だからぼくにはミステリーが書けない

「脅すというのはもちろん首吊り少女のこと、盗作のこと全部ですよ。それらのことをバラされたくないのなら、ぼくの言う事を聞いて下さい」

「今になって急になにを言い出すんだ君は」


 彼方さんはぼくの脅すという宣言に警戒する気配もなく、それどころか額に手を当て、深い溜め息をついた。まるで本気と取られていないようだが、ぼくは本気だった。


「ぼくの要求は一つです。卒業しても、小説を書き続けてください」


 なんだそれは。言われなくても書くに決まってるだろう。きっと、ぼくはそんな答えを期待していた。でも、


「……それはまた、自分の身の程を思い知った人間に、ずいぶんと残酷なことを言う」


 悟ったような、物悲しい笑み。その答えは、自分がこれから筆を折ると認めたようなものだった。


「バラしたければバラせばいい。だからもう放っておいてくれないか? わたしが卒業してからも小説を書こうが書くまいが誰も困らないし、君には関係ないだろう」


 突き放すような冷たい物言いに、ふつふつと怒りが湧いてくる。


「関係ない? 自分が書かなくても誰も困らない? ふざけるな。関係ないわけあるか。ぼくはな、中学の時たまたまこの高校の文芸部の部誌を読んだときから、あんたの書いた話の大ファンなんだよ! あんたが書いてくれないと、誰でもないぼくが困るんだ!」


 昔から人が死ぬ話が、バットエンドやビターズエンドが嫌いだった。だからミステリーが嫌いだった。切実な動機を持った犯人に、死んで当然の救いがたい被害者。暴かなくても良い真実を暴く気取った探偵。じゃあ人が死なないミステリーってのを買ってみれば、今度はほろ苦い真実と来た。空想の世界くらい、ハッピーエンドでいいじゃないか。ずっとそう思っていた。だからこそ、誰も死なない、誰も不幸にならない彼方さんの書くミステリーが、ぼくの心に深く突き刺さった。


「ファン? き、君が、わ、わたしの?」


 突然のカミングアウトに彼方さんはしどろもどろで、面白いぐらいに動揺していた。


「けど森辺、おまえ、おまえそんな素振り一度も見せなかったじゃないか!」

「必死に隠してたんだから当たり前だろ!」


 あなたに憧れてミステリー作家を目指してるんです。だからこの高校に入学して文芸部にも入ったんですなんて、そんなの恥ずかしすぎるし、なによりも気持ち悪すぎて言えるわけがないじゃないか。


「あんたの書く話をもっと読みたいと思った。ぼくもあんたみたいな、優しいミステリーが書きたいって思った。だからこの高校に入った。文芸部に入った。けど、書こうとすればするほど、あんたの話と比べて自分の話がどれだけつまらないかが全部わかって」


 だから、全部あんたのせいなんだ。


「ぼくがミステリー作家を夢見たのも、ミステリーが書けないのも、全部あんたのせいなんだ。あの部誌に出逢ってなけりゃ、ぼくは今頃運動部に入って、爽やかな汗を流して恋人だっていたかもしれない。軽音部でロックの才能を開花させて、恋人だっていたかもしれない。でもいろんな未来を全部、あんたの書いた小説が吹き飛ばしたんだ。これだけ人の人生を捻じ曲げる話を書いておいて、はい卒業するから書くのはもうやめますなんてふざけるな」


 なに「本当の天才に打ちひしがれ、自分の才能を悟った私」、なんて被害者ぶってるんだ。あんただって琴原と同じ、凡人の夢を踏み潰す加害者なんだよ。なのに被害者面して逃げようだなんて、そんなの絶対許すものか。


「全部あんたのせいなんだよ。だから、責任取って卒業しても書き続けてくれ。小説家になってくれ。そんで、十年後ぐらいに本屋の店頭で名前を見つけて、ああやっぱりあの人はぼくなんかとは違ったんだって、そう思わせてくれよ。頼むから、書くのをやめないでくれ……」


 胸の内にしまい込み、言おうとなんて思っていなかったこと全てを吐き出して、ぼくは息を荒げた。頬を生温かいものが伝う。完全に感情が制御できなくなっていた。


 自分勝手な気持ち悪い理由をまくしたてたぼくを見て、彼方さんは唖然としている。けど急にばっと勢いよくぼくに背を向け、窓の外に視線を向けた。


「君の推理を聴いた後、聴きたいことが二つあると言ったのを、覚えているか?」


 いきなりなんだろうと思いながら、制服の裾で目元をぬぐいながら思い出す。一つはオカルト部に自白させた手段。そして二つ目は確か……


「とるに足らないことだったって取りやめた話ですか?」


 背中ごしでも、彼方さんがこくりと頷いたのがわかった。


「本当は、なぜ君が、オカルト部を脅すなんて面倒な真似をしてまで私をかばったのかを聴きたかったんだ。けどほら、見ての通り私はモテるだろう? あなたのことが好きだから、なんて告白されても困るから聞かなかったんだ。でも、そうか。好きは好きでも、好きなのは私じゃなく、私の小説の方だったのか。私じゃなく私の小説のファンだなんて、それは、珍しい。そうか……そうかっ」


 彼方さんはしばらく震えながらうつむいていたけれど、くるりとこちらに向き直った。呆然としていたぼくの胸ぐらを掴んで、顔を引き寄せる。至近距離で充血しうるんだ目と、赤くなった目元がはっきりと目に映り、ぼくは息も忘れた。


「いいだろう。君の脅迫に屈しようじゃないか。琴原に失望されようが、小説家としてデビューできなかろうが、ニートになろうが、ホームレスになろうが、しわくちゃのばばあになろうが、君が着信拒否されようが、どこに引っ越そうが、私の書いた話を死ぬまで送り続けてやる。だから、覚悟しておくといい」


 鬼気迫る顔に、思わず腰が抜けそうだった。どう見ても、今脅迫されているのはぼくの方だった。


 彼方さんは、ぱっと掴んでいたぼくの胸ぐらから手を離し、「ああ、それと」と呟く。


「確かにあれは一度は言ってみたかったというのが大きいけれど、でも本心でもあったんだ」


 彼方さんがなんのことを言っているのか分からず、頭を捻る。


「素晴らしい推理だった。君は小説家にでもなったほうがいい」


 その言葉が、彼女の物語と初めて出逢った時と同じように、胸に深く突き刺さる。目尻がじわりと熱くなった。


「あの、ぼくはもう……」

「少なくとも私は、君の書くミステリーを楽しみにしている。まさか、人に才能がなくても書き続けろと言っておいて、自分は才能なんて言葉に逃げるなんてふざけたことはしないだろう? 期待しているよ」

 

 彼女はぽんとぼくの肩に手を添え、爪が食い込むほど握りこんだ。言おうとしていた言葉を飲み込み、代わりに、


「お互い修羅場ってやつになりそうですね」


 と、乾いた笑みを浮かべて、ぼくは壁に貼られたカレンダーを見る。締め切りデッドラインと丸された日付まで、あと一週間ほどしかない。


「そうでもないさ。書く題材はもう決まっているからね。なにせ私の起こした事件だ。私の手で終わらせるのが筋だろう」


 彼方さんは不敵な笑みを浮かべて、「それになにより」と続けた。


「私は速筆なんだ」


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