第三幕
第52話
小さな含み笑いが閑散とした街並みに響く。笑い声の主は、ゆっくりと体を起こしていく。一つ一つの所作に不気味さを感じた。墓場から這い上がる屍のように立ち上がって、ケタケタと笑う声の主は、白い歯を見せてニヤリと笑った。
「俺ですよ、絃さん。共犯者は」
声の主に、絃は驚きを隠せなかった。
「まさか、お前だったのか。漣良世」
いつもの良世は穏やかな笑みを浮かべているが、今は悪役のように黒い笑みを浮かべている。
「そうですよ、というか本当は気が付いていたんでしょう?僕が黒幕だってさ」
良世の言葉に抑揚はなく、空気中の気温が真冬のようにグッと下がったのを感じた。
絃は微かに黒幕が良世であることを考えていたが、それに至る動機が思いつかなかった。
だが、今思えば黒幕ともいえる行動を良世はずっとしていたのだ。
現世に妖が溢れかえっていることを言うためだけに幽世まで来た事。境界師たちも幽世まで行くことはできる。だが、幽世は基本的に閂様の領域。現世を守る境界師が、現世の異変を知らせる為だけに幽世まで訪れることはない。
でも、良世はやってきた。あの時は緊急事態だからわざわざ来てくれたのだろうぐらいにしか思っていなかった。焦っていた良世につられて、冷静さを欠いていた。
今思えばおかしな点だ。
現世の異変の把握はろいろが果たしている。けどあの時、ろいろは反応を示さなかった。月人とろいろが警戒をしていたのは、良世に向けたものだったんだ。それに気づくのが遅かった。
いいや、あの時、良世に違和感を感じていた。それを見過ごしたんだ。協力関係を結んでいる境界師を疑うことができなかった。人を疑うことができない、いつもの悪い癖が仇になった。
「良世、お前……どういうことだ?」
吹雪は、動揺しているのか声が震えている。驚きを隠せないと言わんばかりに、目を丸くして、口が開けている。
明らかに動揺している吹雪を一瞥した良世は、物の怪のように奇妙な笑い声をあげた。
「滑稽ですねぇ、先輩。俺が黒幕だと気づかなかったんですか?あんなに頭脳明晰なのに、人を疑わないところが先輩の弱点ですよ。ああ、それは絃くんも同じか。絃くん、君は優しすぎるよ、本当に。優しすぎて俺も泣いちゃうくらいに。本当は全部わかっているのに、人を疑うことができないから見て見ぬふりをする。だからこんなことになっているんだよ」
クククと喉を鳴らして笑っている。
「ああ、なんて滑稽で、馬鹿なんだろう!」
物の怪のように奇妙な笑い声をあげる良世に、絃は思わず怖気が走った。出会った当初の良世は、おおらかで気さくのいいお兄さんのような出で立ちであったが、今はその面影すらない。
「絃!離れてください!」
月人は、境界線から出ようと何度も何度も体当たりをしているけれど、びくともしない。
「ダメだよ、月人くん。そこからは、誰も出られないよ。大丈夫、君のご主人様に変なことはしないよ。今は、ね」
良世は一度そこで言葉を区切る。人差し指と中指を立てて空中で横一文字に描くと、月人の前に新たな境界線を引いた。二重になった境界線は、更に月人の動きを封じ込めた。月人は何かを喋るけどその声すら、境界線に阻まれて届かない。
「一体、何をするつもりなんだ」
絃は手のひらから青い炎を出して、良世を睨みつけながら問う。
良世は涼しい顔で笑みを絶やさないまま喋り出した。
「何って?ああ、目的のこと。絃くんはあんなに聞きたがってたもんね、教えてあげるよ」
良世はそこで言葉を区切った。絃は、良世がこれからどんなことを言うのかを考えると、嫌な予感がして額から汗が流れ落ちる。
「俺と惣くんの目的は、人と妖の境を壊すこと。要するに、現世と幽世の境界線を破壊し、人と妖が同じ世界で生きられるようにすることだよ」
その目的は、あまりにも不可能に近かった。
「そんなことは」
「できるわけがないって、言いたいんだろ?」
絃の言葉を遮った良世は、言葉を続けた。
「それがさぁ、できちゃうんだよねぇ。そう、君。閂様の力があれば、ね」
そう言いながら良世は、絃を指差した。
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