15 母子の亀裂②
白くまろい頬に、ひと筋の涙がこぼれた。それは幼くも重い使命を背負い、大人たちの言うままに歩きつづけているうちに取り残された、少女の心だった。
日向は妹を引き寄せ、暖かい胸の中に抱き締めた。こよりも細い腕を伸ばし、兄の髪を梳く。まるで弟を慰めるような姿に、四葩は歳の上下など関係なく、この兄妹は互いに支え合っているのだと感じた。
「東宮様、差し出がましいことかもしれませんが」
兄妹の
「私の目に皇子様は、ただ厳しい方には見えませんでした。菫宮様を、子を愛する慈しみの心もあるお方かと。菫宮様が仰るように、今は穢れのこともあって虫の居所が悪いだけではないでしょうか」
「そうなのじゃ! だって以前の母上は、兄上にあんなきつく当たることはなかったのじゃ」
「そうだが……もう五年もこのような状態がつづいている。母上は元々、こよりのほうを目にかけていたしな……」
皇子は代々皇族の女に受け継がれる。それは女のほうが霊力が高いからだ。そのために女児は重宝されるが、男児は軽んじられる傾向が確かにある。
しかし皇子の心変わりの原因がそれだけなら、五年前からというのはおかしい。後継者のこよりが生まれた十三年前のほうが自然だ。
『穢れの影響か』
月読が確信を帯びた声で言う。
だがそれはこの時点の日向には知り得ない情報だ。四葩が無闇に教えて、未来の流れを狂わせるわけにはいかない。
「東宮様、きっとだいじょうぶです。皇子様の東宮様への愛は、消えてしまったわけではありません。雲に隠れて、見えなくなっているだけなのです」
だって四葩さえ邪魔しなければ、彼は彼女に出会える。
「そのうちに雲は晴れて、太陽が現れますよ」
彼と世界を救ってくれる、天陽の巫女に。
「ふっ。四葩が俺を慰めてくれるとはな」
息を抜くようなやわらかな笑みに、四葩はいろんな意味でどぎまぎする。
「あっ、口が過ぎましたでしょうか……! どうかお許しをっ」
「いや。男に生まれたことを悩んでいた俺は、雲をどうにかしようとしていたのかと気づいた。それはどうしようもない。なら俺は俺の、守人の道を極めるしかない」
こよりを見て、日向は妹の頭をぽんと叩く。
「こよりのために」
「兄上大好きなのじゃー!」
「ははっ。それじゃあ、さっきの詫びも含めて構ってやるぞ」
「よいのか!? えっとえっと、ならばこよりはとろっこ遊びがしたいぞ! 四葩と三人で!」
「えっ、私もですか!? 待ってください、その前に履物をお持ちします!」
もう遅いのじゃ、と駆けてきたこよりに引っ張られ、四葩も成す術なく輪に加えられる。
とろっこ遊びは、前世でいう鬼ごっこだ。ひとりが鬼役になり、残りの者は肩を掴んで列になる。そのまま鬼から逃げ回り、捕まったら負けだ。そして敗者が鬼になってくり返す。
最初は日向が鬼になり、四葩とこよりが逃げた。しかしこよりが捕まって、今度は四葩と日向が逃げる番になる。
「ほら四葩、俺の肩にしっかり掴まってないと追いつかれるぞ!」
「兄上速い……! 四葩、手加減するのじゃ! お前はわらわの宮仕じゃろ!?」
待って、宮兄妹尊過ぎる。なにこの幸せサンド。
四葩は口元を覆い、謎に垂れてきた鼻水をすする。前には日向のたくましい背中があって、あまつさえ肩に触れていて、後ろからはかわいいこよりに追いかけられるなんて、ここはなんという楽園だろう。
宮兄妹からしか得られない栄養がある。
助かりました、四葩は明日も生きていけます。
『おい、そこ気をつけろ! ヘビがいるぞ!』
「ひ!?」
突然大声でヘビと言われ四葩は竦み上がり、つい目の前のものにしがみついてしまう。それが日向だと思い出したのは、倒れた彼を押し潰したあとだった。
「四葩捕まえたのじゃー!」
そこへこよりに伸しかかられて、さらに日向と密着したまま動けなくなる。
「四葩、だいじょうぶか。怪我はないか?」
「ふふーん。わらわもなかなか足が速いじゃろ。どうだ、参ったか!」
自分より先に人の心配したり得意げに笑ったり、この兄妹は本当にもう――好き。
『ははっ。これでもっと幸せになっただろ』
あの邪神はあとで説教だ。
「東宮様、やっぱり私が菫宮様をお運びいたします」
「いや。普段は母上の目を気にして、なかなか会いにも行ってやれない。今だけでも兄らしいことをさせてくれ」
遊び疲れて眠ってしまった妹を背負い、日向はほんのりうれしそうに笑う。そんな顔をされたら、二の句は出てこなかった。
彼が会うこともひかえているのは、これ以上皇子の怒りを買って家族の関係を悪化させないためだろう。そうして彼はこよりの心も守っている。
本当に妹思いなお方だ。
「四葩になら、妹を任せられるな。これからもよろしく頼む」
それは唐突な言葉だった。思わず立ち止まった四葩の髪を、夕風がさあっと揺らしていく。
「な、なぜそう思われるのですか」
「こよりの顔を見ればわかる。俺が寝殿に行った時には機嫌が上向いていたし、とろっこ遊びを心から楽しんでいた。さっそく四葩に懐いたようだ。君は子どもをあやすのがうまいんだな」
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