第48話

 逢魔が時を過ぎて、空には満月が昇っていた。美しい月が街並みを照らしていく。

「無事に終わったようだな」

「ああ、そうだな」

 吹雪は一服しながら答える。

「閂様、ただいま戻りました」

 月人とろいろが、絃の前に膝をついて座っている。

「ああ、ご苦労だったな二人とも。助かったよ」

「そんな、労いの言葉など滅相もございません」

 月人は深く頭を下げながら謙遜をする。月人は時と場所をわかっていて、境界師の前では式神としての態度になる。幽世であればそんな謙遜した態度も、かしこまった口調もしない。どんな状況にも対応できる月人には、頭が上がらない。

「月人、顔を上げろ」

 ろいろは月人の頭を前足で小突く。

 小突かれた月人がほんの一瞬だけ、般若の顔になったけど溢れる感情を呑み込んだのか、無表情でろいろを見た。

 傍から見たら、狐同士がじゃれつく絵にしか見えない。でも、絃にはいつもの日常だ。

 絃はふっと息を吐く。

「さて、扉を閉じるか」

 もう一度、妖力を込めようと息を吐いた時。

「どうやら、事態を終息できたようだな」

 どこからともなく男の声があたりに響く。

 その声にさっきまでじゃれていた月人とろいろが、ゔ―っと唸り声を上げて明らかに警戒をしている。

 空に浮かぶ満月に丁度雲が覆って、あたりは妙に暗くなる。声がどこから聞こえてきたのかは分からない。けれど、月の影からカツカツと革靴の音がやけに大きく聞こえてきて、意識をじっと向ける。一体誰がやってくるのだろうと、緊張しながら雲の切れ間を待つ。でも、絃はその人物が誰かおおよそ見当が付いていた。

 ここに現れるとしたら、間違いなくあやつだろう、と心の中で呟く。

 ゆっくりと雲が晴れていって、美しい満月が顔を出した。月の光がその人物を照らし出す。

 月の光に照らされて輝く金色の髪の毛と金色の目を持つ眼鏡を掛けた男だった。口元に笑みを浮かべる姿は、どこか妖しさに富んでいた。

 その男は、絃が予想した人物だった。

「やはり、貴様の仕業であったか。百目鬼惣」

「なぁんだ。気づいていたのかよ。絃の驚いた顔が見たかったのになぁ」

 惣は、ゆったりと歩きながら絃の前に立ちはだかった。ははは、と笑っているけれど、その顔が歪んでいるように見えて、思わずぞっとした。

「我を驚かすために、こんなことをしたのか?」

 絃は、警戒を込めて低く威嚇するような声で問いかける。それに合わせるように月人は手の平から青い炎を作りだし、ろいろはいつでも飛び掛かれるように体勢を低くしている。

 吹雪と良世は、この状況の犯人を悟ったようで、境界線を引く準備をしている。

 惣の周りを月人、ろいろ、吹雪、良世が取り囲んでいる。惣はまさしく袋の鼠の状態だ。けれど、惣はそれに気が付いていないのか、もしくはこの状況を楽しんでいるのか、歪んだ笑みを作ったままだ。

「まぁ、そうなるのかなぁ。でも、俺だって、何も考えてないわけじゃないんだぜ?ちゃんとした目的で動いているんだよ。わかる?」

「わからないな。ならその目的を教えてくれないか?」

 絃は、惣から目的を聞き出すためにあえて口に出した。とはいえ、惣がそれに上手く乗っかってくるとは思ってはいない。狙うのは、惣がボロを出す瞬間。それまでは、静かに探りを入れるしかない。

「えぇ~、どうしようかなぁ~」

 惣は、どこか嬉しそうな笑みを浮かべて、その場でぐるぐると回っている。その動きを絃は、一瞬たりとも見逃さないように睨みつける。

 惣は、どこか隙があるようで隙がない。だから、八尋と海里の情報網に引っ掛からないのだろう。

「そしたらさぁ、絃の大事なものを頂戴?」

「大事な物?」

「そう!絃が大事に、大事にしてるものだよ。それをくれたら、俺の目的を教えてあげるよ」

 そう言われて自分の大事なものを渡す奴がどこにいるんだ、と口に出したい言葉を懸命に呑み込んだ。

「交換条件って、やつか?」

「そうだよ。だって、俺の目的を知りたいんでしょ?なら、それに似合う対価が必要だろ?」

 惣は、ニタニタと笑みを浮かべている。何を企んでいるのか、全くわからない。

 でも、一つだけわかることがある。

 それは、自分の大事なものを教えてはいけないという事。

 絃は、惣の問いに返事をしないでただ睨みつける。

 最初は涼しい顔をしていた惣だが、妙にだんだんと顔が明るくなって、歓喜に満ち溢れた声を上げた。

「そっか、そっか!絃の大事なものがわかったよ!」

 惣は突然そう言った。

「は?何を言っている?」

 惣に何も喋ってはいないのに、なぜ知ることができたんだ、と疑問に思ったその時。

 いつの間にか背後に惣がいた。

「お前の大事なもの、俺が盗んじゃうね」と耳元で呟いた。

 パッ、惣を振りかえって見た時、ぐらりと体に力が抜けて崩れるように地面に膝をついた。今まで自分にあった大事なものが消えた感覚があった。

「お前、何を盗んだ!」

 惣に向かってそう叫ぶと、惣はケラケラと笑っていた。

「何って、俺が言わなくてもわかるでしょ?俺が盗んだのは、閂様という役割だよ」

 絃の後ろにあった、幽世へと続く扉はなかった。扉は、惣の後ろにあった。

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