物が、時折ギャアギャアと鳴き声を上げていた。
中へと踏み込むと、鳥達の鳴き声がピタリと止む。突然の静寂を不気味に感じていると、今度は錆びついた歯車を噛み合わせたような金属音と大きな足音が聞こえてくる。
魔獣だろうか。念のために魔力を練り上げていると、暗い茂みの中から赤い眼光がこちらを覗き込む。アランが私を下がらせて剣に手を添える。するとその異形はもう一歩前に出て姿を現した。
黒竜のようだが片方の角は折れ、翼は穴だらけだった。けれども老齢ながら肉体は屈強で、その力強い眼差しには竜の誇りを感じられる。
彼は私を見ると、ゆっくりとこちらに顔を近づけてくる。長い首を覆う錆びた鱗は擦れ、ギシギシと音を響かせていた。
アランが抜刀したが、私は彼の前に出た。
「待って」
その竜は私の匂いを嗅ぐと
「ニール……?」
私の口から溢れたその名を聞くと、鼻から瘴気を漏らしながら、喉を鳴らして反応してくれた。その鳴き声が、私の記憶を呼び覚ます。
ロザリアの竜騎士長、ラグナ・エアハートの愛竜、ニール。ロザリアの戦は、一番槍であるラグナが、ニールと共に空を制するところからはじまる。
空戦では敵なしのニールだが、平時は大人しい竜であり、私にもとても懐いてくれていた。会いに行くと犬のように尻尾をばたつかせて喜んでくれるのである。
衛兵達の目を盗んで城から抜け出す時にもよく背中に乗せてもらったっけ。
「ニール……久しぶりね……」
顔を撫でてやると、再び喉を鳴らして私を見つめる。
「あなた……目が……」
おそらくはもう見えていなかった。きっと音と臭いだけを頼りに私を見つけてくれたのだろう。
「フィオナ、そいつは……」
「ニールよ。ロザリアの守護竜。すっごく強くて賢いんだから」
「そうか……竜まで異骸化するとはな」
「そうね。でもおかげでもう一度会えたわ」
竜の寿命は大型のものでも長くて500年。異骸化していなければとっくに死に絶えていただろう。
「そいつ、どうするんだ?」
「もちろん浄化してあげないと……」
少し寂しい気もした。ニールは私の友達だ。久しぶりに会えたのだから、本当は少しくらい遊んであげたい。けれども今の私にはあまり時間が残されていない。
仕方ないと思いながら、私は浄化の光を手に纏う。するとニールはそれを拒むようにして尻尾で私の手を抑えた。
「どうしたの?」
私が尋ねると顔を上げ、空に向けて瘴気混じりの黒炎を吹いて見せてくる。これは戦の前に自ら士気を高めるために行う竜騎士団の儀式であった。
「戦ってくれるの……?」
静かに光を失った目で私を見つめる。
「そっか……ありがとう……」
「フィオナ、そいつに会うためにここへ来たのか?」
「いや、違う。目的地は、この森のもっと奥の方」
私は再びニールの顔に手を添えた。
「ここで待っていてくれる? 私、会いにいかなきゃいけない人がいるの」
ゆっくりと頭を上げると、ちょこんとその場で腰をおろして座り込んだ。
「いい子……」
きっと私の方に魔物が寄りつかないよう、睨みをきかせてくれているのだと思う。
「ありがとう。また戻ってくるからね」
目が見えていないのは分かっていたけど、ニールに手を振ってその場を後にする。
しばらく黒い森を進んでいくと、瘴気によって奇形化した大樹が見えてくる。幹は歪に捻じ曲がり、どこを目指して伸びているのかまるで分からない、移り気で優柔不断な大樹に見えた。
そしてその木の根本を囲うようにして、墓石のようなものがいくつと建てられている。それらには私の知らない言語で様々な文字が刻まれていた。
「確かこの辺りだったはずだけど……」
聖魔法で光を照らすと、大きなドーム状の結界が出現した。
「ビンゴ」
結界を解除すると、光の魔法で隠蔽されていた家が姿を現す。無造作に増改築を繰り返された建造物は、まるで子供が自由な発想力に任せて積み上げた積み木のお家のようである。
木製の扉には丸い小窓がついており、中の光が漏れていた。
「お邪魔しまーす」
「お、おい、勝手に入っていいのか?」
「うん。どうせノックしても聞こえないだろうし」
玄関扉を開くと長い廊下が一直線に伸びていた。壁際には所狭しと趣味の悪い魔道具が転がっている。それらを踏まないように足場を見つけながら進んでいく。奥の扉を開けて中を覗くと大きめの書斎が広がっており、壁を囲うようにして並べられた本棚と、天井から吊るされた大量のドライフラワーが見えた。それらの色とりどりの花々は全てツボミで、開花直前のものばかりである。
その下には床まで伸びた銀の髪を持つ女性が背中を向けて座っていた。何やら執筆中らしい。
「リリス? 入るわよ」
「……」
「リリスー?」
少し声を大きくすると、ようやく聞こえたのか、ぴたりと手を止める。そしてゆっくりと振り返り、透き通った空色の瞳で私達の姿を捉えた。
ニヤリと笑みを浮かべ、懐から杖を取り出すと、私達の方へと向けてくる。
「リリス! 私よ! フィオナ!」
アランが剣を抜こうとすると、一瞬で青い魔法陣が起動し、大量の水が噴射された。それは大波となって押し寄せ、私達を飲み込んだかと思うと、たちまち水が引いていく。
「ゲホッ、ゲホッ……」
気管支に入った水で咳き込んでいると、矢継ぎ早に熱風が吹き荒れる。まるで天変地異だ。
思わず顔を伏せると、熱風に次いで今度は彼女がこちらに駆け寄り、飛びかかるようにして抱きついてくる。
「フィオちゃん!」
「ちょっ!」
「久しぶり! 会いたかった!」
私にほっぺたをすり寄せてくる。
「分かった! 分かったから! ちょっと落ち着いて!」
「はーい」
私を放すと、再びまじまじと私の顔を見つめた。
「全く、出会い頭に洪水って……」
「だってさ、すごい臭いだったよ?」
「あ、ああ……そうだったわね……ごめんなさい」
確かに私達の体には死臭が纏わりついていた。現に私の白かったはずのワンピースは、赤黒く変色している。彼女は私達を魔法で一気に洗濯してくれたのだろう。
「それにしてもフィオちゃん、どうしたの? こんな時代に」
私は首を傾げる彼女の顔を見ながら
「ちょっと頼み事があって来たの。というかやっぱりあなたは変わらないのね。生きてるだろうとは思ってたけど……」
「まあねー、何といっても魔女ですから。何年たってもこの通り、十八歳の美少女です」
その場でくるりとまわって、得意げにその容姿を見せつけてくる。するとワンピースの裾がふわりと舞い上がった。
その芸術的なまでに整ったあまりにシンメトリーな顔で笑いかけてくる。この気味が悪いほどの美しさも、千年前と変わらない。
「フィオちゃんは少しお姉さんになったかな。まあ私からしたら相変わらずかわいいかわいいフィオちゃんだけど」
そう言いながら私よりちっこいくせに、頭をポンポンと撫でてくる。
「でも目つきはだいぶ変わったね。使い魔から色々と様子は聞いていたけど」
「そう……知ってるのね……私がしてきたことも……」
「うん」
リリスはかつての心優しき聖女であった私のことを慕ってくれていた。だからこそ今の私を知ってしまったのならば……
「失望したかしら」
そう尋ねると、妖艶な笑みを浮かべる。
「ううん、そんなことないよ。むしろ嬉しいくらい」
「えっ?」
「今やあなたは魔女。忌むべき呪われた存在。私と一緒だ」
胸に手を置き、こちらに一歩寄ってくる。
「天真爛漫で清廉潔白な聖女のあなたも素敵だったけど、そのどこか陰りを感じる虚ろな瞳もすごく素敵。ああ……いったい何人殺せばこんな目になれるのかしら……」
ゆっくりとこちらに顔を近づけてくる。
「私にとってフィオちゃんは、異世界で最も近いところにいてくれた人だった。けどまさか、あなたの方からこっちの世界に来てくれるなんて思ってもみなかったわ」
禁忌の魔女、リリス。彼女は美しい少女の皮を被った怪物である。
私が生まれるよりもさらに千年前、錬成魔法で一国の民達の体を全て繋ぎ合わせ、歴史上最も巨大なキメラを作り上げたという記録がある。そのつぎはぎだらけの巨塊は三日三晩、千の口から老若男女様々な声で悲鳴を上げながらひたすら北上し、最期は自ら谷底に身を投げて絶命したらしい。
ほとんど神話のような話だから、どこまでが本当かは分からないけれど、実際にロザリアの北側にある渓谷の底には、ゲヘナの骨塚と呼ばれる禁足地があり、奇形化した人骨の山々が広がっているという。
とにかく彼女は好奇心を満たすためなら何のためらいもなく他人を殺めてしまうくらいには、しっかりと狂っている。この可愛らしい笑顔に騙されて、実験体にされた人は数知れず。
そんな魔女が国境付近住みついているというのだから、国からすれば脅威でしかなった。だからこそ姫だったかつての私はリリスと一緒にお茶を飲み、友好な関係の構築を試みていた。はじめはこうした国防上の理由からはじめたお茶会だったが、思いの他、魔法談義なんかで意気投合し、ちゃっかり友達になってしまったのである。
もちろん友達とはいえ、リリスからすれば私は、聖女が持つ特異な能力を観察するための希少サンプルといった位置付けであり、お気に入りのおもちゃのようなものだった。あくまでリリスは人外であり、好奇心の化け物でしかない。
けれどもそんな彼女にも人の心を教えてあげようと、かつての私は考えうる限りの寄り添いを尽くしていた。その甲斐もあって少しずつ人間に理解を示すようになってくれていたけれど、今となっては私の方が人の心を捨ててしまった。
私は心を失ったことを確かめるようにして、思わず胸に手を置いてしまった。
ため息をついてリリスを見ると、彼女はアランの方を見ながら首を傾ける。
「フィオちゃん、そっちの黒い子はだあれ?」
「アランよ。私の騎士になってもらったの」
「へぇー、フィオちゃんの騎士? ウィルくんじゃないんだ」
その名を耳にした瞬間、胸が少し苦しくなった。
「ウィル……?」
「まあとっくに死んでるか。いくら大英雄とはいえ、人の身だものね」
アランに近づくと、黒く濁った片目をじっくりと観察しはじめる。
「半身だけ異骸化してるんだ。珍しいね。その腕も見せてもらっていい?」
「あ、ああ……」
ゆっくりと腕を差し出す。
「ふーん、面白い! ここまで侵食されてちゃんと意識があるなんてすごいね。見た感じ瘴気と共生しているようだけど、固有の術式によるものなのかな。あー、もっと良く見せて欲しい!」
その手を両手で握りしめてから、アランに顔を近づける。
「ねぇ、アランくん! 私のものになる気はない? 私にできることなら何でもしてあげるから!」
アランはその接近してくるご尊顔から目を逸らしながら
「い、いや、だめだ」
「えー、なんでー? こんな綺麗で知的なお姉さんに飼ってもらえるんだよ?」
これは悋気だろうか。何となく、私の騎士がこの魔女のものなることを想像すると、嫌な気分になる。
「ちょ、ちょっとリリス──」
「アランくん、ほんとにだめ?」
「……今はフィオナを守るのが俺の仕事だからな。あんたには悪いが他につくつもりはない」
「んー、そっかー。フィオちゃんの方がタイプかー」
「タイプとかでは……」
「でもだめよ? フィオちゃんかわいいからって襲ったりしちゃ」
「い、いや、流石にこれほどの防御魔法の使い手を襲おうなんて思わない」
「アハハッ! そうね! フィオちゃんの結界を突破するなんて私でも大変だわ。それに襲おうものなら、あの血染めの薔薇で串刺しにされるのがオチでしょうね」
「流石に串刺しになんてしないけど……」
「お、何々? フィオちゃん実はまんざらでもなかったりして」
「はっ!?」
「アハハッ、ごめんごめん。フィオちゃんにはウィルくんがいるもんねー」
軽快に私の背後にまわると、両肩を掴んでアランの方へと体を向かせる。
「でもアランくん、実はこれ、結構大事な話でもあるんだ。聖女としての力は使い手が処女でないと安定しないの。だから守るならちゃんと貞操も守ってあげてね」
「ああ……」
「ウフフッ……こんなにも清い魔力で、あんなにも凄惨なことができるなんて……本当に素敵……」
そんな調子でまたリリスが私にベタベタしようとしてきたので、本題に入ることにした。
「リリス、今日はあなたにお願いがあって来たの」
「ウフフッ、なになに? 同じ魔女のよしみよ。ぜひ聞かせてもらおうじゃない」
「私にかけられた呪いを解いてほしいの。この時代に召喚された時に、奴らに付与されてしまったみたいなのだけど……」
「んー、呪いか。どれどれ」
私の前に立つと全身を舐めるように見回した。
「ちょっと失礼」
私の胸に頭をもたれて、抱き寄せてくる。
「やっぱりフィオちゃんいい匂い……」
「リ、リリス……真面目にやって……」
「やってるよー。今解析してるとこ」
「……これ、本当に必要なことなのよね?」
「んー、そうかも」
「かもって……」
「でもちゃんと分かったよ。精神操作の術式でしょう?」
「……さすがね」
そう言うと顔を上げて無邪気な笑みを浮かべる。
「まあ私は天才だからねー」
「今の私のアキレス腱はこれなのよ。この術式に魔力を込められるだけで、私は操り人形にされてしまう」
再び妖艶な笑みを浮かべながら私の頬に手を添える。
「いいの? こんなの私に見せて。私がこれを使えば、フィオちゃんを私のものにできちゃうことになるけど。私、フィオちゃんのこと大好きだから、変な気起こしちゃうかも」
「精神操作に落ちたマリオネットなんかに、あなたは興味ないでしょ?」
「フフフッ、さすが私のフィオちゃん。私のことよく分かってくれてる。そういうとこも好きー」
そう言いながら再び抱きついてくる。
「分かったからもう少し離れて」
「むー……もうちょっと時間かければよかったかなー」
半歩分くらい間を空けさせる。それでもやはり妙に近い。
「因みにもう一つ、呪いというより変な祝福にかかってるみたいだけど、こっちは解かなくていいの?」
「うん、大丈夫。奴らの魔術だけ解いてくれればいいわ」
「そう。了解よ。じゃあ取引といこう」
「ええ、分かってる。若くて健康的な男女三人ずつでどう?」
「んー、それだとちょっと割に合わないかなー。この呪いは召喚時にフィオちゃんの能力を向上させる代償として構成されたものだから。力をそのままに、代償だけを抜き出すとなると中々に手間がかかるのよ」
「そうだったのね。分かったわ。じゃあ五人ずつでどう? ついでに私の血もつけるわ」
「聖女の血か。それも悪くないけど……最近は従魔になってくれる人間が欲しいんだ。条件によっては一人だけでいいよ。フィオちゃんなら分かるよね?」
「ああ、なるほど。じゃあ顔の整った十歳前後の男の子でいいかしら」
「フフフッ、さすがフィオちゃん! 分かってる! できれば十一歳でお願いね。少し引っ込み思案で優しい子がいいかな。可愛ければ魔力の強さは問わないから、私好みの子を見つけてきてね」
「全く……いい趣味してるわね」
「でも選ばれた子は結構幸せな方だと思うけど。他はみんなフィオちゃんが虐殺しちゃう訳だから、そんな中で生き残れるなんて幸運でしょう? おまけにこんな綺麗なお姉さんに愛で尽くしてもらえるなんて最高じゃない」
確かに生き残ることはできるだろう。けれども彼女の言う従魔とは、魔法で成長を止められ、リリスの好みの年齢で固定され、
とはいえこれには彼女なりの理屈がある。私がそれを改めて聞くまでもなく、話を続けた。
「人間ってさ、いっつも何か悩みや問題を抱えていて、とっても矮小で不幸な存在だなって思うのよ。けどそんな逡巡から解放されて、ただひたすらに私のことだけを想い続けられるのなら、それはとてもとても幸せなことでしょう?」
「ま、それがあなたなり愛ってことなのは分かっているわ。否定も肯定もしないけど」
「フフフッ、なるほど。じゃあフィオちゃんが、人間にとってあるべき愛の形を、この私に教えてくれるのかしら?」
「前はそのつもりだったけど、今の私にそんなものを説く資格なんてないわ。あなたと同じ、外道に堕ちた身だもの」
「うんうん! そうよね! 一緒にこのまま、堕ちれるとこまで堕ちちゃおう!」
飛び込むようにして腕を組んでくる。
「ああ、もう! だから近いって!」
「えー、だって嬉しいんだもんー」
「はあっ……」
妙な生き物に懐かれてしまったものだ。
「でもまあ安心してよ。最近はちょっとやり方も変えたんだ」
「そうなの?」
「うん。フィオちゃんに影響されてね」
そう言うと掴んでいた私の腕をペロリと舐めてくる。
「ひゃっ──こ、こら! 勝手に魔力食べないで!」
「フフフッ、はーい」
「全く……それじゃあアラン、条件の良さそうな人がいたら捕虜にしておいてね。傷ついてたら私が回復するから教えてちょうだい」
「あ、ああ……分かった……」
「じゃあフィオちゃん、アランくん、今日はお泊まり会だね!」
「お泊まり会?」
「解呪には時間がかかるもの。まあ私の手にかかれば一晩で済むけど」
そう言いながら羽ペンを取り出すと、さっそく床に魔法陣を描きはじめた。
「真ん中に座ってもらっていい?」
「ええ……」
手際よく術式を構成し、魔力を流し込むと、描かれた文字がぼんやりと光りはじめる。
「よし、できた。後はそこにいてくれれば大丈夫よ。ゆっくりしていってね」
「あ、そっか……」
急に退屈になってしまった。魔導書でも借りておこうか。
辺りを見回してみたけれど、どれも表紙は古代文字のものばかりで、私に読めるものはなさそうだった。
けれども本の代わりに、リリスの伸びきった髪が目についた。長槍ほどの長さはあるだろうか。床に引きずられながら、部屋のあちこちに引っかかっている。研究以外に無頓着な彼女は全く髪の手入れをしない。それでもここまで綺麗なのはやはり本物の魔女故なのだろう。そういえばこの時代に来る前は、たまに来て私が髪を切ってあげていたっけ……。
「リリス」
「ん?」
「ハサミ、まだある?」
「うん! ある!」
「あとブラシもね」
「分かった!」
散らかった机の中から銀のハサミを見つけ出すと、私の膝の上に上機嫌に座った。
「フフフッ、これ久しぶりだね、フィオちゃん。千年ぶりだ」
胸に頭の後ろをもたれて、甘えるように私を見上げる。
「分かったから、じっとしてなさい」
「はーい」
束の間の安息だった。以前はこんな時間がずっと続いていたのだと思うと、昔の自分が羨ましくなる。
私はその艶やかな銀の髪を整えながら、この美しい化け物と、かつての思い出を語り合った。
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