きっかけ

 その後、連絡先を交換して家に帰った。お風呂から上がりスマホを手にすると、千弦から連絡が来ていた。「明後日、学校に行く前にどこかカフェに寄らない?話したいことがあるの」といった内容で、「わかった」と私は返信をする。

 

 当日、待ち合わせ場所のカフェで千弦と落ち合う。お互いに好きな飲み物を頼んだ後、話のスタートを切ったのは千弦からだった。

 「私ね……、音楽活動してるんだけど。親からは大反対されてるの」

 外を眺めながら言う千弦の表情はどこか悲しげだった。

 「お父さんもお母さんも公務員で、五歳年上のお兄ちゃんは医学生で将来有望な医者の卵で。そんな家族の中で唯一、不安定な私」

 私の家とは正反対で家計には困っていないし、むしろ幸せという言葉が似合う。なのに息苦しそうに話す千弦を見て、胸の奥から込み上げてくる複雑な感情。羨ましいという言葉を飲み込んで、大人しく千弦の話を聞いた。

 「安定した道を進んでほしいのはわかってる。でもね、それじゃつまらなくて……。自分の好きなように、自由に生きたいの。たとえ不安定だったとしても」

 「どうして、その話を私に?」

 純粋な疑問だった。私には千弦の心を動かすものなんて一つもないのに。すると、千弦は「葉子ちゃんだからだよ」と優しく微笑んだ。

 「この間さ、葉子ちゃんの話を聞いた時に自分よりも大変な思いをしている人がいるのに、何やってんだ自分って思って。だから」

 テーブルに置いてあったスマホを手に取り、少し操作すると画面を見せて「本気で音楽活動したいなら、大好きを貫きたいなら、この連絡先を追加して」と千弦は言った。だが呆れたのか、「いいや、私が勝手に追加しておく」と戸惑いのあまり固まってしまっている私の手からスマホを奪う。すぐに手元に返ってきたスマホの画面には知らない人の連絡先。

 「その人は私のバンド仲間のお兄さん。歌のレッスンとか楽器のレッスンとかやってる先生なの。一昨日、葉子ちゃんのこと相談してみたらOKだって」

 「OK?」

 「うん。手取り足取り教えてくれる人だから、心配する必要はなし!とりあえず、自己紹介でもしておいて。あとは葉子ちゃんの行動次第かな」

 北見恵吾きたみけいご……。まだ顔も知らない、声も知らない、スマホで繋がったばっかりの人なのに、なぜか胸がドキドキと鼓動を強める。

 

 これが私と先生が出会うきっかけだった。

 そして、私が初めて恋に落ちる少し前の出来事。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る