第30話 地底都市国家の中央塔
女高師(※女子高等師範学校)時代に私は、ダンテの『神曲』を学校図書館で借りて読んだことがあります。三部作の第一部にある地獄編の描写は、目の前に広がるような光景でした。――大洞窟〝ズィン〟の地下最深部にある
――おかしい。……門番がいない。市門の扉は開いている。罠かも?
恐る恐る私達は市門をくぐろうとしますと、アーチになった門の石壁から、ピョンと何かが跳んできて、寧音さんの横腹を、ぬるっと、かすめました。顔のところに触手がある、芋虫にも似た軟体生物〝ドール〟です。
「わわわっ、きゃあーっ!」
全方位ビームという大技を出せるようになった寧音さんですがこうして、蛇ほどの長さをの芋虫さんが、不意を衝いて懐に飛び込んでくると、いまだにパニックになってしまいます。――いや、実際、私も同じ目にあったらパニックになるかもしれません。ほんとに気持ち悪いですし。
私は自分が乗っている夜鬼さんを、寧音さんが乗っている夜鬼さんに寄せつつ、中空で、〝
そうやって、市街地へと入り込みます。
すると、一体の
「ヒカリゴケで照らされたこの都市の住人・
くわえ煙草を指に挟んでどかした吉田先生が、
「夕子様、ガーストはお世辞にも賢いとは言えないけど、鶏ほどの知能はあるみたいですね」
捕食者の
夕子叔母様は、
「四腕巨人は気の毒だけど、この騒ぎに乗じて、あそこに乗り込むわよ」
夕子叔母様が指差したのは、列柱のある建物、東京の名所〝浅草十二階〟ビルを遥かに凌駕する、数百メートルはあろう高楼〝中央塔〟です。
大通りの両側に沿った町屋は一枚岩をくり抜いた造りで、ところどころ列柱のある神殿が見受けられました。――神殿の階段はもちろん、四腕巨人の歩幅に合わせたものです。人間がよじ上って行くには、かなり骨が折れる。――そういった意味で、巨大な蝙蝠のような翼をもった夜鬼の皆様方の存在は私達にとって、とてもありがたい存在です。
石をくり抜いたシンプルな舗装路は苔が生えていて、滑って転びやすい。ですが、低空飛行をしている夜鬼さんに乗っているので、その心配はありません。
先を行く夜鬼さんに乗ったスーツを羽織った白鳥さんが、
「沖縄沖を潜った潜水艦乗りからそこに、数メートルの段差のある階段を持った、神殿のような構造物があると聞いたことがある……」
屍鬼の盟友である翼の種族・夜鬼さん。その一体の背に乗った赤い着物姿の夕子叔母様が、ドーナッツの輪のような煙草をふかして、
岐門家の家令・山川さんがおっしゃるように、かつて
――夕子叔母様方はいったいここで彼らに、どんな仕打ちをしてきたのだろう……。
その夕子叔母様が、
「うまい具合に、上昇気流が吹いている。一気に飛ぶわよ」
私達は振り落とされないように、夜鬼さんの背中にしがみつき、中央塔の頂きを目指しました。
中央塔の途中には大神官様のお住まいになっている神殿があり、かつて私はその人と言葉を交わしたことがあります。――大神官様へのご挨拶は、また日を改め、お土産を持参して参りましょう。――私達は最上階の窓から内部に入ると、呪術封印された天井扉を開けて、〝魔法の森〟に出た次第です。
幻夢境の入り口にある〝魔法の森〟は現在でこそ、
ズインの大洞窟最深部・地下都市から幻夢境に抜けたところにある〝魔法の森〟。その異界の門にあたるのが――かつてそこで、四腕巨人が膨大な数の種族を捕らえては生贄の儀式を行っていたという――
以前、ズイン族は猫人族と抗争をしていて大敗したのがトラウマになっているらしく、誼のある私を環状列石の内側にいるのを認めたものの、遠巻きに囲んでいるのみで話しかけてはきません。――ズイン族ではなく、私を待っていたのは意外な人物でした。
「片帆、立派になったわね」
「……母さん?」
関東大震災で亡くなったはずの母・
私と母が抱擁していると、岐門家の皆様方が周りを囲んでいて、家令の山川さんときたら嗚咽までなさっています。
「瞳姉さん、あの程度の地震で姉さんが亡くなるなんてありえないと思っていたわよ。――やっぱりそうだったんだ」ショートカットの夕子叔母様がはにかんで、「〝夢見姫〟の二つ名がある聖女は、ただ通力を放出して魔獣どもと格闘するだけが華じゃない。本当の役割は万人救済にある。……姉さんは、関東大震災の際、被災した十万人を幻夢境のセレファイス王国に転移させている。転移先がセレファイスなのは、クラリス女王が英国出身で、英国と日本とは誼があったからなんでしょ――違う?」
「夕子には敵わないわね」母は叔母を抱擁すると、「近くに海賊が拠点にしていた入り江があるの。昨日、奴らを潰したばかりで、私の交易船団がまだ停泊している。――つもる話もある。ささやかだけど宴を催すから、ぜひお越しなさいな」
岐門家中の皆様のわきに、夜鬼の皆様方が一歩前に進み出られました。自分達に乗ってほしいという意味なのでしょう。
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