第49話

 閂様とは、幽世と現世の均衡を保つ為に存在している。

 その役職につく者の総称を閂様と呼ぶ。

 閂様という役職は、先代に選ばれた者だけが閂様となれる。閂様となる者に条件はないけれど、大概は半妖の子が選ばれる。閂様は人の味方でもなく、妖の味方でもない。両者の間を取り持つように誰の味方もしない。その為には、人と妖の両方の考えがわかる半妖が最適であると歴代の閂様たちが結論づけたから。

 閂様の仕事は、三つ。

 一、扉を守り、監視すること

 二、幽世、現世にいる妖たちを見張ること

 三、妖が人に危害を加えた時、退治もしくは封印すること

 それらの仕事を、先代の閂様の下で学び修行をしていく。修業を終了し、先代の閂様から許可をもらって始めて、閂様となる。

 閂様という役職は、現世においても幽世においても、もっとも重要な者。だからこそ、受け継ぐ相手を慎重に選ばなければならない。

 それが今、百目鬼惣によって、大事な役割をいとも簡単に奪われてしまった。

「閂様の役職を盗む、そんなことができるわけがないでしょう!」

 怒りの声を上げたのは月人だ。

 激しい怒りからか、尻尾の毛が逆立ち、爪は数倍鋭くなり、整った顔が狐の顔そのものに変化していく。

 まずい、月人が完全に頭に血が上っている、と心の中で呟く。月人がその姿になると手がつけられない。

「落ち着け、月人」

 月人を宥めるけれど、聞く耳を持ってくれない。怒った月人は、普段の数倍強くなるかわりに、普段は隠している狂暴性が表に出てくる。月人の気が済むまで鎮まらない。月人は、完全に惣を敵と見ていて、今にも襲いかかってしまいそうで、内心ハラハラする。凶暴性が表に出ている月人は普段の冷静さを欠いてしまう。だから、止めないといけない。そうしないと、何か嫌な予感がする。

 月人に睨まれている惣は、怯える様子はなく涼しい顔で月人を見つめている。

「言うことを聞かない式神だなぁ。いいか、今のお前の主は絃じゃない。俺だよ、月人」

「貴様ァ!私の主は絃だ!」

 惣の言葉に頭が来たのか、月人は稲妻のように駆け出した。一瞬で惣との距離を詰めると、惣の顔面に向かって鋭く伸びた爪を振り下ろそうとしている。

 このまま月人が惣を捕らえられるかもしれない。けど、嫌な予感が一気に湧いてくる。

「待て!月人!今の話が本当なら、お前には」

 罰が下るぞ!と言い放った時。

 月人の体中から凄まじい電流が流れ始めた。

「ぐあぁっ!」

 辺りに月人の苦痛な叫び声が響いて、絃の言葉は完全に掻き消された。

「ほぅら、主様に逆らったから、罰が下ったぞ月人。これでわかっただろ?お前の主は俺だ」

 月人は電流を浴びたせいで髪の毛も服も焦げてしまった。口から煙を吐きながら、ゆっくりと前に倒れた。でも、月人は惣に対しての怒りが残っているのか、怒気を孕んだ目つきで惣を睨み、目だけで見上げていた。

 惣は、その視線に気が付いたのか月人と目線を合わせるように屈む。

 じっと、月人の顔を見つめた後、髪が引きちぎれるくらいに引っ張って、自分の方が上だと分からせるように強く睨みつけている。それでも月人は惣を睨み続けて、睨み合いの攻防が続いた。けど、月人は、惣の圧に負けてしまったのか、反抗的な目が徐々に消えていったように見えた。その目を見た惣は満足したように、髪の毛から手を離した。ゆっくりと立ち上がった惣は絃に視線を向けて、ニタリと笑った。

「あぁ、かわいそうな。絃。自分の式神にも、守護獣にも見放されちゃったね」

 パッと隣にいたろいろを見ると、そこにはいなかった。視線を惣に戻すと、惣に寄り添うようにろいろは立っていた。地面に蹲っていた月人は、ろいろに急かされるように立ち上がって惣の隣に並んだ。

 今まで味方だった月人とろいろは、突如閂様となった惣によって敵となってしまった。

 その状況にまだ頭が追いつかなくて、ただ茫然とするしかなかった。

「おい、これは一体どういう状況なんだ!」

 吹雪に肩を揺らされて、ハッとする。

 気が付くと、月人とろいろが惣を守るように境界師たちと戦っていた。月人は元野狐だから、肉弾戦には慣れている。境界線を張る準備をしている境界師たちを一撃で気絶させていた。ろいろは、惣に近づこうとする境界師たちに噛みついている。現場は混乱していた。

 まだ、放心しながら吹雪の顔を見ると、吹雪の頬には爪で引っ掛かれた痕が痛々しく残っていた。それをしたのは間違いなく月人だ。閂様として式神を止めなくてはならない。でも、その閂様の役割を奪われてしまった。

 この状況をどうしたらいいかなんて。

「我にもわからない」

「何?」

 吹雪の低く唸るような声が耳につく。

「我は、もう閂様ではなくなった。月人とろいろを止める方法が、思いつかない」

「閂様ではなくなったって、どういうことだ」

 困惑している吹雪に絃は、淡々と述べる。

「おそらく百目鬼惣は、百目鬼だ。百目鬼は盗みを働く妖。やつはそうだと明言はしていないが、あいつは俺から閂様という役割を盗んだ。それが、奴が百目鬼である何よりの証拠。閂様の役職を奪われた我は閂様ではなく、ただの九尾の狐の半妖に戻った。それと、新しい閂様になった百目鬼の式神と守護獣として月人とろいろは、アイツの仲間になったってことだ」

「マジかよ」

 口に咥えられていた煙草が、口からポトリと地面へと落ちた。

「一体、どうするんだ?俺たち境界師は境界線しか引けねぇし。良世もその他の奴らもみんな、月人の攻撃で沈んじまった。今は、残っているのは俺と……絃、お前だけだ」

 吹雪の目には絶望という字が浮かんでいた。頼れる後輩や仲間はみんな月人にやられてしまい、残ったのが閂様では無くなった絃だけともなれば、絶望もするだろう。

 だが、まだ絶望するのはまだ早い。

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