第20話 sideウィルフレッド
「お、お初にお目にかかります! リチャード=アキテーヌ=ウインザーです」
ウィルフレッドがリチャードと初めて会ったにはわずか二年前、ウィルフレッドが王となってからである。
兄弟とは言っても、ウィルフレッドの母は下級貴族の出、かたやリチャードの母はノイマン公爵家の出だ。
黒髪で醜い痕もあるウィルフレッドはすぐに辺境に飛ばされ王宮になど縁がなく、これまで会う機会などなかったのである。
「お前がリチャードか」
ウィルフレッドは玉座から冷たく、初めて会う弟を見下ろす。
この世に残された、たった一人の肉親を。
「はい。あのアマルダの英雄にお会い出来て光栄です。それが僕の兄だということを心より誇りに思います」
キラキラした目で見上げてくる。
第一印象は、子犬のような少年だった。
「そうか」
ウィルフレッドは小さく首肯する。
下から取り入ろうとする気配をうっすらと感じはした。
だが、そういう風に接してきた人間は、これまでごまんといた。
自分を怖がらないだけ、まだマシではあろう。
「お前を呼んだのは他でもない」
「はい」
「現状、お前は俺のたった一人の肉親だ」
「……そう、ですね」
戸惑うように、リチャードが表情を曇らせる。
当然と言えば当然か。
もう一人の肉親、ジョン王は他でもないウィルフレッドが殺した。
ジョン王はリチャードを溺愛し、可愛がっていたと聞く。
そんな兄を殺した相手に思うところがなかろうはずもない。
「だからこそ、お前には内々に伝えておかねばならんことがある」
「っ! なんでしょう?」
居住まいを正し、緊張した面持ちで問うてくる。
少々ふわふわして頼りない印象だったのだが、場をわきまえてはいるらしい。
悪くない。
「俺は子を儲けるつもりはない。王位はお前が継げ」
「ご……御冗談を。ま、まさか、ボクを試しておいでで?」
リチャードがいぶかるのも、無理のない話ではあった。
上手い話には裏がある。
あえて王位をチラつかせることで野心があるかないかを見定めようとするのは、王宮ではよくある話であった。
「そんなつもりはない。本心だ。信じろと言っても無理かもしれんがな」
「ええ、さすがににわかには……」
リチャードが動揺した顔で、首を左右に振る。
だが、元より信じてもらうつもりもない。
問うべきことを問うだけである。
「王位を継ぎたくないのか?」
「それは……」
「いやならば無理にとは言わない。他の者を探すだけだ」
「っ! お待ちください!」
リチャードが慌てて制止の声をあげる。
言ってから、しまったと言うように顔を歪める。
だが、吐いた言葉は戻せないとすぐに覚悟を決めたようで、
「一国の王になりたいかなりたくないかと言われれば、それはなりたいです。ボクも男ですから。でも、兄上を退けてまでなりたいとは毛頭思っていません」
慎重に言葉を選びながらもはっきりと言う。
二心がない事は明言しておきたいのだろう。
ほんの数日前に、ウィルフレッドは実の兄であるジョン王を弑しているのだ。
下手なことは言えないと思うのは当然の心理であろう。
そういう疑い深さや用心深さは、むしろ王には必要不可欠な資質である。
やはり、悪くない。今の時点では、合格点と言っていいだろう。
ウィルフレッドはうむと一つ頷き、厳かに言う。
「そうか。ならば励め」
「え?」
キョトンと目を瞬かせるリチャード。
どういう意味か、よくわからなかったらしい。
「王になりたいのならばよく学び、よく鍛え、力をつけろ。その時、王たるに相応しい資質をお前が備えていれば、次はお前だ」
噛んで含めるように、ウィルフレッドは言う。
リチャードは一瞬呆然としたものの、震える声で問い返す。
「ま、真にボクに王位を譲るおつもりで?」
「その時、お前が王に相応しい人間であれば、な。王になりたいのならば、力を示せ」
「ふ、粉骨砕身、努力します! か、必ずや兄上のお力となってみせます!」
拳を握り、ウィルフレッドの目をしっかりと見据え、リチャードが声を張り上げる。
ウィルフレッドからしたら正直言って気が知れないが、どうやら本気でこの国の王になりたいらしい。
「期待している」
声こそ淡々とした調子ではあったが、ウィルフレッドの心からの言葉であった。
ウィルフレッドとしては、彼がこの国を任せられるだけの人間に育ってくれれば、お役御免である。
実に願ったりかなったりであった。
「は……はいっ!」
瞳を希望に燃えし、リチャードが気持ちの入った声で返事する。
フッとウィルフレッドは目を細め小さく笑みをこぼす。
男に対して、こういう言葉を言うのはどうかとは思うが、素直に可愛いと思った。
この世に残されたたった一人の弟でもある。
出来れば夢を叶えて幸せになってほしかった。
心から、そう願っていた。
だが、その願いは叶わなかったらしい。
……。
…………。
「な、何事です、兄上!?」
「へ、陛下!?」
騎士たちを引き連れてウィルフレッドがリチャードの居室に乗り込むと、弟はノイマン公爵と歓談中であった。
こちらの物々しい雰囲気に、二人とも驚愕に顔を強張らせている。
「それはお前たちが一番よくわかっているだろう?」
見下ろし淡々と告げると、サーッとリチャードの顔から血の気が引いていく。
一方のノイマン公爵は全く思い至る事がないのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔である。
「……そうか、お前の独断だったか」
失望も露わに、ウィルフレッドは嘆息する。
ノイマン公爵には悪いが、正直、あくまで彼が主導で、幼いリチャードはそそのかされただけ……であってほしかった。
さほど交流はなかったが、ノイマン公爵は国内外でも名の知れた歴戦の武人である。
女を暗殺などと言う手はまず使うまい。
それを重々わかっていてもなお、そう期待せずにはいられなかったのだ。
だが、現実はいつもウィルフレッドにとって無情だった。
「リチャードを拘束しろ」
傲然とウィルフレッドは命を下す。
その声は冷たく、一切の感情がこもっていなかった。
「はっ!」
「リチャード殿下、ご無礼を!」
「おとなしくなさってください!」
「なっ! 貴様ら、何をする!? ボクは王弟だぞ!?」
「王直々の命なれば」
「ぐぅっ!」
リチャードは抵抗するが、所詮は荒事に慣れていない王宮育ちのお坊ちゃんである。
屈強な騎士たち三人に、瞬く間に組み伏せられる。
「へ、陛下……こ、これはいったい……!?」
ノイマン公爵だけがまだ状況が掴めず、ウィルフレッドとリチャードの間で視線をさまよわせている。
「毒矢の件、と言えば察しがつくだろう?」
「っ!? へ、陛下がお倒れになったことは耳にし、心より心配しておりましたが……ま、まさか……その犯人がリチャード殿下だと?」
「ああ、そのまさかだ」
震える声で言うノイマン公爵に、ウィルフレッドは頷きで返す。
だが、さすがににわかには信じられなかったのだろう。
「しょ、証拠はあるのですか?」
「先日捕まえたアランがザハクの毒を密輸していた。その取引先を洗ったところ、こいつの乳兄弟であるクライブの名が浮上してきた」
「っ!?」
リチャードの顔が、さらに青ざめる。
ぶわっとその顔に脂汗がにじみ出し、カチカチと歯が鳴り始める。
「で、殿下?」
「ち、ちがっ……ちがっ……」
ノイマン公爵の問いかけに返そうとするも、声が震えに震えてリチャードは最後まで言えないようだった。
もう白状しているようなものではあるが、ウィルフレッドは続ける。
「早速、乳兄弟であるクライブの部屋を捜索したところ、ザハクの小瓶が見つかった。尋問したら速攻で吐いてくれたよ。リチャードの指示だ、とな」
「ね、ねねね、捏造です! そ、そそ、そんな事、ぼぼぼ、ボクは頼んでないっ!」
裏返った声でリチャードが喚くが、もはや説得力は皆無であった。
この程度でここまで狼狽える胆力で、こんな大事を為そうというのがウィルフレッドからすれば、呆れるしかない。
「で、殿下……なにゆえそんな馬鹿な真似を……」
「ち、ちち、違う! 伯父上、し、信じてくれ! こ、これは誰かの陰謀だ! あ、あああ、兄上を暗殺なんて、そ、そそ、そんな大それた事、ぼ、ボクがするはずないだろう!?」
どもりながらも必死に訴えかけるが、ノイマン公爵の眼差しに宿る疑惑は深まるだけである。
「そうだな、お前に俺を狙う胆力があった、とは俺も思わん」
「そ、そうです! ボクにそんな大それたことは無理です!」
「仮にお前の言う通り、指示してなかったとしても、だ。クライブはお前の家臣だ。主としてお前が責任を取らねばならない」
やはり淡々とウィルフレッドは言い含めるように言う。
国王の殺害未遂、殺人教唆である。
大罪も大罪、下の者が勝手にやったことです、など到底通じる言い訳ではない。
それでなんとかなるレベルはとうに超えていた。
「…………っ!」
これが、決定打となった。
リチャードも一応は王族である。
もう言い逃れは出来そうにないと思い知ったらしい。
「ボ、ボクをどうするおつもりですか!?」
「その言葉に、俺はこう返すしかない。法は絶対だ」
冷たくウィルフレッドは言い捨てる。
途端、リチャードの身体が小刻みに震え、カチカチっと歯が鳴り出す。
「ま、まさか死刑……ですか!?」
「ふむ。さすがにそれぐらいは知っていたか」
あまりにも愚かゆえ、知らないのではないかと正直、心配だったのだ。
「せ、せめてお慈悲を! 命だけは! 命だけは……っ!」
すると今度は情に訴えかけてきた。
小悪党というものは、つくづく行動が一致するらしい。
あまりにもパターン通りすぎて、呆れを通り越して可哀想になってくる。
まだ十代であり、血を分けた実の弟だ。
相応の罰は与えた上で、今回は命だけは許してやりたいというのがウィルフレッド個人の素直な心境ではある。
だが、彼は残念なことに、このウインザー王国の国王だった。
「さっき言った通りだ。法は絶対だ、とな」
感情の一切入っていない、淡々とした声でウィルフレッドは言う。
これまで彼は法の名の下に、次々と処刑を行ってきたのだ。
それを今さら肉親だからと甘い裁定を下せば、これまで維持してきたウィルフレッドの『法治』が根底から崩壊することになる。
そうなればこれまで行ってきたせっかくの改革が有名無実のものとなり、犠牲になった数多の者たちに顔向けできない。
肉親にこそ法を徹底する。
そうやって自ら範を示さねばならないのが、ウィルフレッドの立場だった。
「せめて苦しまぬよう、一太刀であの世に送ってやる」
言って、ウィルフレッドはすうっと左手を腰の剣の柄に伸ばす。
それで彼がまごうことなく本気であると言うことは伝わったらしい。
「ひっ、いやだぁっ! 死にたくない! 死にたくないぃぃっ!」
リチャードがぶんぶんっと首を振りながら叫びもがく。
とは言っても、押さえつけているのは、屈強な騎士たちである。
彼程度の力ではビクともしない。
「だ、だから違うんです! ボクが殺せって言ったのは王妃なんです! 兄上じゃないっ! 事故なんだ!」
「ほう?」
興味深げにウィルフレッドは目を瞠らせる。
狙ったのが国王でないならば死罪にはならないと踏んだのだろうが、語るに落ちるとはまさにこの事である。
「やはりお前の差し金か」
「あっ! いや、その、えと……」
後に続く言い訳が思いつかなかったらしく、リチャードはしどろもどろになる。
助かりたくて必死だったのだろうが、あまりにも頭が悪い。普段はそこまでとは感じなかったので、咄嗟の機転が利かないのだろう。
「ち、ちちち、違うんです!」
「さっきからそればっかりだな」
自分に都合が悪い事があると、そう言いたくなるらしい。
せめてもうちょっとマシな言い訳はできないものだろうか。
「吐け。なぜアリシアを殺そうとした?」
「…………」
リチャードは黙ったまま、後ろめたそうに目を逸らす。
だが、それを許してやるほど、ウィルフレッドも甘くはない。
「爪でも
正直、気は全然乗らないが、理由をしっかり問いただしておかねば、他の者に説明ができない。
明らかにしておくことで、今後の対策に繋がる可能性もある。
まったく身内に対してすら一切の容赦ができないのだから、国王というのは因果な職業だと改めて思う。
だが、これがリチャードには効果てきめんなようだった。
「ひっ! ……こ、このままでは奪われると思ったから、です!」
怯えた声の後、さすがにもう言うしかないと観念したらしい。
リチャードが慌てて白状する。
だが正直、ウィルフレッドは彼が何を言っているのか全くピンとこなかった。
「奪われる? 誰に、何をだ?」
「決まっているでしょう! 貴方とあのアリシアとかいう女との間に生まれる子どもに、王位をですよ!」
「はぁ?」
思わず間抜けな声が、ウィルフレッドの口から漏れる。
一瞬、意味がわからなかった。
それぐらい彼にとっては欠片も考えたことがない事だった。
そもそも王冠など一刻も早く別の誰かに譲り渡したかったし、アリシアとの間に子を儲けるつもりもまったくなかったのだから。
「ずっと兄上は女に興味がないようでした。だからボクも安心していられた。けど、あの女とはとても仲睦まじく見えた……。もう時間の問題だと思ったんです……」
「……そうか」
それだけ返すのが、精一杯だった。
これほど間の抜けた話もないと思ってしまう。
実際には、ウィルフレッドとアリシアはあくまで友人として仲良くしているだけで、一度としてそういう行為に及んだ事などないのだから。
「今はまだそのつもりはなくても、兄上とて人の子。我が子可愛さに、必ず王位を惜しむようになる、と」
「……なるほど……な」
疲れたように、ウィルフレッドは嘆息する。
歴史を
ウィルフレッドもそうするというリチャードの考えは、至極自然なまっとうではあった。
だから、その発想自体を責めるつもりはない。
だが、王たらんとする者としては、あまりに短慮と言うしかない。
せめてもっと綿密に計画を立て、バレないように事を運んでいたのならば、認めてやることもできた。
政治にも軍事にも、汚い謀が時には必要だからだ。
しかし、まだ若いとは言え、ここまで衝動的に浅はかに事を進めるようでは、王となっても早晩、足元をすくわれていただろう。
「俺は本当にお前に王位を譲る気でいたんだがな、残念だ」
言いつつ、ウィルフレッドは腰の剣をゆっくりと抜き放つ。
聞きたいことはもうだいたい聞き終えた。
ならばもう、終わりにするべきだろう。
「ま、まさか本気でボクを殺す気ですか!?」
「冗談だとでも思ったか? たとえ故意でなかろうと、国王に刃を向けた者は死刑だ」
それが王政というものである。
ウィルフレッド自身はこんな条文なくしてしまいたかったのだが、それでは王の権威がなくなると周囲から猛反対されてしまったのだ。
一応、王自身の裁量で生死の判断ができる条文を付け加えはしたが、
(この浅はかさでは、生き長らえたところで、この国の害になるだけだな)
残念ながら、この性根ではそういう未来に至る可能性が極めて高いと言わざるを得ない。
リチャードはあと半年で、二〇になる。
この年で性根を入れ替え更生するというのは、なくはないが極めて稀だ。
そんな少ない可能性に、この国の未来を、民の生活を賭けるわけにはいかなかった。
「ひぃぃっ! こ、殺さないで! 素直にしゃべったじゃないですか! ひぐっ、ひぐっ、死にたくない! 死にたくないぃぃっ! お慈悲を! うあああ、お慈悲をぉっ!」
刃を見たことで、死を間近に感じたのだろう。
リチャードがぼろぼろ涙を流しながら懇願してくる。
「お、王位継承権なら返上します。い、一貴族になります! だ、だから命だけは……」
騎士たちに拘束されていなければ、足にすがりついてきそうな勢いである。
矜持も潔さもあったものではない。
「まだそれで済むと思っているのか」
もはやウィルフレッドにはただただ呆れしかなかった。
『苦労知らずのお坊ちゃん』
アリシアが一目見てリチャードをそう評していたことを思い出す。
まさしくその通りであった。
苦労を知らず世間を知らないから、こんな穴だらけの計画を建てることになる。
人の痛みを知らないから、物同然に簡単に人を殺そうとする。
だから人を殺そうとしながら、殺される覚悟もない。
事の重大さも、わからない。
(俺はこの程度の男に、期待していたのか)
散々アリシアの目を節穴呼ばわりしてきたが、何のことはない。
自分の目こそ節穴であり、彼女のほうがよっぽど人を見る目があったというわけだ。
まったく笑い話にもならない間抜けな話である。
「じゃ、じゃあ庶民になります! いや、牢屋暮らしでもいい! ですから! ですから命だけはっ!」
ヒュン!
ゴトッ……。
一陣の風切り音とともに、何か重いものが床に落ちる音が響く。
ブシュッと一拍置いて、リチャードの首を失った胴体からおびただしい量の鮮血が飛び出し、
不幸なのは、彼が王位継承権を持っていた、ということだろう。
それがなければ、振るえる力も限られていた。
神輿として担ぐ価値もなかった。
幽閉して静かに余生を過ごさせるという選択肢もあり得た。
だが、彼が王家の血を引く以上、不穏分子たちは彼を放ってはおかないだろう。
リチャードが望むと望まざるとにかかわらず、彼を利用しようとする者は現れる。
だから、こうするしかなかった。
将来の禍根を断つ為には。
「苦しまぬよう、兄としてせめてもの情けだ」
ピッと剣に付いた血を払いながら、もう物を言わなくなったリチャードの顔を見下ろし告げる。
おそらく、何が起きたか本人もわからぬままにあの世に逝けたことだろう。
痛みも、いざ殺すとなった時の迫りくる恐怖も感じることなく。
またこれ以上、醜い生き恥を晒すこともない。
もうそれが、ウィルフレッドにできる最後の慈悲だった。
弟にはきっと、わかってはもらえないのだろうが。
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