Ⅴ 告白


 月の周囲を流れる雲に虹がかかっている。魔都のオーラミュンデ屋敷でスタニスラフは眠らずに俺の帰りを待っていた。

 そこだけ灯りのついた室の露台に箒で降り立つと、出迎えたスタニスラフは俺を両腕で抱き寄せた。

「おかえり」

 心から心配してくれていたのだと分かる顔を彼はしており、不安な時間を独りで耐えていたことがうかがえた。俺は申し訳ないような気持ちになった。

「無事に帰ってくれて嬉しい」

「ただいま」

 疲れていた俺は彼の肩に頭を乗せた。そうすると、奥の壁に飾られた沢山の絵画が眼に留まった。古い時代の壁画か壺絵を模写したものだ。遺跡から発掘される古代画は人気が高く、上等な模写は美術品として取り扱われる。伯爵の趣味なのか、スタニスラフが飾ったのか、高そうな絵が何点も壁に架かっていた。

「ただいま。スタニスラフ・フォン・オーラミュンデ伯爵」

「まあそう呼んでくれても差し支えはないが。レニオン君は」

「彼も無事です」

 寮暮らしのレニオンとは途中で別れた。

 楡の木に囲まれたオーラミュンデ家の別邸はその城とほぼ変わらないくらい豪華だった。部屋の中にも噴水があり、花ではなく大きな鉢に植えられた樹が温室のようにあちこちに飾られて天井近くまで葉を伸ばしている。俺は建築にも内装様式にも詳しくないが、古典的な感じの男性らしい室だ。しかし俺は或ることに気が付いた。誰かがこの室にいた気配がある。この香水の残り香は魔女のものだ。

「ああ」

 スタニスラフがきまり悪そうに、丸椅子と円卓に向けて手を振った。

「悪いとは想ったのだが、やはり心配になってね」

 水晶珠の魔女を呼び寄せ、森に向かった俺たちの動向を追っていたそうだ。

「しかしそれも幌馬車の中に入るまでだった。そこから先は読み取れないと云われた。ミナオンの魔女の側から遮断されたそうだ。しかし子どもたちの身に危険は感じられないと云うので、それで、帰ってもらったのだ」

 離れた場所にいる者の影を追うのは、相当に高い能力の魔女でないと無理だ。そんな魔女を雇うには高い金が要る。スタニスラフは惜しみなく払ったようだ。

 お金で想い出した、お釣りだ。

 アウロラに支払った金貨のお釣りを渡そうとすると、「他に使う機会があるだろうから、とっておきなさい」と戻されてしまった。

 夜食が用意されていた。冷めても味が落ちないものばかりだ。遠慮なく頂きながら、俺は今晩ミナオンの野営地で見たこと、きいたことを余さずスタニスラフに語った。水晶珠の魔女アウロラのことも。

「行方不明になるまでドクトルの身の上に一体なにがあったのかは、今の状態の本人に訊いてもきっと要領を得ないだろうと、アウロラさんが」

「そのようなことなら、ドクトル・クローヴァスには急激な変化を与えないほうがいい」

 スタニスラフも千里眼アウロラと同意見だった。ドクトルを収容するにあたっても、弟子であるドクトル・サリエリが迎えに行くのがいいのか、それとも別の医療者の方がいいのか、慎重に検討した方がいいと云う。

「魔女の見立てのことだから、きっと間違いはない」

 ドクトル・クローヴァスはその眼球に魔窟の街路を読める魔法を宿している。しかし惚けた今のドクトル・クローヴァスに道案内を出来る能力があるのかどうかは、診断の結果をみないと分からない。もどかしいが、段階を踏むしかないのだ。

 暖炉にくべた薪が良い香りを立てている。薄い羽織を肩にかけたスタニスラフは慈しむように俺に手を伸ばした。

「ご苦労だったねセルヴィン。疲れただろう。朝までここで休んでいきなさい」

「うん」

 俺はもごもごと返事をした。用意された夜食をたいらげた後はスタニスラフに導かれるままに寝椅子に横になり、馬車の中でそうしたことがあるように彼の膝の上に頭を乗せた。暖炉の焔に照らされたところは赤く、その他は暗い室内。正面には壁に飾られた絵画。俺はさっきからずっとその絵を見ているのだ。


 赤い眼をした魔女が夜空を飛んでいる。


 俺はその魔女の絵を知っている。同じものを、棄児院から引率されて見学に行った考古学博物館で見たことがある。古い壁画を写し取った模写だ。白目の部分まで真っ赤な眼をした赤眼の魔女。その脇に書かれていた古代の飾り文字。

 『魔女レアキリア』

 黒聖母レアキリア。シジッタリアンが崇めている黒聖母。

 稚拙な絵だが極めて印象が強いのは、赤眼をしているだけでなく、画の中の魔女がエニシダの箒を前後逆にして乗っているからだ。枝を束ねた穂の方を前に、柄の先を背後にしている。伝統的な祭りでは穂先を馬のたてがみに見立ててわざと逆向きの箒に跨り焚火の周囲を回ったりするが、それと同じように絵の中の魔女は、逆向きの箒で銀河を渡っているのだ。

 他にもいろいろな絵があった。人物画も風景画も何点かあった。

「あの肖像画は」

「亡くなった母だ」

 間接照明の硝子灯のあかりに薄っすらと浮かび上がるそれらの絵。

 一歩踏み込んでみたいけれど、ややこしいことにもなりそうな予感。知りたい。他の魔法使いが知っていることを俺はまだ知らない。バルタゼル・メルヒントンなら知っているであろうスタニスラフを知らない。

「あのさ、若君」

 ちっとも眠くならないので、俺は昼間のうちにイスドナウ棄児院に行ったことをスタニスラフに話した。ミロシュの調査結果と、コンラート卿から教えてもらったことも全て喋った。スタニスラフは膝の上にある俺の頭を撫ぜていた。

「それで俺は、自分の姓にまつわる隠された意味が分かったんだ」

「ではきっと君はもう気づいているだろう」

 俺は彼の声をききながら、返事の代わりに無言で頷いた。俺と同じ力を持つ魔法使いは滅多にいない。

 俺は眼を閉じて唇を動かした。若君も俺と同じヤッシュだろ。

「そうではない」

 俺の頭の下にあるスタニスラフの膝は少しも動かなかった。

「わたしは、バーシェスだ」

 俺は眼を開けた。バーシェス。バニラとは逆の魔法使い優位の雌雄同体。

「バーシェスの中でもわたしは『完全体』と呼ばれている。『化け物』とも。バーシェスでありながら、わたしの潜在的な魔力はヤッシュのものなのだ。もしかしたら、ヤッシュになり損ねたバーシェスなのかも知れない」

 俺は半身を起こして、スタニスラフの顔を近くから見た。スタニスラフはいつも通りの物憂げな感じで、涼しげな眼をして俺を見つめ返した。

「わたしの身体は男性優位の両性具有だ。この身体は義父が知っている。バルタゼルが知っている。彼が君をグレゴリオ筆記具店まで送り届けた際に、馬車の中で君に伝えた話はすべて本当のことだ。わたしは性を決める手術を受けなかった」

「どうでもいいよ」

 もう一度寝椅子に横たわった俺は、今度は仰向けになってスタニスラフの膝の上に頭をおいた。俺はわざと彼の膝の上で頭をごろごろさせた。

「棄児院では風呂もみんなで入るんだ」

「そう」

「今だってフーゴーさんの下の子たちと一緒だ。だから俺は誰のどんな裸だって見慣れてるよ。もちろん魔女以外」

 スタニスラフは笑い出した。

「棄児院の風呂は大きいんだ。向こう側まで泳げるくらいはあるよ」

「バーシェスではあるが、見ての通り外観からそれと分かるような魔女の要素は無いのだよ。触れてごらん」

 スタニスラフの手が俺の手首をとった。俺の手は彼の硬い胸にあてられた。それからその手はしだいに下がっていった。

「いいってば」

 俺は無理やり若君の手を振りほどいた。

「まだ誰とも膚を重ねたことのない君には刺激の強い話?」

「大丈夫だよ」

 やや乱暴に俺は返事をした。バルタゼルの云っていたことが全て本当のことなら、オーラミュンデ伯爵は、幼い頃に養子にしたスタニスラフをわざと魔女とも魔法使いともつかぬ身体のまま愛人にしていたということだ。とにかくそういうことだ。

「俺がそこにいたら、ぶっ飛ばしてやったのに」

 我慢出来なくなった俺は膝枕されたまま拳を打ち合わせた。

「穏やかではないね」

 スタニスラフは俺の髪を撫でていた。

「誰に対して」

「伯爵のことだよ。若君の義父のことで悪いけど」

 没落した実家への援助と引き換えとはいえ、俺なら家出している。

「養子になったからといって、おとなしくしていることなんかなかったのに」

「義憤してくれているところを悪いが、セルヴィン。わたしは厭ではなかった」 

 スタニスラフは俺の頭を撫で続けていた。俺は振り上げた拳のやり場を失くした。スタニスラフは繰り返した。

「悪いものではなかったからね。厭ではなかった」

 まるで他の者の話でもするかのような口調だった。

「義父となった伯爵は素晴らしい領主であり魔法使いだった。尊敬していた。わたしの父が父として機能していなかったことも彼を慕う理由となっていた。彼はわたしに釣りや狩りを教えてくれた。バーシェスのどちらの性が彼に惹かれ、また義父の方からもわたしにあるどちらの性を気に入っていたのかは不明だがね。おそらく両方だろう。養父とは今でも仲がいいのだ」

 オーラミュンデ城の廊下に飾られていた伯爵の肖像画。スタニスラフの実父と云われても誰もが疑わないほどに、系統の似た顔立ちをしていた魔法使い。

「軽蔑したかな」

「まさか」

 本当に軽蔑していたら跳ね起きて帰ってる。

「バルタゼル・メルヒントンとも関係がある。学生時代からだ。いつでも去っていいと伝えてあるのだが、彼がいっこうに離れぬものだから」

「若君が手術を受けなかったのは、伯爵の命令なのか」

 コンラート卿の話では、バニラもバーシェスも十代のはじめにどちらかの性に決めて本人の意志確認の上で手術を受ける。それをやらなかったのは、伯爵の希望だろうか。

 スタニスラフは俺の問いに首をふった。

「確かに義父はわたしを両性具有の身体のままにしておくことを好んだが、彼は全てのことにおいてわたしの意志を尊重し、わたしの選択に任せてくれた。何ひとつ無理強いされたことはない。寄宿舎学校にもわたしはバーシェスのままの身体で入学した。幼い頃からはっきりと魔法使いだという自覚を持っていたが、あえて魔女の器官も持ったままでいた。愉しみの為ではなく、亡くなった母と交わした約束の為にもこの身体でいることをわたしが決めたのだ。バルタゼルはそんなわたしを理解してくれた」

 君がスタニスラフであればいい。バルタゼルはそう云ってくれた。その全てをもって、君はわたしの君なのだからと。

 それは愛の告白だった。眠りに落ちていく俺にスタニスラフは囁いた。セルヴィンが、その全てをもってセルヴィンであるように。


 

 明け方の空には星がまだ残っていた。早起きしたから帰る旨の書置きをして俺はそっとオーラミュンデ伯爵家の魔都屋敷を出て行った。先に眠ってしまった俺を寝所にはこび、スタニスラフ自身は寝椅子で眼を閉じていた。夜明けの薄明の中で眠っている美しいバーシェス。

 暖炉の火が落ちていた。俺は寝所から掛布を取ってくると、スタニスラフにかけておいた。

 壁に並んだ絵画は水に沈んだ想い出のようだった。昨夜、そのうちの一枚を指してあれは何処を描いたものかと訊くと、スタニスラフはちらりと壁に眼を遣った。

「伯爵家の養子になる前に暮らしていた実家の屋敷だ」

 太陽はまだ出ていない。冷たい朝風。ちょうどあの夢の中のような薄青い空を俺は箒で飛んだ。古雅な雰囲気のある日蔭の庭。俺はその庭を知っている。

 青い花を摘んでセルヴィン。

 あれは。

 幼い俺と庭で遊んでいた魔女。魔女だと想い込んでいた。

 あれは、スタニスラフだ。




》第四章


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