第20話 伯爵狙撃事件
欧米の警察では自動車を導入しているそうですが、日本ではまだ導入されておりません。大鳥様が使っている自動車は、自前のものだとのことです。
岬の先端に至る尾根道を通って行くとフロント越しに、スティックを手にした見憶えのある紳士が、先を歩いていらっしゃいます。
助手席の大鳥様が窓を開け、
「そこの先生、奥の廃屋に危険分子が立て籠もっている。引き返してください」
振り返ったその人は、私が
田中先生は、こちらを見たあと小声で、忠告するように、
「お久しぶりですね、お嬢さん。岐門伯爵邸で妖しいざわめきを感じました。――すぐ引き返すといいでしょう」
「どういうことですの?」
ドアを開けて、私が田中先生に詳しくお話しを伺おうとすると、そのお姿が、
「消えた――」助手席にいる大鳥様が私を振り返り、「
いったい、なにがなにやら、このときの私には判りかりませんでした……。しかし、よく見れば、紳士がいた未舗装路に、イタチのような小動物が立ち上がってこちらを見ていて、メッセージを伝えると、岬の先端に向かって駆けて行きます。
――
大鳥様の自家用車が後を追って、廃屋前に停車いたします。
着いたところは洋館で、運転手さんのお話しによりますと、
「ここのお屋敷は外国人が、欧州大戦(※第一次世界大戦)前まで暮らしていたそうで、危機に瀕した祖国が見過ごせず、将校に復帰して従軍したって話しです。――昨今、東京のお医者が、結核患者療養所サナトリュウムにするとかで買い取ったらしいですね」
ふわりとした髪を肩まで伸ばした白鳥様は拳銃を引き抜き、運転手さんを従えて、半ば朽ちたドアを蹴破って、中へ突入して行かれます。
吉田先生と私が続きます。
誘拐された
吉田先生が、「寧音ちゃん、しっかり」と呼びかけながら紐を解き、猿轡を外します。
*
お車で目を醒ました寧音さんによりますと、
「兼好……昨日、犯人達に拘束された私はこの廃屋に連れて来られたの。ランタンに照らされた賊四人が埃の被ったテーブルを囲んでいた……。
…
部屋に板頭目らしい男が、
「計画は順調か? この田舎町なら、われらが拠点を築いても、当局には気づかれまい」
すると手下の一人は、
「――そ、それが……」
「なにっ、失敗したのか?」
「申し訳ありません管長、町長や議員たちに袖の下をつかませたのですが、もう一歩のところで横槍が入ってしまったのです」
「岐門伯爵か、あの老人は我々にとって喉に刺さった
…
寧々さんは、
「――そう言って、頭目が拳銃を手下に渡した。そこで私の意識は途絶えたの」
――おじい様が危ない!――
大鳥様と運転手さんが前部座席に、お姫様抱っこをした吉田先生と私が後部座席に乗って、お車は伯爵邸に向かいます。
*
岐門町の目抜き通りを抜けて丘の坂道を登り、二階建ての洋館・岐門伯爵邸本館前にたどり着くと、玄関先から担架で、おじい様が運ばれて行こうとしていました。毛布をかけられたおじい様は意識が
私達は車を降りて駆け寄りました。
大鳥様が、
「急ぎですね、先生? 外科手術可能な岐門町立病院までなら伯爵を、僕の車にお乗せして行きますが――」
「ありがたい話しだが、署長、デコボコ道を車で行くと、振動で様態を悪化させてしまう。ここの従僕・白井君が、お屋敷の自家用車を使わず、あえて担架の片側を担いでいるのは、そのためだよ」
駆け付けて来たお医者様がそう言い残すと、丘の麓の坂道を下り、担架が運ばれて行きます。担架を持ったのは、お屋敷の従僕・白井さんと、巡査のお一人で、そこに家政婦長の菊野さんが付き添って行かれました。
それをお見送りした家令の山川さんに続いて、私達が事件現場になったエントランスルームに入ります。すると、町の喫茶店ココアクラブで吉田先生と、一悶着のあった警部さんと制服警官の皆さん六人が、現場検証をなさっておられました。
山川さんによると、
「刺客が玄関から踏み込んできて、エントランスルームにいらした旦那様の前に立って銃弾を撃ち、逃走したのです」
そこに居合わせた夕子叔母様が、「おじい様はかなり危険な状態です。私達も覚悟しませんとね……」と仰ったあと、「おじい様の銃で撃った人って、もしや……」
「え、小母様、ご覧になりましたの?」
「はっきりとじゃないけど、おじい様に珈琲をお出ししようとしてホールをのぞいたとき……」
すると、警部さんが立ち上がって、
「夕子様、詳しくお訊かせください」
叔母様は警部さんを案内して、別室に入って行かれました。
*
大鳥様は運転手さんに、吉田先生と寧音さんを物部神社へ送って差し上げるようお命じなり、ほどなく三人が退室なされました。エントランスでの検証を終えた警部直属の巡査さんたち五名は、本館廻りに対象をシフトして、そちらへ向かわれました。そういうわけでエントランスに残っているのは、家令の山川さんと大鳥様、そして私の三人だけになった次第です。
家令さんが、
「こんなときになんですが、大鳥様。子供のころはよく、このお屋敷に来られ、
『瞳様、お懐かしい。――お世話になったあの方の娘さんが、僕の妻になるかもしれない。――これも御縁というものなのでしょうね』
スーツの襟元からコロンの香りを漂わせる貴公子は、私が生まれる前、母とも面識があったようです。
しばらくすると別室にいた夕子叔母様が警部とエントランスにお戻りになり、
「山川さん、病院に行くお車の手配は――?」
「間もなく到着すると思います」
警察署長である大鳥さんは事件の指揮を執らねばならないので、警部さんたちと一緒に、そのままお屋敷に残り、夕子叔母様と私は、タクシーに乗って病院に向かいました。
病院の玄関先で、
「瞳姉様が貴女のお父様と東京に駆け落ちなさってからも瞳姉様と私は、連絡を取り合っていた。――長髪、ノッポ、眼鏡……さっき警部さんとお話ししていたのは、父を撃った犯人が、貴女のお父様に酷似していたということ」
「私の父は関東大震災で亡くなっています!」
「でもご遺体が見つかっていない。死亡というのは推測で、いまだに行方不明扱いになっている。――死んだはずの貴女のお父様が実は生きていて、舅が悪かった父を手にかける。――まあ、可能性は少ないでしょうが、警察にとってはどんな小さな糸口でも欲しいでしょうから、ありのままをお伝えしたわ」
震災からしばらく経って、行方不明の父が多額の借金を抱えていたことが判りました。母は借金返済のため、夕子叔母様を介して、おじい様にお金を無心していたということも判ったのです。父の借金は私に内緒で、おじい様が肩代わりしたとのこと。私は目まいがして、倒れそうになりました。
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