黄金病編1

 ■第参話 放蕩男と屋形船



 大商から正和にかけて、屋形船の利用は庶民の間で流行の兆しを見せておりました。

 観光産業の発展にともなって、東響では川や海にちなんだ商売が栄えていきます。


 花見の季節になると桜を眺めながら川下りをする乗船客へと、酒や料理を提供する船乗りが大勢いたのです。水辺の商いは、流れに乗って多くの富をもたらすと信じられていました。


 しかし、とりわけ、この時代の屋形船というのは高級な娯楽でありました。

 まだ庶民が気軽に手を出せるようなものではなく、上流階級の人間が屋形船を利用して宴を催すのが通例だったのです。


 その中でも最も格式の高い船が、二つ存在しておりました。


 一つは、虎橋亭が料理を提供する竹林の小径こみち

 春といえばタケノコが旬でございますよね。香り良きタケノコをふんだんに使った料理が楽しめるとあって、この時期の竹林の小径はエルフのお客様で大賑わいでございます。


 そして、もう一つが。月見館。


 こちらはオモキ作りの古風な外観をしておりまして、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。夜桜を楽しめるこの船は料理や酒を楽しむだけでなく、小人族やフェアリーが歌や踊りといった余興も披露するのです。


 今宵はその二つのうち、月見館のお話。



 一人の美しき吸血鬼とのちに細菌学者となる男が出会った、運命の夜でございます。



 ◆


 

 ヒデヨは大金を借りて上響じょうきょうし、治癒術開業試験の前期試験に合格したばかり。

 しかし僅かひと月で資金が尽き、下宿先を追い出されるという憂き目にあったのです。


 ヒデヨは路頭に迷い、途方に暮れておりました。

 しかもこのところ帝都では不景気の風が拭い去れません。

 人買いに連れ去られそうになったことも何度かあり、どうにかして身を守らなければと必死だったのでございます。


 するとその時です。

 困り果てていた彼の前に現れたのが、ひとりの美しき女吸血鬼でございました。

 彼女は人間離れした美貌を持ち合わせているだけでなく、妖艶な佇まいからは想像もできないほど気さくな方で、ヒデヨの身の上を聞くと親身になって話を聞いてくれたのです。


 この頃のロゼはチワキを名乗っておりまた。血沸き踊るをもじって、自らをそう名乗っていたのでございます。

 ひまつぶしも兼ねて治癒術学院に勤めていた彼女は、彼にだけその美しい姿を晒しておりました。


 幻惑、幻術、魅惑に魅了、様々な幻を自在に操る吸血鬼。


 墓石の上にも三百年。

 ゆうに千年以上は生きているであろうロゼにとって、現代の治癒学を習得するのは容易いことでございました。


「ほう、ヌシは開業試験に合格したのじゃな。それはめでたいことじゃ」


 ロゼはヒデヨの話を興味深そうに聞きながら、盃をくいっと傾けました。

 ヒデヨは顔を赤らめて頷きます。


「にもかかわらず、なぜ資金をひと月で使い果たしてしまったのか。わらわは不思議でならん」


 ロゼは盃を膳の上に置きながら、そう問いかけました。

 ヒデヨはばつが悪そうに俯きます。


「放蕩です。試験に受かったのが嬉しくて、つい浮かれてしまって……」


「屋形船で酒を酌み交わし、女を侍らせ、芸を愛でる。ヌシが望んだ夢ではないのかえ?」


「治癒学あってのそれです。チワキさんにはわからないでしょうが」


「ぞんがい、そうでもない。わらわにわからぬなら、なぜ今わらわは高級な屋台船にヌシを誘い、こうして酒を酌み交わしておろうかのう?」


 ロゼはくすくすと笑いながら、ヒデヨの顔を覗き込みました。

 その顔はほんのり赤く染まっています。


「あなたが……人の心を読めるから……?」


「いかにもその通り。わらわは人の心が読めるでありんす。人の心は自由であり、儚い。だからこそ面白いのじゃ」


「問答になっておりません」


「そうでもなかろう。強い酒を浴びるように飲みたい日もあれば、そうでない日もある。わらわとて放蕩の限りを尽くした日もあるのじゃ。ヌシが今、放蕩の限りを尽くして困っておるように」


 ロゼは盃に酒を注ぎながら、しみじみと語りました。

 その横顔はどこか哀愁を漂わせていて、まるで遠い過去を懐かしんでいるかのようでございます。


「のう、ヒデヨよ。ヌシにその気があるのであれば、学僕にならぬか? まずは掃除や雑用から始めて、徐々に治癒術のいろはを学んでゆけばよい。ゆくゆくはわらわが直接指導してやろうぞ」


「とても嬉しい話です。ですが、あなたは……一体何者なのですか?」


「夜桜散り、月見酒。水面の上で、盃を傾ける。わらわは美しき吸血鬼、酔った勢いで、お節介を焼きたくなるのも無理はなかろう?」


「はぐらかさないでください。吸血鬼などと……ご冗談を」


「かかっ、その時から、いつでもわらわの正体を明かしてやろう。だが、それは今ではない。いずれ時が来たらな」


 ヒデヨは納得できない様子でしたが、それ以上は何も言いませんでした。

 月見館から眺める月は、薄雲に覆われてぼんやりと霞んでいます。


 その朧げな輝きはまるでヒデヨの心を表しているかのようでございました。




☆あとがき

今回の黄金病編は千円札のあの人をベースに物語を進行いたします。

銀座のラーメン屋、思想家の吉野作造をベースに人狼など、大正をガンガン詰めておりますが、あくまでフィクションですので、お許しを。

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吸血鬼のひまつぶし 暁貴々@『校内三大美女のヒモ』書籍 @kiki-ki

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