第51話
「絃が月人を見捨てるとはな。案外残酷なことをするなぁ」
惣は物珍しそうに絃を見つめた。絃は、ただただ淡々と言いのける。
「主に牙をむく式神なんて、いらないだろ。それに閂様は貴様だろう、惣。式神のしつけもなっていないとはな」
「しつけって言われてもなぁ。俺はまだ完全な閂様じゃないから、しつけることはできないと思うけどな」
惣は、どうやら閂様が式神を持てる流れを知っている口ぶりだった。
その事実を知っているのは、絃や蒼士たち閂様でしか知りようもないことであるのに。それほどまで詳しく調べているとしたら、惣の執念ぶりには拍手を送りたくなる気分だ。
閂様の情報は、現世で入手することはできなくはない。現世で閂様の事情に詳しいとすれば、境界師たちや現世で生活する妖たちくらい。
でも、彼らが閂様の事を喋るとは考えにくい。となると、ますますどうやって情報を集めたのかが分からない。けど、これではっきりと分かった。
惣には間違いなく共犯がいるということ。ここで今、探りを入れてもいいけど、濁されてまた逃げられるかもしれない。
それなら、惣自身に目的を喋らせる以外道はない。
それまで、じっと耐えるしかない。
「なぁ、絃。俺を閂様として認めてくれよ。そうしたら、お前の守護獣を返してやるからさ。なぁ、いいだろ?」
惣は、物乞いをするようにねっとりとした口調で言い放つ。惣が本気で閂様になりたがっているのかは分からない。けど、それを許可するわけにはいかない。
月人は、惣から切り離せた。今度はろいろを切り離さなくては。
「我がそれを許可すると思っているのか?」
「いいや、思ってはいないぜ?」
「なら、なぜそれを口にした?」
「そんなこと言ってみたかっただけ。特に深い意味はないさ」
惣は、とぼけた口調で言い放った。言ってみたいがために、閂様の役目を盗んだのかと思うと、怒りがふつふつとこみ上げてくる。
「怖い顔をするなよ、絃。綺麗な顔が勿体ないぜ?」
いつの間にか惣は目の前に立っていた。何かを企んでいるような含んだ笑みを浮かべて、絃の顎を掴んで持ち上げていた。
絃の身長は丁度、惣の顎の下あたりで少し上を見上げる形で目線が合う。惣は、楽しそうにニタニタと笑っている。その笑みに不気味さを感じて、全身に怖気が走る。
「何がおかしい」
「いいや、別に。ただ、お前を手に入れた気分になって嬉しいだけだよ」
「我はお前のものになったつもりはないが?」
「ふふ、はっはっは!」
惣は、喉の奥が見えるくらいに大口を開けて笑い出した。
「何が面白い?」
笑うことを言ったつもりはないのに、大口を開けて笑われると気分が悪くなる。
惣を睨みつけながら言うと、惣は愉快そうに頬を緩めて笑った。
「いいや、ますますお前が欲しくなった」
惣はぐっと、絃の口元を耳に寄せて小さな声で囁く。
「なぁ、絃。俺と一緒に来ないか?お前も思う時があるだろ、閂様の役目を降りたいってさ。閂様は、人と妖の間を取り持つ為だけに存在する。別にそんなのなくてもいいと思わないか?」
まるで悪魔のような囁きに一瞬、閂様を辞めたいと思ってしまう。けど、それはたったの一瞬だけ。絃の心を揺るがすほどではなかった。
「我は、閂様であり続けると決めている。やめたいとも思わない。そういえば、この間聞かれた質問にまだ返事をしていなかったな。我は、人でもなく妖でもない。我は半妖だ。半妖は、半妖らしく生きる。閂様という役割も全うすると決めている」
絃の言葉に迷いはない。蒼士に自分の出生と名前の由来も聞いてから、そう決めていた。どんな悪魔の囁きでも、揺れることはない。
「そうかよ」
惣の表情から色が消えた。その目には何も写らない暗闇が一瞬だけ見えた。
「つまらないな。残念だよ」
声に抑揚のない惣は、どこか異質だ。だが、これは好機だ。今まで笑みを絶やさなかった惣が初めて見せた無表情で、隙だ。この機会を逃すわけにはいかない。
絃は、奥にいる月人に目配せをする。さっきまで動揺していた月人は、察してくれたのか惣を取り押さえてくれた。惣は、身動き一つせずに、捕まって地面へと押し付けられる。
「絃!捕まえました」
「よくやった。月人」
月人に労いの言葉を掛けると、月人はほっとした表情を作る。
「無駄なことを」
惣は月人の力に抗うようにジタバタと暴れ始める。
「動かないでください!」
月人が上から押さえつけるけれど、惣の方が力が強いようで徐々に押し負かされていく。折角掴んだ好機を逃すわけにはいかない。
絃は、惣が立っていた場所に佇むろいろに向ける。守護獣であるろいろの役割は閂様を守ることだから、月人のようにはできない。でも、ろいろならきっと答えてくれる。
「ろいろ!惣を捕らえろ!」
そう叫ぶと、ろいろの耳がぴくりと反応した。いつも細めている目がパチッと開眼して、黒漆に塗れたような深く美しい呂色の目と目が合った。
「分かった!」
ろいろは、脱兎の如く駆け出すと起き上がろうとする惣の頭に目掛けて、漬物石のようにのしかかった。
「ぐっ」と、惣が呻き声を上げた。
「何故だ、俺はまだ閂様の役目の盗んだままのはずなのに」
地面に押し付けられている惣はくぐもった声で呟く。
「悪いが、その役目は返してもらった」
「嘘だろ」
動揺の声を上げる惣に、絃は笑みを浮かべた。
「惣、お前は閂様の事を知っているようだが、閂様を無力化する方法がある」
「なんだと?」
「式神と守護獣を失うことだ。閂様という役割は、一人で成り立つものではなくてな。式神と守護獣に支えられて成り立つものだ。さっき、我が月人の契約印を破棄した時と、ろいろが我の声に答えてくれた時にお前は閂様ではなくなった」
惣の目が大きく見開いたのが見えた。
「だが、絃は月人と契約を交わしていないんじゃないか?」
「ああ、まだな」
絃は、月人に向かって足を動かす。月人の目の前に立つと、少し不安そうな顔をした月人と目が合った。惣を抑えている月人の目線に合わせるように、少し屈む。不安な顔の月人を落ちかせるように笑う。
「月人、もう一度我の式神になってくれるか?」
月人に向けて手を差し出す。
月人は真っ直ぐと絃を見つめて、目尻を下げて笑った。
「そんなこと、聞く必要はないでしょう?私はあなたについていくと決めたのです。あなたが私を必要としてくれなくなるその日まで、私はあなたを守ります」
月人はその手を握ってくれた。
すると、赤い光が絃と月人を取り囲んだ。赤い光が眩しくて目を細める。けれど、赤い光はゆっくりと一箇所に収束していき、月人の腕の中に入り込んだ。光が晴れていくと、月人の腕にくっきりと契約印が浮かぶ。
「これで、月人は俺の式神となった。我は晴れて閂様の役目を取り戻したということだ」
惣の背後に佇んでいた扉は、今は絃の後ろにある。扉に手を向けて横に薙ぎ払うと、扉は忽然と姿を消した。
「これで俺が閂様になったのがわかっただろ」
惣は、歯ぎしりをしながら絃を見上げた。
「さぁ、お前の目的を教えろ。何のためにこんなことをしたのか。言葉を濁せば、お前の命はないと思え」
惣に目的を問いただす。惣の体は月人とろいろが抑え込んでいるから、逃げることはない。これでようやく目的を聞けると思ったその時。
惣は笑みを浮かべていた。
この状況で言い逃れる術でも思いつくとは、大分頭が回るようだ。
「随分と、余裕……」
続きの言葉を言う前に、目の前に広がる光景に言葉が出せなくなった。
惣を抑え込んでいたはずの月人とろいろが何故か、境界線を引かれていて拘束されていた。
「絃!逃げてください!」
「絃、逃げろ!」
月人とろいろが、境界線を壊そうと体当たりをしている。けど、そんなに容易く壊せるものではない。
さっきまで間違いなく優勢にいたのに、今は劣勢に追い込まれている。
普段なら味方をしてくれる境界線によって、事態が大きく変わってしまった。けど、よく考えるとおかしい。境界師たちは、月人の攻撃で吹雪以外は地に伏せっている。この状況で境界線を引けるのは吹雪だけ。
視線を吹雪に向けると、顔に状況が理解できないと書かれていた。吹雪は放心状態で立ち尽くしている。
吹雪は犯人ではないとすぐに分かる。
となると、惣は実は境界師だったのかと、頭をよぎった。
「俺は、境界師じゃあない」
絃の考えを見越したように惣は不敵な笑みを浮かべ、身軽になった体を起こす。
「じゃあ、誰が……」
惣が境界師じゃないなら、誰が出来ると言うんだ。心の中で呟いた問いに惣は答えるように口にした。
「そんなの、一人しかいないだろ?」
「何?」
「ふふ、困惑している絃を見るのもいいな。絃だって、本当は気が付いているんだろ?俺には協力者がいることを」
ずっと考えていた惣が起こした出来事の裏にいる人物を。
脳裏に今までの疑問が一直線につながっていく。けれど、その誰かまでには未だたどり着けていない。
頭をフル回転させて、その誰かを考えていると、小さな笑い声が聞こえた。
その声の主を見て絃は、その誰かにようやくたどり着くことができた。
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