第7話 葛藤
奥にある部屋はラスタの生活部屋らしかった。寝室もかねてあり、ベッドも置いてある。キングサイズで垂れ幕が掛かった豪奢なもので、魔王というより王室並みの高貴さがあった。家具はシンプルで物も少なく生活感がない。カーテンは閉ざされ、壁に掛かったランプが部屋を薄暗く照らしていた。
僕はが中に入ると、ラスタは静かに扉を閉めた。
「これで、ここの話は誰にも聞かれません」
「話があるの?」
ラスタはうなずき、ソファに座るよう僕に促した。その間に彼女は棚から瓶とグラスを手に取った。それが酒の類だと僕は直感した。
「ああもう、おかまいなくどうぞ」
とっさに僕はうわべだけの遠慮を言った。それでもラスタはグラスをテーブルに置き酒琥珀色の酒を注いでくれた。実を言うと酒はありがたかった。この緊張感を少しでも紛らわしたくて、酒でもなんでもとにかく酔わずにはとてもじゃないが身が持たない。
「お酒が好きなんですね」
そう言ってラスタは微笑む。
おそらく輸送中のやけ酒がまだ体から匂っているらしい。
「好きって程じゃないけど、ここに来たらまず、まともじゃいられないよ」
「分かります。でもすぐ慣れますよ。きっと」
「そんな親切なものかい」
僕の頭に疑問が浮かぶ。なぜそんなに親切なのか。彼女の言動も部屋に入る前とは別人なほど親切だ。
今度は箱入りの煙草を差し出された。僕は迷わずそれを手に取り、隣で火がほとんど消えかけていた暖炉の赤くなった灰に押し付けた。
「そうだ。その話ってのはなんだい?」
僕は酒には口につけず、一抹の不安を抱えながらも、まず先にそれを知ろうとした。
「大事な話です」
ラスタは椅子に座って改まって言う。僕は煙を吐きながら頷いた。この時はまだ余裕があった。
「エース、あなたに魔王になってほしいのです」
「えっ?」
魔王……いきなり言われたその言葉……つまり魔族の王……ラスタの代わり?人間の僕が?
「僕はね、君の婿になるって、ポレがそう言ったんだ」
「もちろん、それは本当です」
「子供が欲しいんだって?」。
「まあ――あの子そんなことまで――」
ラスタが顔を赤らめる。
そこには魔王というより、いじらしい一人の乙女がいるようだった。
「実のところ、君の婿になるのは反対しないんだ。――君が丈夫な体じゃないことも知ってる。子どもが欲しいのもわかる。――王国はだいぶ君たちを敵視してるようだし、焦りもあるだろう――」
要は、切羽詰まってるんだ。だから人間でも僕に頼む。
「そこまで分ってくださるなら、どうか引き受けてもらえますか」
ラスタは優しく、しかしすがるような目で僕に頼む。
「しかし……僕は……」
言い出して言葉に詰まる。僕は王国の刺客なのだ。種を滅ぼすための無能な人間なんだ。彼女の期待に応えようとすれば、結果、裏切ることになる。彼女の親切が今になって痛い。
こんなはずではなかった。――死んで、異世界に行って、こんなセンチメンタルに悩まされるなんて――
僕はラスタの目をじっと見つめなおした。彼女は無理のある微笑みを浮かべて見つめ返してくる。
僕は……彼女が好きだ。ポレもオルサバトルも愛おしい。
彼女たちを救いたい。そのためならなんだってする。魔王にもなる。
しかし、そんな大任を……僕なんかが……
「やっぱり、僕には向いてないよ」
僕は逃げるようにお酒に手を伸ばした。
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