潜む影の予感(2)
ギルドの医療室には、重く張り詰めた空気が漂っていた。
ブランが口にした「異質な存在」。かつて例のない規模で発生したスタンピード。そして、ダンジョン内部で巻き起こる異常現象――。
――これはきっと、ただの偶然なんかじゃない……
その思いが、誰の心にも浮かんでは消えない。異変の正体は何か。今、ダンジョンで起こっていることは、一時的な出来事なのか、それとも大きな前兆なのか――答えの見えない不安が、室内の空気を重くしていく。
セラフィもライラも、そしてブランも、それぞれの胸中で疑念を巡らせ、静寂が深まっていく中――。
「ぱんっ!」
突然、鋭い音が室内に響いた。
音の主はセラフィだった。彼女は立ち上がると、ブランとライラを交互に見つめる。その表情には、いつもの柔らかさと冷静さが戻っていた。
「この問題については、ギルドが責任を持って調査するわ。だから、あなたたちはこれ以上心配しなくていい。とりあえず――今日は帰りなさい」
彼女の言葉は穏やかだったが、その中には確固たる意思と優しさが込められていた。
ブランとライラは一瞬顔を見合わせる。
「でも……」
ライラが口を開きかけたところで、セラフィが軽く首を振った。
「ギルドにはギルドの役割がある。そして、君たちには君たちが果たすべき役割があるのよ。今、君たちがするべきことは――しっかり身体を休めること。それ以上に大事なことなんてないわ」
彼女の断定的な言葉に、ライラは不満そうに唇を尖らせたが、最終的には溜息をついて頷いた。
「……分かりました。でも、何か進展があったら、必ず教えてくださいね」
「ええ、約束するわ」
セラフィは優しく微笑みながら、二人を見送る。そして、静かに言葉を紡いだ。
「あなたたちは本当に頑張ったわ。その努力を無駄にはしない。だから――安心して心を休めて」
その言葉に背中を押されるように、ブランとライラはギルドの医療室を後にした。
医療室の扉が静かに閉まる音が響く中、セラフィは一人窓の外を見つめる。その瞳には、二人には決して見せなかった鋭い光が宿っていた。
――異質な存在。これはただの前兆で終わる話ではなさそうね……
セラフィの低い呟きが、薄暗い医療室に静かに響き渡った。
ブランは明るくなる空をぼんやりと見上げながら、ゆっくりと歩みを進めていた。
ギルドの建物を離れた時点で時計の針はすでに十時を指しており、街の喧騒も少しずつ活気を帯び始めていた。
――休暇。
そう命じられたはいいものの、何をすればいいのか皆目見当がつかない。
セラフィに「今日と明日は養成学校への立ち入りは禁止」と念を押されたことで、今日と明日の一日は自由に過ごす時間ができた。
「……休暇なんて、久しぶりだな」
ブランはポツリと呟いた。
気がつけば、彼の生活は常にダンジョンでの戦いと、それに伴う疲労の回復に費やされてきた。
休暇と呼べるような日など、もう何年も訪れていなかったことに改めて気づく。
視線を前に戻すと、道端には行き交う人々の姿がちらほら見える。
市場に向かう主婦らしい女性たちの明るい声や、荷物を運ぶ商人たちの足音が、街に活気を与えている。
そんな中で、ブランの心はどこか空虚だった。
彼の頭には、今もフロアⅢでの戦いの記憶が鮮明に蘇っていたからだ。
――あの異常な魔物たち。異質な存在。そして、ダンジョンの構造変化……。
ギルドにすべてを任せるしかないと分かっていながらも、その背後に潜む何かが、彼の胸に静かな不安を刻みつけていた。
「……こんなこと考えても仕方ないか」
自分に言い聞かせるように、ブランはそっと頭を振った。
今の自分にできることは、身体を休めること――そうセラフィも言っていた。
彼は右手に握った硬貨の入った布袋を軽く振りながら、少しだけ気を紛らわせるように口元をほころばせた。
袋の中には、今回の戦いで得た報酬が詰まっている。
「これで……ヴィオレにもっと良い薬を買ってあげられるかもしれない」
最愛の妹のことを思い浮かべると、自然と胸が温かくなる。
彼女の体調が良くなることを願いながら、ブランは少し足を早めた。
ブランは見慣れた道をたどりながら、その先にある小さな家を見据えた。
その家は、ポツンと一つ建てられた質素な佇まい。けれど、彼にとっては何よりも温かく、大切な場所だった。
――あの扉の向こうに、ヴィオレがいる。
最愛の妹の顔を思い浮かべるたび、ブランの胸は自然と温かさで満たされる。
その気持ちが、彼の足を次第に早めていった。
小さな家がどんどん近づいてくる。
疲れた身体は重く感じられるはずなのに、心が軽くなったようで、まるで足が勝手に動いているかのようだった。
家の前に立ち、ブランは深く息を吸い込む。
ドアノブに手を掛け、一瞬だけ胸の奥に込み上げる期待と安堵を感じながら、ゆっくりと扉を開けた。
「――ただいま」
その言葉が口からこぼれた次の瞬間だった。
「っ!」
まるで弾けるように、勢いよく誰かが飛び込んできた。
「うわっ!」
突然の衝撃に、ブランは思わずバランスを崩しそうになる。
だが、視界に広がった紫の髪を見た瞬間、彼の心に安堵と同時に一抹の違和感がよぎる。
「ヴィオレ……?」
その名を呼びかけると、ブランの胸にしがみつく小さな身体が、さらに強く抱きついてくる。
それは紛れもなく、彼の最愛の妹――ヴィオレだった。
彼女の細い腕が全力でブランの背中を掴んでいる。痛みで身体を動かすことすら苦しいはずの彼女が、そんな素振りを一切見せずに懸命に抱きしめているのだ。
「どうしたんだ、ヴィオレ?」
ブランの問いかけに、ヴィオレは何も答えない。代わりに、彼女の肩が小刻みに震え始める。
「ヴィオレ……?」
再び名前を呼ぶと、今度は彼女の嗚咽が聞こえてきた。
「……っ……」
震える声は徐々に大きくなり、次第に彼の胸の中で泣きじゃくり始める。彼女の温もり、そして嗚咽の一つ一つが、ブランの心をじわじわと締め付けていく。
「ヴィオレ、何があった?」
焦り混じりに問いかけるも、ヴィオレは答えない。
代わりに、顔を上げた彼女の瞳――そこには、大粒の涙が浮かんでいた。
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まず初めに、私の拙い文章を読んでくださりありがとうございます。
ゆっくりと書いていく予定です。
時々修正加えていくと思います。
誤字脱字があれば教えてください。
白が一番好きな色。
ストーリーを変更します。
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