104.〈蛇の目〉
「あっはっはっは、それでわざわざうちのとこに来たんかいな。ほんまウケるわ。あっはっは」
藤はレンが〈蛇の目〉と諍いを起こし、なぜかレンに助けを求めて来た神子たち17名を誘拐したと聞いて物凄くおかしそうに笑っている。
〈蛇の目〉の規模やどこの家が敵になるかもわからない。
〈蛇の目〉については黒縄たちにも調べさせていたが、良い情報はなかった。
東北方面のいくつもの、それこそ10を超える神社や寺院に毎年一定の寄付をする。そうすると〈蛇の目〉から予言が届く。そのようなシステムらしく、そこから先の闇には届かない。
故に預かっているわけではないが、レンの近所に住み、よく遊びに来る美咲の身にも危険があるかもしれない。
そう思ってレンは豊川家に相談に来たのだ。ついでに〈蛇の目〉の情報が得られればいいなという下心がないとは言わない。
「言うてもなぁ、うちらもあんまり関係してないんよ。伊勢の巫女たちの末裔なんかなぁくらいや。今はどこが囲ってるんかなんてうちは興味なかったしなぁ。豊川も関わってないし、美弥に聞いても知らんやろ」
「美弥さんには事情を説明したら藤の元に行くようにと」
そんな下心はお見通しだったようだ。しかも新しい情報はほとんど増えていない。
伊勢の巫女というのもよくわからない。伊勢神宮に居る巫女が特殊な予知能力者なのだろうか。可能性は高そうだが、情報量が薄すぎる。
「まぁ気にせんでええよ。豊川に喧嘩売るっつぅことはうちに喧嘩売るんと同義や。美咲ちゃんの警備はしっかりつけてるし、厚くする。この近辺にも〈蛇の目〉利用している家はあるやろうけどどうせ情報なんて持ってないやろ。〈月読〉の方がまだわかるわ」
「〈月読〉?」
また新しい単語が出てきた。
「〈月読〉っちゅぅのは皇室が抱えている巫女集団や。東京遷都の後も連れて行ったしまだあるんちゃうかな。多分やけど〈蛇の目〉の神子っちゅぅのんも同じ系列ちゃうかなぁ。しらんけど」
最後に藤は放り投げた。貴重な情報の一端は得られたが藤も残念ながら人間社会にはあまり興味がないようだ。
豊川家の、いや、自身の血を引く子孫たちが安寧であれば良い。そういうスタンスなのだろう。
「とりあえず報告は済ませたし、お暇しますね。貴重な情報も頂けたようですし」
「神子捕まえたんなら本人たちに聞きぃな。そっちのがなんぼでも早いで」
「もちろんそのつもりだけど、先に豊川に連絡を入れておきたくてね」
「それですっ飛んで来たんか。偉いなぁ。美咲ちゃんへの愛を感じるわ」
茶化す藤の元を去り、レンは美弥や瑠璃に挨拶をしてから豊川家から自身の拠点に戻った。
やることはいくらでもあるのだ。
◇ ◇
「申し訳ありません。急なお願いで困惑されたでしょう」
「あぁ、だが構わない。もう戦端は開かれているし、気になる視線の主もわかった。いきなり襲われるとは思わなかったけど10倍に返したしそれもいい。〈蛇の目〉も気になっていたけど〈蛇の目〉は情報の隠蔽が完璧と言って良くて少なくとも玖条家の情報網では調べられなかった。向こうがこっちの情報を握っているかもわからないしね。色々と聞きたいことがある。いいかい?」
「もちろんでございます。わたくしは
凛音は静かに三つ指をつき、レンに礼を取った。その姿に周囲がざわめく。
周囲の者たちには今回の計画は話していなかった。
ただ凛音が救って上げたいと思う者たちや、あの時あの場に居た者で放置しえない者をまとめて玄室に詰め込み、凛音の命令によって一緒に誘拐された。それだけだ。
故に
しかしこの場で最も敬られている、いや、崇められている立場は凛音で、他の娘たちは神子である凛音の命令に逆らうことはない。困惑しながらも指示に従って玄室の結界を出て襲撃者の謎の黒渦の中に一緒に入るくらいには。
「とりあえず早急に君たちの生活基盤を整える。食料や服など、必要なものも補給する。匿った以上は君たちを取引の材料にする気はない」
「ありがとうございます。少し長いお話になりますが、詳しくお話し致しますか? それとも簡潔に知りたいことがあればそれにお答えする形に致しますか?」
「今すぐどうこうということはないみたいだ。詳しく聞かせてくれる?」
凛音たちは巨大なテントの中に居る。地面は整地され、巨大なすのこのような物の上に上等な絨毯が敷かれ、クッションや座布団なども支給されている。
レンに付いてきている葵という女の子が落ち着くようにと温かい飲み物を配ってくれている。
何度もレンと共にいる所を見た少女だ。
お茶を飲み、少し精神を整える。しっかりとレンの目を見据える。誠実に、真実を話すのだ。心の中でそう唱えた。
そうして、凛音は話しだした。
「まず最初に言わなければならないことは、わたくしたちは〈蛇の目〉から教育を受けているのです。本当のことかはわかりませんし、都合の悪いところはまず教えられていないでしょう。神子というのは神に選ばれたとされる特別な子で、〈蛇の目〉に生まれた少女で神子候補になるまでに厳しい教育を受けます。しかしその教育は洗脳と言ってもおかしくありません。故にわたくしの話を全ては信じないでほしいのです」
「うん、わかった。元々そのつもりだけどね」
レンは凛音の話をしっかりと聞こうとしてくれている。
凛音の予知よりも早く、レンは覚醒してからたった2年で〈蛇の目〉に辿り着いた。
最初の予知はもう少し後になるはずだった。少なくとも3、4年。遅くて5、6年。しかしまだレンが覚醒してたった2年だ。
だが予知というのは簡単に結果が変わるものだ。何が原因で早まったのか、それはわからない。だがレンが近くにいる、それがわかったので凛音は合図になるかどうかもわからない〈千里眼〉を近くを飛ぶレンに使った。
〈蛇の目〉に襲撃者が来るという予知は他の神子たちも予知していたので凛音も同様の予知を出した。だがあの合図がなければもう少し遅くなったはずだ。未来を変えたのは凛音自身とも言える。
レンが持っている戦力も、思っていた以上に強力だった。水蛇神や黒蛇神、一瞬しか見えなかったが川崎の倉庫の地下で現れた神獣とも言える3体の神霊。
そのどれかが〈蛇の目〉襲撃に大きな力になると思っていた。
しかしレンは手持ちの勢力だけで凛音たちを救い出し、安全な場所へ連れてきてくれた。
これでレンは、玖条家は〈蛇の目〉との抗争に入るだろう。申し訳ないとは思うが、凛音の見た未来ではどのパターンでも〈蛇の目〉と玖条家とは相容れない。どこかでぶつかっていた。
「それでは、わたくしたちが知る〈蛇の目〉の歴史と、今〈蛇の目〉を統率している勢力についてわたくしが知る限りのことをお話しします」
そうして凛音は凛音が知る限りのことをレンに話した。
◇ ◇
〈蛇の目〉と今は呼ばれて居るが、そう呼ばれ始めたのは、いや、そう名乗って世に出たのは江戸時代の前期だと言う。
だが〈蛇の目〉の前身となる組織が作られたのは遥か過去、平安時代から鎌倉時代へと変わる変遷の時期だった。
平家が世を謳歌し、源家との争いが始まり、源家が勝ち、朝廷とも対立して鎌倉幕府を立ち上げる。
その合間に組織の原型ができたのだ。
伊勢神宮に
そして伊勢神宮と平安京には当時から〈月読〉と呼ばれる予知能力者集団が居た。
どちらが先か、それはわからない。
天照大御神の血を引くとされる皇室に生まれた女子に、予知能力が目覚めたのか。それとも斎宮やその近縁が天照大御神のお目に適い、予知能力を与えられたのかも知れない。
どちらにせよ朝廷は〈月読〉という予知能力者の集団を得た。そしてそれを朝廷が独占していた。
存在を知っていたのは正2位以上にあり、且つ天皇家が信じられた者だけだ。
そのくらい秘匿度が高かったのだ。
だが平家はその存在をどこからか突き止めた。
そして伊勢神宮から平安京へ移動する斎宮と護衛、侍女たちを襲い、予知能力を持つ女子供を攫ったのだ。
しかし平家はその後源家と争いになり、源頼朝を頭領とした源家に敗北してしまう。
平家は四国方面に逃げ、散り散りになったが特務を受けた者たちが居た。
源家との争いの中で一部の武士団に奪った神子たちを連れて隠すように命じたのだ。
予知能力が有っても、その予知の正確性や時期や結果は少しの違いで移り変わる。
当時は平家が勝つという予知も源家が勝つという予知も両方あり、戦乱が更に長引くという予知も出ていてどれを信じて良いかわからなかったそうだ。
平家の武士団は日本海側を長い旅路の中で神子たちを連れ回し、奥州に渡った。
奥州藤原氏は当時源家と平家の争いに関わっておらず、源義経などには縁があったが味方をすることはなかった。
しかし源頼朝は奥州藤原氏をも滅ぼした。
奥州の山の中に隠れ潜んでいた平氏の残党は、隠れ里を作り、密かに神子たちを匿って、いや、囚えて居た。
そしてその隠れ里に奥州藤原氏の残党が頼ってきた。隠れ里と言えど足らぬ物は買わなければならない。平氏の残党であることは隠し、近隣の村と取引などは行っていたのだ。
幸いなのは源家の追討がそこまで及ばなかったことだ。
奥州藤原氏は滅び、源家に恨みを持つ平氏の残党と奥州藤原氏の残党が隠れ里に隠れていた。
そこへ現れたのが少年を連れた天狗だった。名を鬼一法眼と言う。
少年は由比ヶ浜に捨てられたという源義経と静御前の子だと言う。
平氏の残党たちと奥州藤原氏の残党は憎い義経の子の存在など許せるものではなかった。
しかし鬼一法眼には敵わず、一掃されてしまう。
そして隠されていた神子たちと子らが残った。
神子の話を聞いた鬼一法眼は神子に同情し、助けを与えてくれた。
それがレンたちが突入した〈蛇の目〉の本拠、山奥の大空洞だ。
元々はそれなりの広さの洞窟であっただけのようだが、鬼一法眼が法術を使い、空洞を十分に広く作り、巨大な柱で天井を支え、更に強固に法術で固めた。いくつもの空気穴もあり、湧き水もある。種籾などは隠れ里に残っており、鬼一法眼も食料などの調達に手を貸してくれた。
あの大きな大寺院も鬼一法眼が連れていた小天狗などが作り上げたのだという。
そして隠れ里があった場所にトンネルを作り、そこに鬼一法眼を師と仰ぐ修験者たちを住まわせた。
義経の遺児は幼名は牛若丸とされ、元服して義経の名を継いだ。
しかし鬼一法眼は兵法や法術を2代目義経に教えるも、鎌倉幕府と争うこと罷りならぬと言い含めた。
兄を助け、平家を討つという初代義経の願いならばともかく、伯父であり権勢が強固になった鎌倉幕府に楯突いても良いこともないし大義もない。更に混乱を生むだけだ。
神子たちの中には平氏たちの者たちの子を産んだ者も居れば奥州藤原氏の者たちの子を産んだ者も居る。その後修験者と結ばれた者も居る。
だが幾人かの神子は義経と結ばれ、子を為し、更に不思議なことに予知能力を継いだ者は義経の血筋に多く現れた。
そして中央寺院の主は常に源家が継ぎ、現代の神子はほとんどが義経と旧き神子たちの血を継いでいるという。
そして時は過ぎ、義経の子から3代、その死まで見届けた鬼一法眼は強力な結界を張り、その山を去った。
あの大空洞には主に源家が差配し、山の麓にある隠れ里、今は普通に村となっているがそこを修験者の長、陸奥家が支配している。
修験者たちは神子の予言を近隣の縁のある寺などに与え、代わりに金子や食料などを得た。
それが現代〈蛇の目〉と呼ばれる組織の原型なのだ。
そして時が過ぎ、鎌倉時代が終わり、室町時代も終わり、戦国の世も過ぎて江戸時代になった。
日ノ本は統一され、権勢を誇った多くの大名が潰れ、また、隆盛した。
その頃になり、名もなき預言者を囲う者たちは自身たちを〈蛇の目〉と名のり、当時近縁の藩を統治していた領主を通じ、徳川幕府に自身たちを売り込んだ。
〈蛇の目〉はそうして世に出、明治維新の混乱も乗り越え、今の世でも山岳の奥で予言を商売として身を立てているという。
「じゃぁ〈蛇の目〉は源家と陸奥家が差配しているのか?」
「いえ、そうではありません。いくつもの大きな寺院や神社、陰陽師や武家の末裔なども巻き込み、本拠は隠したまま〈蛇の目〉という組織を構成しているのです」
凛音の説明はロマン溢れる話でレンはワクワクした。
会ってみたいと思っていた鬼一法眼、そして悲劇の英雄、源義経。そして静御前との子で男子であったために由比ヶ浜に捨てられ、死んだと思われた遺児が平家に攫われた神子たちと出会い、血を紡いでいるというのだ。
だがワクワクしている場合ではない。中央の寺院からは強力な神霊の気配があった。強力な術者も詰めていた。
それが敵として玖条家に牙を剥く可能性が高いのだ。
レンの部下たちのみならず、親しくしている少女たちや家、玖条ビルに住むイザベラ親子たちも巻き込むかも知れない。
藤森家や三枝家などという規模ではない。豊川家や鷺ノ宮家に楯突くのと同じくらいの危険度を想定しなければならない。
それは現状の玖条家の規模ではかなり厳しい戦いになる。
「それで、今回の犯行は予言で僕たちの仕業だってバレているのかな?」
「それはないでしょう。皆様姿は隠しておられましたし、予知も万能ではありません。襲撃が近々ある可能性が高い、とはわかっていても襲撃元がどこか予知した神子はおりませぬ」
「じゃぁこのままバレずに何事もなく……ってこともないことはない?」
「いえ、いずれ旦那様の元へ彼らは辿り着き、抗争になるのは避け得ないでしょう」
レンは楽観論を敢えて言ってみたが残念ながらそんな都合の良いことはないようだ。
凛音の話では東北地方は非常に結束が強く、更に独立心が強い。
多くの寺院や神社、修験道場などが結束して本拠の場所を暴き、神子を攫ったレンを探し当てるはずだと言い切った。
ただその時期については不明だ。
「じゃぁ迎撃準備……じゃなくて、こちらから侵攻して相手の戦力を削がないとね」
レンが北海道から日本海側に逃げたのには理由がある。
それは吾郎や李偉たちの使った術式だ。彼らの術式は元が大陸の術式である。
中国から来た術者が襲撃してきた、そう勘違いしてくれれば良いと思ってそちらに逃げた。
追手も入念に調べたが途中で撒けた。コレは感知能力の高いカルラのお墨付きだから大丈夫だろう。
玖条ビルで戦えば周辺にも被害がでる。更に待ち構えるなど愚の骨頂だ。
援軍のない籠城など死地に行くようなものだ。
玖条家が敵だとバレてないうちに李偉たちに手伝って貰い、凛音に教えて貰った主要な寺などを襲撃する。
レンも仙術は習って居ないが方術のマネごとならできる。
元よりレンは守るより攻めが好きだ。
別に〈蛇の目〉を壊滅させる必要はない。玖条家から目を逸らせさえすれば良い。
「ふふっ、旦那様のそのお顔は素敵です」
レンはなぜ凛音はレンを旦那様と呼ぶのか聞けないまま、彼女たちを収容している〈箱庭〉から去った。
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