第24話 夏空の下、君と


 九月一日、家を出てすぐに思わず目を細めてしまうほどの晴れやかな空だ。新学期始業日に相応しい爽やかな朝。少し暑いけれど寒いより全然マシである。

 なんだか千早さんと知り合ってからの日々が濃密だったせいか、学校に行くという普通の行動が酷く退屈に感じてしまう。

 と、思っていたのに……。


「何故千早さんが通学路ここに?」


 街路樹の木陰にあるベンチに腰掛けて、彼女は遠くの空を眺めていた。どこか達観したその瞳は、僕の心をざわつかせる。

 こちらの存在に気が付いた彼女はすぐに普段通りの不敵な笑みを浮かべて人を食ったような口調で話し出す。


「学生が制服に身を包んで登校するのは至極真っ当な行動じゃあないかい?」


「そりゃそうですけど……大丈夫ですか? 今日は天気もいいですし、夏期講習の時より気温高いですよ」


「一応こういうのは用意してきたけど、まぁシンドかったら保健室行くなりするよ」


 そう言って彼女はベンチに置いていた真っ白なつば広帽子をふわりと頭に乗せてみせた。

 思わず見惚れそうになるほど絵になる姿だ。きっと今いる場所が夕焼けの砂浜とか、広大なひまわり畑だったら僕は無意識にカメラを取り出して彼女を写真に閉じ込めていただろう。


『君はもう私の大事な人だよ。悠生くん』


 ダメだ。昨日の言葉に心が引っ張られてしまっている。

 彼女が何と言おうが、僕はRTAを支える助手くんに徹しなければ。


「どうしてそこまでして学校に? 正直千早さんはもう行かないものと思ってました」


「——別に深い意味はないよ。私にだって普通の青春に憧憬を抱く心くらいはあるの」


 答えるまでの間も、伏してしまった目も、わずかに弱気を含んだ声色も、全てが“深い意味がある”と言っているようだった。

 そんな所を見せられたら、すげなく帰宅を促すことなど出来ない。


「無理は厳禁ですよ。今日も練習あるんですから」


「はーい。ふふっ、早速だけどここまで歩くのに疲れたから腕借りるね」


 ベンチから立ち上がった千早さんはその勢いのまま僕の左腕に自分の両腕を絡めてきた。

 ひんやりとして、細いのにたしかな柔らかさがあるその感触に思わず心臓が跳ねる。


「ちょ、急に……! は、肌は暑いでしょうし、掴まるなら袖に——」


 周りに歩いていた同じ高校の生徒達がチラリとこちらを伺う視線を感じる。千早さんという存在がただでさえ目立つのに、さらにこれだけはしゃいでいれば目に付くのは仕方ない。だがこれは、あまり好ましい目立ち方ではない。数少ない友人やクラスメイトに見られたら面倒なことになるかもしれない。


 それにこのままでは僕の心臓も持たない……!


 なんとか渋る彼女の手をワイシャツの袖に移動させている途中で、背後から聞きなれた声に呼びかけられる。


「おーす速水……って、え。お前、その子まさか」


 声だけでも分かったが、振り返るとそこに驚愕の表情で立っているのは間違いなく、数少ない友人でさらにクラスメイトの野口だった。

 しかも千早さんの手を取っている丁度そのタイミングをしっかり見られてしまった。背筋に冷たいものが走る感覚がする。


「おお、野口。えーと、です……だな」


 口調がごちゃごちゃになるほど混乱している自分に驚いた。

 野口は野口で僕が千早シロと二人で——しかもこの距離感で——登校している状況は驚きしかないだろう。今も口をあんぐりと開けて動きが完全に止まってしまっている。


「千早さん、こいつはクラスメイトの野口。で、こちら千早シロさん……ってそれは知ってるか」


「どーも」

 

 とりあえず二人の間で自己紹介が発生すればと思ったが、想像以上に千早さんの反応が淡泊というか、RTAの話をしているとき等と比べると感情が殆ど感じられない声音だった。

 全体的に対応に困っていると、野口が突然意識を取り戻したように動き出し、こちらを制止するように手を突き出してきた。


「皆まで言うな相棒。お前も行っちまったんだな……彼女持ちあっち側に。幸せに、な!」


 野口は早口にそれだけ告げると走り去ってしまった。

 取り残された僕らは思わず目を見合わせる。


「案外いい人だった。チャラそうでビビっちゃったな」


 不遜な印象の強い千早さんが誰かを怖がるというのはかなり意外だ。


「あっ、ビビってたんですね。というか、あらぬ誤解をされてしまったような」


 とはいえ彼が人の噂話やゴシップを吹聴しているところも見たことがないし、むやみやたらに話が広まることはないだろう。少し説明は面倒そうだが。

 千早さんも全く気にしていないのか、またいつもの調子に戻って答える。


「んー、まあいいんじゃない? 私みたいな美少女の恋人扱いなんて光栄だろう?」


「あはは……なんかその感じ久しぶりですね」


「『わー懐かしー』って感じの顔で流すなー!」


 気に食わないと僕のシャツを引っ張る彼女のを引きずりながら、ゆっくりと無理ないペースで僕達は学校へと向かった。

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