第10話 異骸の王

 無間監獄に戻り、看守の生き残りを始末する。結界を破壊し、閉じ込められていた異骸の群れを解き放った。

 監獄の扉を開いて外に出ると、金物が錆びたような匂いが風に運ばれ、鼻の奥をついてくる。辺りを見回すと、亡者による野蛮に晒された人々が悲鳴を上げながら喰われていた。

 一仕事終えた私は、太陽に向かって伸びをする。

 お天気もだいぶ良くなってきたし、ちょっとお散歩でもしよう。

 快晴の空の下、その断末魔が響き渡る街を、自分の中の良心を確かめるようにして見て回った。けれども不思議と、何の感慨も湧きはしない。罪の意識に苛まれて苦しくなったりだとか、良い気味だと感じて胸がすいたりだとか、そういう何となく想定していた気持ちには一切ならなかった。

 きっと宣戦を布告したあの瞬間から、私の中の何かが、ごっそりと欠落してしまったのだと思う。どれほど凄惨な場面を前にしても、私の感情の起伏は、凪のように穏やかだった。

 そんな妙な感覚を味わいながら歩いていると、か細い息を交えた小さな声が聞こえてくる。

「お姉……ちゃん……?」

 大通りの傍を見下ろすと、一人の少女が私を見上げていた。ここまで這って逃げてきたのだろう。脇道の奥から滲んだ血の跡が、その瘴気に蝕まれた体まで伸びていた。どうやら膝から下を喰われてしまったらしい。

 歩み寄ってゆっくりとその子を見下ろす。

「あ……やっぱり……聖女のお姉ちゃんだ……よかったぁ……」

 私の顔を見上げると、その子は少しだけ笑みを浮かべた。

「あのね……お姉ちゃん……マーシャまた……怪我しちゃったみたいなの……」

 よく見るとその子は、召喚されてすぐ後に擦りむいた膝を治してあげた子だった。

「気をつけてって言ってくれたのに……ごめんなさい……」

「……」

「……マーシャね……今すごく痛くて……苦しいの……お兄ちゃんもお母さんも、みんな大怪我しちゃって……でもお姉ちゃんなら、またあの優しい光の魔法で治してくれるって思って……それでずっと、探してたの……」

「そう……よくがんばったわね」

 膝をたたんでしゃがみ、その子の頭に手を伸ばす。

「えへへ……」

 そのまま撫でてやると、嬉しそうに目をつむる。

「大丈夫よ。今、あげるから」

「うん……」


しゅよ、傷にまみれたかの者に……」


「ありがとう……お姉ちゃん……」


「どうか御慈悲と癒しをお与えください」


 治癒の光が少女を包み込むと、その顔は安らぎ、体はゆっくりと、音もなく崩れ去っていった。


 お散歩を再開してしばらくすると大聖堂の前の広場に戻ってきた。私はその端の方で、枯れた噴水を囲う堀の上に座る。腰を屈め、両肘を膝につき、手の平に顎を乗せながら、異骸達が彷徨う広場をぼんやりと眺めていた。

 そんな風に過ごしていると、この街で、私を除いて唯一、意識を持つ者が隣に座ってくる。少し間を空けてから、その黒騎士はゆっくりと口を開いた。


「これがあんたの望みか?」


「さあ、どうだろう……」


 確かにむごいことをした。他のみんなも解放するとなると、この地獄絵図を広げていくことになる。

 漂う死臭で肺を満たしながら、大きく深呼吸をした。

「私、何やってるんだろ……」

「そう気負うな。あんた自身、あんな力があるなんて知らなかったんだろう? それに異骸を資源にするだなんて発想がそもそも無茶だったんだ。あんたがやらなくてもいずれこの国の連中は報いを受けて──」

「ああ、いや、そういうことじゃなくて」

「……?」

「こうしている間にも、民が助けを待っているというのに、私は何をこんなにぼんやりとしているんだろうって思ってただけ」

 そう言うと、彼は冷笑して

「ハッ……全く、大した玉だな。こんな光景を前にして」

 そう言いながら、喰い荒らされた人々の方を見る。私も彼に合わせてほんの少しだけ目をやってから、ゆっくりと視線を戻す。


「あんな奴ら、心の底からどうでもいいよ」


 この時代の事情なんて知らない。

 例えこの時代の生者を滅ぼそうとも、私の時代の亡者を救おう。そう覚悟を決めて立ち上がると、手の甲に再び王家の紋章が浮かび上がる。するとその輝きに応えるかのようにして、辺りの異骸達が一斉に傅いた。

 私はそのまま、教会が崩落してできた瓦礫の山の方へと歩いていく。その間にも街中の異骸達が広場に集まり、跪いていった。その中には、かつて私を慕ってくれていた家臣や市民のような、見知った顔が何人もいた。みんなとの記憶を一つずつ思い起こしながら、一歩ずつその瓦礫を登っていく。

 頂上には屋根の天辺にあしらわれていた大きな十字架が逆さになって突き刺さっていた。私はそれに片手を添えてから、ゆっくりとみんなの方へと振り返る。

 そして彼らを見下ろしながら、私の想いを言葉にしていった。


 みんな、久しぶり。千年ぶりに……なるのかな。

 遅くなってしまってごめんなさい。ロザリアを守れなくてごめんなさい。辛い思いをさせてしまってごめんなさい……。

 ようやくみんなを、浄化してあげられそうです。不死という地獄から、解放してあげられそうです。

 でもその前に、もう少しだけ、私のわがままに付き合ってください。

 みんなの他にもこの国に苦しめられている仲間が、まだまだ沢山いる。死ねないのに、何度も何度も殺されて、利用されて、その尊厳を踏み躙られ続けている……。

 だからね、私、戦争することにしたの。

 この国を滅ぼして、私達の尊厳を、私達の手で取り返したい。

 ロザリアの誇りを賭けて、奪われた全てを奪い返す。そのために、みんなの力を貸して欲しい……。


 そう訴えかけると、私の手に刻まれた紋章がよりいっそう輝きを増していった。その光に呼応して、異骸の民達が、次々と立ち上がる。彼らの目に光はなかったけれど、その眼差しには確かに強い意志が感じられた。私はみんなの働き、いや、生き様に報いねばならない。その誓いをここに示すため、続けて声を張る。


 この戦争の果てに、あなた達に与えられる恩賞は、地位でも、名誉でも、勲章でも、宝物ほうもつでも、領土でもない。


 あなた達への恩賞──それは、「死」よ。


 あなた達が千年さまよっても手に入らなかったもの。それを私は、授けることができる。


 さあ──死を賜いたい者は、剣をとりなさい。

 神の国へと導かれたい者は、奴らを喰らいなさい。

 生を終わらせたい者は、死を振り撒きなさい。

 そして救い出した同胞と共に、その死を分かち合いなさい。


 これは亡者による、亡者のための、亡者の聖戦。無敵の死者による、生者の蹂躙。

 その約束されし勝利の先で、私はあなた達のことを、心の底から、愛を込めて弔うと、ここに誓いましょう。

 全ては奴らと、私達の、正しき死のために──。



 思いを伝えきると、私の背中を押すかのようにして、清々しい風が吹き抜けていった。

 やっぱり民のみんなを想うと力が湧いてくる。この時代に召喚されてから乾いてしまっていた私の心が息を吹き返してくる。

 みんなを解放したら、私もそっちへ逝こう。

 そしてで再会したら、今度こそ、私達のロザリアを再建するんだ。

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