第7話「モンペ in トウキョウベイ」

 カランコロン。


 入り口のドアにぶら下げられた鈴が鳴り響き、来客を告げる。


「いらっしゃいませー。って子ども……?」


 訪れたのは、おそらく5歳くらいであろう子どもが一人だった。


「どうしたの? 迷子にでもなった?」


「うるせぇ、ババァ!」


 ……は?


 まさか突然罵倒されるとは思わず、カリンの思考が一瞬フリーズを起こす。


 まあ、まだ年端も行かないであろう子どもの言う事だ。いちいちキレるのはよくない。それに何かの聞き間違いかもしれないし。


 そう心に言い聞かせ、深呼吸をしてから、話の続きに戻ろうとする。


「お母さんがこのお店に来てるのかしら?」


「うるせぇ、ババァ!」


「よし! ぶっ殺してやるわ!」


 腕まくりをし、今にも目の前のクソガキに掴みかからんとするカリン。そんなカリンの肩に、店長の手が置かれる。


「何ガキの言う事にムキになってんだ……。ほら、下がってろ」


 そう言って店長はカリンの前に躍り出た。


「おい、ボウズ。お姉さんたちは今仕事中で忙しいんだ。迷子なら交番にでも行きな」


「うるせぇ、ババァ!」


「野郎ぶっ殺してやる!」


「何よ、私より沸点低いじゃない!? 私だって一回は耐えたわよ!?」


 店長を羽交い締めにして抑えつけるカリン。一瞬にして立場逆転だ。


「もう、二人とも何やってるんですか……」


 そんな二人を見かね、呆れた様子のアオイが近づいてきた。


「どうしたの? 迷子になっちゃった?」


「うるせぇ、ババァ!」


 アオイの笑顔が一瞬引きつる。しかし、そこはさすがの人間力。この一撃はしっかりと耐えてみせた。


「こら、ボク? 女の子にババァなんて言っちゃダメでしょ?」


「うっ……。でも、ママがいつも『ママ以外の女はみんなババァなのよ。ババァとは話しちゃダメよ』って」


 アオイに窘められ、少しだけたじろぐ少年。なにやらとんでもないことを言っている気もするが。


「いや、どんな教育してんのよ……?」


 衝撃の教育内容に、思わずツッコんでしまうカリン。


「とにかく、迷子ならお姉さんと一緒に交番行こ?」


「う、うるさい! ババァ!」


「こら、ダメでしょ!?」


「うるさい! ババァ!」


 繰り返される「うるさい! ババァ!」の波状攻撃。ついに、アオイの中で何かが弾ける音がした。


「うわあぁぁぁん! 私まだそんな歳じゃありませんんんん!」


 アオイはそう泣き叫びながら、情けなく店の奥へと走り去ってしまった……。頼みの綱を失い、再び少年と相対するカリンと店長。


「邪魔者もいなくなったし、もうコイツやっちまおうぜ?」


 首をボキボキ鳴らしながら店長が言う。


「いや、さすがにちょっと……遠慮しとくわ……」


「自分よりヤバいやつを見ると逆に落ち着く」とはよくいうが、今のカリンがまさにその状況であった。


「みんなしてどうしたの? 何の騒ぎ?」


 店頭で繰り広げられる大騒ぎを聞いて、ノアも様子が気になって見に来たようだ。


「子ども? 迷子なら交番に」


「うるせぇ、ババ……ひっ!」


 必殺の一撃をノアにもぶつけようとする少年。しかし、生物としての本能が上回ったのか、その一撃がノアまで届くことはなかった。


 少年の怯えた目線。何故かそれは、ノアではなくその後方に向けられていた。


「よう、ボウズ。挨拶ってもんのやり方は、幼稚園で教わんなかったのか? 俺たちがその身にたたき込んでやろうか? ああん?」


 その目線の先にいたのは……言うまでもなく八九三組の皆さんだった。


 恐怖のあまり腰が砕けてしまう少年。こころなしか漂うアンモニア臭。


 カランコロン。


 そこに突如として、入口のベルが鳴り響く。


「ショーちゃん! こんなところにいたのね!? ババアたちに何かされなかった!?」


 突如来訪した、おとぎ話の魔女のような出で立ちの女性。まあ間違いなく少年の母親だろう。


 魔女は、怯えきった我が子とノアを見比べ、ノアを睨みつける。


「このババア! うちのショーちゃんにいったいどんな酷い真似をしたの!?」


「あのー……。お母さん……? 後ろ……見ていただいたほうが……」


 今置かれている状況を彼女へ伝えようと、カリンは恐る恐る魔女へと声をかける。


「うるさいわね、ババア! あんたに話しかけてないわ……よ……?」


 額に青筋を浮かべた八九三組の皆さんと、魔女の目が合う。


「こんにちは、お母さん。この陽気だ……さぞかし東京湾の水は冷たいでしょうねぇ?」


「ひぃ!? ヤクザ!? し、失礼しましたあぁぁぁ!」


 魔女は我が子の手を引き、脱兎のごとく店から逃げ去ってしまった。


「待てやゴラァ!!!」


 逃げる魔女と少年を追って、八九三組の皆さんも次々と店を飛び出していく。


「アンタたち!? 別にそこまでしなくてもいいから!? ていうか……アンタら会計まだでしょうがあぁぁぁ!!!」


 慌てて飛び出したカリンの渾身の叫びも、街の喧騒へと虚しく消えていった……。

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