最終局面へ

 薄く地面に張られた氷の上から、徐々に人の形が形成される。

 透明だった骨格は徐々に色づいていき、やがて見覚えのある少年へと姿を変えた───


「ユリス、様……?」

「遅れてしまって申し訳ない」


 殴った弊害だからか、拳の先が少しヒビ割れている。

 しかし、ユリスは軽く腕を振ると、何事もなかったかのように柔肌が戻っていった。


「なんか、思った以上に羽虫が多くて……お姫様が歩くには不快かなーっと。なので、


 どれぐらい相手がいたのかは分からない。

 どんな戦闘を行ってきたのかは分からない。

 けれども、今目の前に現れてくれたことは事実で。

 先程まで襲いかかっていた恐怖が一気に抜け、目元から涙を浮かべるフィアはその場にへたり込んでしまった。

 そんなフィアへ、ユリスは視線を合わしてそっと手を伸ばす。


「リーゼロッテのこと、少し見ていてくれませんか?」

「へっ?」

「その代わり……もう安心してくれて結構です」


 その手は、フィアの小さな頭に乗せられた。

 ひんやりとした感触。だからからか、フィアは少し驚いたような顔を見せた。

 そして、ユリスは柔らかい笑みを向けて───


「今度こそ、


 ───ドクン、と。

 どうしてか、この状況なのにもかかわらず、激しくフィアの心臓が高鳴った。


(あの時の、って……)


 フィアの脳裏に何度も蘇った言葉。


『いいか、絶対にお前は助ける……この先、笑って学園生活を送れるよう俺が守ってやるよッッッ!!!』


 その言葉を体現するかのように、ユリスは頭から手を離して背中を見せた。

 そこまでは大きくない。それこそ、子供にしては少し大きいぐらいなほど。

 だけれど、今のフィアの視界には……何故か、とても大きくて頼もしく映った。


(あぁ……やはり)


 彼の姿を見ると、決まってこの症状に襲われる。


 死を覚悟した自分の前に現れてくれた。

 守ってくれると、そう言ってくれた。

 自分の目の前で拳を握ってくれた。


 任務だというのは分かっている、それが彼の仕事だというのも分かっている。

 けれど、こんな状況にもかかわらず胸が激しく高鳴り、顔に熱が上ってしまう。

 もしかして、この症状の正体は───



「いつつ……随分と本気で殴ってくれちゃって」


 ガサリ、と。

 吹き飛ばされた先からハクがゆっくりと姿を見せる。

 しかし、「痛い」という割には頬に痣などできていなくて。それどころか、擦り傷一つついていなくて。

 ユリスは大きなため息をついて頭を搔いた。


(くっそ、こっちにシナリオ外キャラかよ……これじゃあ、せっかくの転生アドバンテージも宝の持ち腐れじゃねぇか)


 だが、ユリスは一歩、ハクに向かって踏み出す。


「おかしいね、君には結構な人数をけしかけたつもりだったんだけど?」

「変な来客は多かったよ。とりあえず、今頃湖畔によく似合う氷のオブジェの役を買って出てもらったが」

「へぇー、それはちょっと気になるね。あとで俺も見てみようかな?」

「安心しろ……ちゃんと、すぐに同じ目に合わせてお前の好奇心を満たしてやる」


 この場にいるということは、つまりそういうこと。

 たとえゲームに出てこない知らない相手であろうと、リーゼロッテがやられたところを見るに、闇ギルドの人間だと思うのが普通。


 ───敵なのには変わりない。

 ならば、やることだって一つだ。


「一応、念の為に聞くんだけど……そこの王女を引き渡してくれたら、別に無用な殺傷はしないよ? ロニエから聞く話だと君はとっても強いって話だったし、できるなら戦いたくはないなー」

「ほざけ、阿呆が。そんな質問に首を縦に振ると思ってんのか?」

「だよね、分かってた」


 ハクは袖からもう一度ナイフを取り出す。

 すると、ユリスは───


「当たり前のことを言うが」

「ん?」

「窃盗、暴力、殺人、誘拐……どれであれ紛うことなく犯罪だ。お前らはそれを分かってやってんだよな?」


 ユリスの言葉に、ハクは少し驚いたような顔を見せる。

 そして、自然と口元に笑みが浮かび、しっかりとユリスの顔を見つめて言い放った。


「……………………」

「やっていることの分別はあるし、俺も悪事を働いている自覚はある。無理に背景を覗いて同情しなくてもいいよ……見えてくるのは、単に君が優しかった、なんて言葉だけだろうから」


 ただ、と。

 ハクはナイフを握り締めて、


「俺にも俺なりに退けない理由がある。かっこよくお姫様の前に出てきたんだ……そろそろ問答なしでり合おうよ、主人公ヒーロー


 ユリスはハクの言葉を受けて、思わず鼻で笑ってしまう。


「ハッ! 俺は主人公じゃねぇよ……自他共に認める悪役ヒールだ」


 きっと、介入しなくてもシナリオ通りであればフィアは学園に通えている───生きられる、ということ。

 もしかしたら、自分が知らない間に同じようなイベントが起きて、主人公が助けてくれたのかもしれない。

 もしかしたら、自分がシナリオに介入しなかったせいでこんなイベントが起きたかもしれない。


(……別にもう、どっちでもいい)


 ここまで来たのなら。

 悪役ヒールに選ばれたのなら。


(女の子を笑顔にするために、拳を握ればいい)


 関係ない。

 たとえ、自身に破滅フラグを持ってくるであろうキャラクターだったとしても。

 ここいなくなった方が、自身の未来が安泰になるとしても。

 目の前で、女の子が泣いているのであれば……主人公だろうが悪役だろうが、やることなど決まっているのだ。


番外人物モブキャラなんて、単にぶっ飛ばせばいいだけだろうが! それだけで、姫様ヒロインは救えるんだからよォ!」

「本当に、随分と傲慢な主人公ヒーローもいたもんだ……まぁ、だからなんだって話だけど」


 姫様ヒロインを救うために、悪役ヒーローは拳を握る。


 ───こうして、シナリオ外イベントの最終局面クライマックスはすべて出揃ったのであった。

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