フィルス、駆ける
◆
──何でこんなことに
フィルスは絶望していた。
なぜなら、講習初日からやらかしてしまったからだ。
目の前に人が倒れている。
苦悶の唸り声をあげるだけで叫んだりはしていないが、それがなおさら良くない。
人は許容量以上の痛みを味わうと、もはや声もでなくなるのだ。
「た、大変だ!骨が出ているぞ!」
「治療師を呼んで来い!」
──なんでこんな事に
フィルスはもう一度考えたが、やはり答えは出なかった。
「あーあ、だからやめとけって言ったのによぉ……」
呆れた様に言う教官の男の声が教練場に虚しく響く。
・
・
話は数時間ほど遡る。
「じゃあ行ってくるね」
フィルスはゲドスに声をかけ、宿を出た。
冒険者としてのイロハを知るため、新人講習に参加しにいくのだ。
お金も多めに持たされている。
フィルスは「こんなに要らないよ」と言ったが、ゲドスは「現金は多めに持っておくべきです」と言って無理に持たせた。念のため、念のため、と連呼するゲドスはフィルスからすれば少し心配症に見える。
──たまに過保護なんだよね。まるで……
嫌ではないがどこかむず痒い不思議な感覚に、フィルスはゲドスに亡き父親の面影を見ていた。
宿からギルドまではせいぜい曲がり角を一度曲がるくらいなので問題はなく、フィルスはすぐにギルドへとたどり着いた。
受付で新人講習を受ける旨を伝えると、受付嬢はにこやかに笑顔を浮かべながら説明を始める。
「新人講習の内容は大きく分けて座学と実戦の訓練になります。まず最初に冒険者としての基本的な知識やルールを学んでいただきますが、その前に簡単な模擬戦闘を行います。これは皆さんの現在の実力を把握するためです。実際の戦闘を通じて個々の力量や動き方を確認し、その後の訓練を適切に進めるための重要なステップなんですよ」
彼女は淡々と説明を続けながら、模擬戦闘の意義を強調した。
これは要するに最初に選別をするということだ。
冒険者ギルドの主な収入源は街の雑用ではなく、魔物の討伐である。
だから見込みがある者は新人のうちからマークして、手を掛けて育てるといった事をしている。
では戦う才能がない者には未来もないのかといえばそうではなく、そこは座学で判断をする。
戦う際も座学も駄目なものは、街の雑用役としてカウントされる。
「この講習で良い成績を修めれば、ギルドから優先的に条件の良い依頼を斡旋されることもありますので真面目に受けるようにしてくださいね」
「はい、頑張りますっ」
フィルスは勇者らしからぬ真面目な性格だ。
ここ最近は少し性の喜びを知ってきたとはいえ、生来の真面目さにはいささかの影も落とす事はない。
だが、真面目だからこそ起きてしまう悲劇というのは往々にしてあるのだ。
◆
その日、中級三位の冒険者であるボブは訝しんだ。
冒険者ギルド所属の冒険者は上、中、下と三つの大分類と一位~三位の小分類を組み合わせた等級区分が適用される。
その区分でいくとボブの評価は「まあ良くいる中堅」と言った所である。
──たま~にいるんだよな、場違いな奴って
視線の先にはフィルスがいる。他の講習生とは明らかに違う存在感は、見る者が見れば明らかだった。
──ナヨっとした外見だ。押し出しも弱い。ぱっとみれば女にすら見える。だが……
俺でなきゃ見逃しちゃうね、とボブはフィルスの肉の内から放射される力感を察知した。
この敏な感覚があるからこそ、ボブは教官役としてよく呼ばれているのだ。
──とりあえずあいつは隔離。模擬試合なんてやらせたら事故がおきちまう
しかし──
・
・
──こいつもしかして俺に喧嘩売ってるのか?
ボブはそう訝しんだ。
フィルスの模擬試合免除の決定に食ってかかってきた講習生がいたのだ。
不平不満を言うならまだしも、決して折れようとしない。
「はあ!?なぜ彼は……彼女?いえ、彼かな。彼かも。とにかく、彼は試験免除なんですか!?」
紫色の髪の毛の剣士少女が先ほどからずっと喚き散らしている。
まあ無理もない。
試験免除という事は、ギルド公認でこの中で一番デキると認められているということだからだ。
自分より明らかに弱そうな者がそんな扱いを受ければ、気に食わない者も出てくるだろう。
特にこの講習生──ある程度剣術を修めている少女からすれば、立ち居振る舞いも素人臭いフィルスが教官から認められているというのは「ふざけるな」となっても仕方がないのかもしれない。
だからボブはある程度説明はしたが、剣術少女は折れない。
「落ち着け。お前が劣ってるって話じゃねえんだ」
「じゃあどんな話だって言うんですか!」
「あいつが抜けてるって話だ。見れば分かる。お前が見てわからないのは、まだそこまでに達していないからだ」
「私はそうは思いません!私より彼が強いなんて認めません!」
こんな調子で堂々巡りをしている。
負けん気が強いのは冒険者としては見込みがあるが、それでも事なかれ主義のボブとしては鬱陶しい。
──というか、なんでこいつが認めるか認めないかを考慮しなきゃなんねえんだ?
そう思ったボブは、もう面倒くさくなってしまって「んじゃあお前も免除でいいよ」と言った。
これが良くなかった。
ある種の人々にこういう態度は火に油を注ぐ様なもので、少女剣士はまごうことなき "ある種の人々" だったからだ。
「し、し、し……」
少女剣士は激怒した。
彼女が欲しい言葉は「お前
「勝負よ!」
練習用の刃引きされた剣の切っ先をフィルスに向け、少女は吠える。
果たしてフィルスは──
「僕が何か悪い事をしてしまったんだったら謝るよ」
と言ってぺこりと頭を下げた。
フィルスは馬鹿ではないから、ゲドスの忠告がしっかり頭に入っていたのだ。
もしそれを忘れて問題を起こそうものなら、きっと物凄い事をされてしまうだろうという恐怖がある。
だがこの世の中には、こう言った態度も「相手にされていない」と勘違いして、一人でカチ切れる人種もいるのだ。
そしてこの少女剣士はまさにそういった人種であった。
「ふっ……ざけ……!」
少女剣士がググッと身を屈める。
「お、おい!やめとけって!」
ボブは慌てて止めようとしたがもう遅い。
「る、なァァーーー!」
叫ぶと同時に、少女剣士は天性のバネを活かした突撃を敢行した。
◆◆◆
は、早ッ……い、けど!
僕は女の子が振り下ろしてくる剣を何とか受け止める事が出来た。
ゲドスからは剣の握り方くらいは教えてもらっていたけれど、ちゃんとした訓練はつけてもらっていない。
だからたんなるまぐれだと思う。
でもそれが意外だったのか、女の子はきょとんとした表情をして、そのあと何度も何度も剣を叩きつけてきた。
「ちょ、っと!落ち着いてよ!僕が悪かったから!」
僕は全然悪い事をした覚えはないけど、これだけ怒るのならきっと何かしてしまったんだろう。
「クソぉッ!この!なんで!」
最初みたいに鋭い攻撃ならきっと僕じゃ受け止めきれなかったとおもうけれど、今の彼女の剣ならなんとか受け止める事が出来る。
そして、僕はゲドスが言った事が本当の事だと言う事にも気付いた。
きっと今の僕は少なくとも力だけはとても強くなっているんだろう。
女の子の剣を幾ら受けても何とも感じない。
まるで小さい子供が振り回す小枝を受けているようだった。
だけどそれは同時に、僕から剣を振る事はできない事を意味する。
最低でも力加減を覚えないと大けがをさせてしまう。
だから僕は彼女が疲れるまで待つことにした──そのはずだったんだけど。
「ふ、ふん!少しは鍛えてあるみたいね!師匠は誰よ?身のこなしが素人臭いから、教えるのがよっぽど下手だったんでしょうね!っていうかアンタの顔、見た事あるわよ!あの豚みたいなオヤジと一緒にギルドに来てたわよね。もしかしてあの豚がアンタの師匠?ぷ、笑っちゃうんだけど!」
──は?
◆
大型の肉食獣が必殺を期して獲物に飛び掛かる時、大きく身をたわめて力を溜めるという。
屈んだフィルスは無音の爆風に背を押されたかの様に剣士少女へ肉薄し、力任せの横薙ぎを叩きつけた。
とはいえ雑な一撃だ、そこに研鑽の跡は見られない。
そう、フィルスに業はないのだ。
少なくとも今は。
しかし力ならばあった──余りある程に。
──なぁッ!?早、ちょ、受……
剣士少女はかろうじて剣を立て、横薙ぎの一撃を受け止める事が出来たが──乾いた音、二つ。
フィルス♂の剛剣は訓練用の剣と剣術少女の利き腕を粉砕し、しかし命までは辛うじて粉砕することなく、剣術少女が言う所の
とはいえ、剣術少女は運がいい。
もしもこの勝負がもっと後、フィルスが業を扱えるようになってから行われていたら、剣術少女の上半身は粉々に砕け散っていたに違いないのだから。
◆
中級三位の冒険者であるボブは訝しんだ。
──あの小娘、死んだか?
だがよくよくみればまだ息をしているようだ。
ぴくぴくと死にかけの虫けらの様に動いている。
「あーあ、だからやめとけって言ったのによぉ……」
呆れた様に言う教官の男の声が教練場に虚しく響いた。
しかしフィルスの頭の中には別の声が響いている。
──フィルス殿、くれぐれも気を付けてくだされよ。万が一の事があれば、儂もフィルス殿を罰する必要がありまする。儂は断腸の思いでフィルス殿をメチャクチャにするでしょう
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