4-2. pal

 放課後、理法術科の教室で学生達が習いたての物体の浮遊魔法で遊んでいた。得意な学生は浮かすだけでなく器用に飛ばして見せた。その賑やかな空間の隅の机に体系理法術の分厚い教科書が開かれたままにされていた。そこに並ぶ文章をシオンが気の抜けた表情で眺めている。

「ねね、シオンちゃん」

 パメラが机に手をついた。声が届いていないのかシオンは黙ったままだった。

「あれ」

 パメラは右手を開いて複雑に捻れた木の法術杖を出した。それを目の前にかざして教科書を宙に浮かしていく。水の流れのような光の筋と一緒にシオンの目はそれに釣られて上がっていき、やがてパメラの目とまっすぐ繋がった。パメラは白い歯を見せて笑った。

「シオンちゃん、遊びに行こ!」

「え?」

「これから! ラゼルも来るよ」

 シオンの目線が地面に引っ張られていく。それを引き止めるようにパメラは机に額をつけて頭を下げた。

「お願い! 一回でいいから! 遊んでください!」

 パメラの声に教室中の目が集まった。シオンは気まずそうに彼女の土下座をやめさせた。

「わ、わかりましたから……! 顔、あげて」

「いいの?」

 ぱっと顔を上げたパメラの額は赤くなっていた。

「どこに行くんですか」

「任せて!」

 パメラはシオンの手を取ると勢いのままに教室を飛び出した。廊下を駆け抜けて中央広場まで行くと噴水のそばのベンチにラゼルが座っていた。パメラに手を引かれているシオンに気付いて驚いたように目を開く。

「本当に連れてきたのかよ」

「えへへ、来てくれるって。土下座した」

「なにしてんだ」

 ラゼルは赤みが引かないパメラの頬に手を当ててシオンを見た。

「本当に大丈夫?」

 シオンはパメラの手を握ったまま小さく頷いた。ラゼルも何も言わず頷き返す。パメラはラゼルのローブを掴んで二人を引き連れて歩き出した。

「ほら行くよ!」

「いてて……引く力強すぎんだろ」

「馬って言うな!」

「言ってねーよ」

 

 南の海沿いにできたローフォスという商店街がパメラとラゼルの地元だった。海に向かって下がっていく坂道に賑やかな街並みが広がっている。パメラがこの場所の海風を吸って育ったと思えば納得できるほど活気があった。

 パメラは花屋の前で足を止めた。ポスカと書かれた木の看板がぶら下がっていて、店先には季節の花が鮮やかに並んでいた。

「ここがうちのお店。お花屋さん」

 パメラはくるっと反対側を見て指を差す。

「向かいがラゼルのお店」

 道を挟んで真向かいには二階にテラスがついたマリンブルーの三角屋根の店があった。

「何のお店ですか?」

「カフェ、アンド、パティスリー」

 パメラがにやついてシオンの耳に顔を寄せる。

「らしくないよね」

「俺が開いたわけじゃねーよ」

 ラゼルはパメラのローブのフードを深く被せた。わたわたしながらフードを元に戻すパメラ。ベージュの髪の一部が触覚のように跳ね上がってしまったのをシオンは恐る恐る指を伸ばして直した。パメラの目が輝いてシオンに向く。

「え、好き」

「ぇ」

 シオンは手を引っ込めて固まった。ラゼルが後ろからパメラを小突いた。

「おい唐突に内心を出すな。困ってんだろ」

「だって、直してくれた! シオンちゃんが私の髪を触って……!」

「ご、ごめんなさい」

 俯くシオンにパメラは取れそうな程激しく首を横に振った。

「嬉しいの!」

「なら、よかったです……」

 ラゼルはスボンのポケットに手を入れてカフェの方を一瞥した。

「俺は準備しにいくけど、後は二人でいいの?」

「うん、いいよ。私はチョコレートパフェとベリーのパンケーキ!」

「食い過ぎだろ」

「デブって言うな!」

「言ってねーよ」

 パメラはシオンを振り返る。

「シオンちゃんは何にする?」

「え、なにって」

「メニュー」

「ラゼルがこの後作ってくれるから!」

 ラゼルは店頭にかかっていたメニュー表を魔法でこちらに飛ばしてシオンに見せた。コーヒーや紅茶などのドリンクとスイーツがずらりと並んでいた。シオンの目がぐるぐると回り出す。

「シオンちゃんへのおすすめは……これかな!」

 パメラが指を差したところにスワローテイルと書かれている。

「一番難しいやつじゃねーか」

「じゃあそれで」

「おいまじかよ」

 パメラは笑い転げた。

「だ、だめですか?」

「いいに決まってる。アレルギーとか食べられないものは?」

「ない、と思います……」

 ラゼルは口を結んで一つ頷くと、メニューを閉じて店の中へ消えていった。シオンは胸の前で指を結んでラゼルの後ろ姿を見ていた。パメラがその視界に入り込む。

「シオンちゃんもラゼルの扱いがわかってきたねぇ」

 パメラはシオンの手を引いてポスカの中に入った。店の奥で葉巻を吸っていた店員が二人に気付いた。

「お、帰ってきたのか」

「ただいまパパ。この子、シオンちゃん」

「あぁ君が。パメラがお世話になってるよ。父のクリフです」

 クリフは茶色の髭が特徴的な穏やかな男性だった。首から掛けられた緑色のエプロンの中央には可愛らしい花束の刺繍とポスカの字が浮かんでいる。

「パパさ、セレクタ・フロッセの在庫ってある? 二人分」

「あるよ」

「やった。シオンちゃん一緒にしよ!」

 パメラは窓際に並んだ椅子に腰掛けた。シオンも続いて隣に座ると、ちょうどバケットいっぱいの花が運ばれてきた。

「せ、せれ……何ですか?」

「自分で好きな花を選んでアクセサリーとかインテリアを作れるんだ。ポスカの特別メニューだよ。やり方は私が教えるから、今日のお土産に一つやってみよう!」

 シオンはパメラの無邪気な声に流されるまま小さく頷いた。


 鮮やかな空色がパステルで塗ったキャンバスのように広がっていた。テラスを通る潮風がシオンの紫の髪を透かす。西に広がる山々を目指してお日様が沈んでいくのが遠くに見えた。

 ラゼルがスイーツとドリンクを運んできた。

「お待たせしました」

「わーい」

 シオンの前に置かれたのはチョコレートケーキだった。ケーキの頂上にチョコレートの蝶が止まっている。その羽根にはシオンの髪飾りにそっくりな模様が緻密に描かれていた。フォークで少し突けば折れてしまいそうなほど繊細な出来だ。

「これ、ラゼルさんが?」

「発狂しながら作りました」

「ごめんなさい」

 ラゼルの口元からふっと笑みが溢れた。

「いいんだよ。楽しんでくれれば」

「ラゼルのお母さんの方が上手だね」

「俺が作るから意味あるんだろうがよ」

 パメラの分のスイーツをテーブルに置くと、ラゼルは向かいの席に座った。シオンは手を合わせてケーキを口へ運んだ。

「おいしい」

「そりゃよかった」

「ラゼルは小さい頃から両親に仕込まれてるからね」

 パメラはパンケーキを頬張りながら表情を溶かしていた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ケーキの優しい甘さにシオンの笑みがたくさんこぼれた。その度に隣のパメラが愛おしそうにしていた。

 それから二人は育ったこの場所のことをたくさん話して聞かせてくれた。シオンがここに来る前の話も聞いてくれた。パメラは時に涙を流してシオンの手を優しく握った。

 いつの間にか街には灯りがつき始めていた。店にいた客ももう少ない。耳を澄ますとほんの微かに海の声が聞こえた。ラゼルは食後に一杯のカプチーノを淹れてくれた。

「そういえば、パメラのとこのなんとかフロッセやったの?」

「セレクタ・フロッセね」

「そうそれ。どうだった?」

「すごく、楽しかったです。なんか時間忘れられて」

「えー見せてよ」

 シオンは膝の上に抱えた小袋の中から組んだ花のアクセサリーを出した。黄と白の小さな花の隙間に鮮やかな緑の茎が丁寧に組んであった。

「ミサンガにできるやつか。上手だね。初めて?」

 パメラが激しく頷いた。

「本当にそう! ラゼルが初めてやった時なんか寝癖マックスのライオンだったんだから」

「傑作だろ」

 ケラケラと笑うパメラの声がカプチーノを揺らした。

「シオンちゃんは、黄色が好きなの?」

 シオンは少し黙った後、声を絞るように言った。

「これは、ゼラさんに。実は、謝りたいことがあって」

「謝る?」

「この間、ゼラさんを突き放すようなこと言っちゃったんです。傷つけてしまいました」

 パメラとラゼルは互いに視線を交わした。俯くシオンの手にパメラがそっと手を重ねた。

「それで元気なかったの?」

「え?」

「最近ずっと、心配だったから。いつも本に向かって苦しそうにしてるし」

 シオンは目の前のカプチーノをぼんやりと眺めてはっとする。

「もしかして、だから誘ってくれたんですか」

 パメラの口角が静かに上がった。

「少しでも気分が楽になればいいなって思って」

「それ、俺からプレゼント」

 ラゼルが空いたケーキの皿を指差して言った。

「甘いものは頭が喜ぶんだよ。苦しいことを忘れるのに最適だ」

 パメラは自分が作った大きなリースを取り出してシオンの首にかけた。シオンの顔が色とりどりの花に埋め尽くされる。

「これもシオンちゃんへのプレゼント。いい匂いのたくさん選んだから、よかったらお部屋に飾って」

 シオンは戸惑うように二人を見た。

「ど、どうして」

「友達だから。ただ、それだけ」

「ともだち……?」

 頷く二人。風が遠い陽の温もりを運んできた。シオンは静かに目を細めた。

「……えへへ、ともだち」

「く、か、かわいいっ……!」

 パメラは噛み締めるように拳を握って体をくねらせた。それを横目にラゼルがシオンを見る。

「ゼラさんと仲直りできたら二人でこれ食べに来なよ。いつでも作るから」

「え、ずるい」

「お前はいつでも来れるだろ」

「そうじゃなくて! 私のお店にも来て欲しいじゃん。食べ物ないけど」

「今度は自分の分のこれ作りに来ます」

 シオンは花のミサンガを持ち上げた。パメラは嬉しそうに頷いた。青いルーンが弾けるように揺れた。

「二人ともこんなに素敵なお店があるのに魔法使いになるんですか?」

「俺は学校出たら店を継ぐつもりだよ。どうやって魔法を使うかはまだ決めてないけど。パメラは?」

「私は魔法省に入りたい。パパ一人になってから毎日働いてばっかでさ。ちょっとは楽させてあげたいんだ」

 パメラは自分のルーンに手を当てた。

「魔法省ってお前の成績でいけるの?」

「いけない! まずいよ〜! 私、机に向かうお勉強全然できないから」

「教科書読めないもんな」

「バカって言うな!」

「言ってねーよ」

 シオンはふふっと笑った。パメラが泣きつく。

「シオンちゃんお勉強教えてよ〜」

「え、私ですか?」

「テストの点だっていいし。最近すごい勉強してるし」

「いいですけど、私も別にまだ全然分かってないですよ?」

「じゃあみんなで勉強だな」

 ラゼルがカプチーノを飲みながらそう言った。名案、とパメラが指を差す。

「でもシオンちゃんに教えられてばっかになりそうだな」

 シオンはテーブルの上に乗せた手をぎゅっと握った。

「じゃあ、ボードゲーム教えてください。実は一個もルール知らなくて」

「え! 教える教える! 一緒にいっぱい遊ぼうね!」

「おい、勉強しろ」

 賑やかな笑い声が暗くなり始めた空に打ち上がった。マリンブルーの三角屋根の上にフードで顔を隠した黒いローブが一つ、影から三人の様子を覗いていた。袖から出た白い手袋が親指と人差し指を擦り合わせて遊んでいる。

「そろそろ行きますよ」

 後ろから声がする。

「今いいところなの。もう少し」

「だめです」

 黒いローブはため息を吐いた。

「冴えないわね。分かったわよ」

 彼女は立ち上がって声のする方を向いた。その口元に微笑みをたたえていた。

「あの手紙は?」

「会長の指示通り、ゼラ・ガーデン様にお届けしました」

「そう。ありがとう」

 銀色の細い杖を白い手袋が掴んだ。空にはいくつか星が見え始めていた。

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