17話 (柾) 【止事無し】―ヤンゴトナシ―

17話 (柾) 【止事無し】―ヤンゴトナシ―

その殻を、いつか誰かが破る時が来るのだろうか?




少し、昔話でもしようか。今から2年ほど前の、ある日の出来事。

その頃の麻生は気が短いうえに、極度の女嫌いだった。



麻生の端整な顔が歪んでから、20分が経過しようとしていた。

「だから悲鳴あげちゃったの。だって、めちゃくちゃ怖いじゃないですかぁ~」

台所に出た、黒光りした例のヤツの話をするのは、証券会社に勤める24歳の女性。

ピザの切れ端を掴んだ麻生の手が止まるのを目の端で捕らえたが、僕は何も言わなかった。

「渡さん、可愛い~」

『渡さん』の隣りに陣取った麻生の部下が、鼻の下を伸ばし、相槌を打った。

『渡さん』ばかりちやほやされるのが気に食わないのか、渡さん以外の女性陣は、女性特有の視線を仲間内で交わしている。

その目は、やっぱり私たちは引き立て役じゃないの! と物語っていた。

「悲鳴あげちゃうんだぁ、可愛いな~! 守ってあげたいッスよね~」

完全に渡さんの虜となった麻生の部下――前園だ――のデレデレな声に、場の空気が更に白ける。そんな中、麻生は告げた。

「ゴキブリが台所に出て困ってんなら、もう少し真面目に掃除すればいいんじゃないか」

正論だとは思ったが、声に出さないだけの分別は持っている。あーあと思いながら、蓮根のきんぴらを咀嚼する。

しかし僕以外の全員は唖然としたようで、一同の視線が麻生に集中した。まぁ当然か。

反応は真っ二つに割れた。

いまの麻生の発言で、女性陣は渡さんになびいていない男がまだいることに気付いたのだろう。

まだ私たちには一縷の望みが、チャンスが残されてる! とばかりに顔を輝かせ始めた。

一方、どよんと暗い顔になってしまっているのは前園と渡さんだった。

「……あ、麻生さん。はは……。食事中なんですから、ゴ……とか言っちゃ駄目ッスよ~」

取り繕うように前園が笑い掛ける。

そんな麻生の言い分は、「先にそっちがその話題を出したんだろう?」。

(やれやれ……麻生。お前はもう何も喋るな)

確かに、麻生と僕にとっては無理矢理狩り出された、意に沿わない合コンだった。とはいえフォローが必要な展開だ。

渡さんは麻生の心ない言葉に傷付いたようで、しくしくと泣き出した。焦った前園が彼女を慰める。

漂う微妙な空気。……空気? そんなもの、本当にあるのだろうか? 居心地の悪さに息が詰まって、今にも窒息しそうだ。

「前園、2人きりにしてもいいか?」

僕が前園の耳元にこそっと囁けば、始めは不安そうな顔をしていたものの、すぐに意を決したようにこくんと頷いた。

「よし、任せた。後は頼む」

前園と渡さんだけを残して席を立つ。会計後、店の外ですぐ解散となった。

女性陣は麻生を二次会へと誘いたがったが、本人が帰ると言って聞かなかったからだ。

「えー、麻生さん帰っちゃうの? じゃあ、柾さんは? 一緒に行かない?」

「悪いね、僕も明日は早くて。今度仕切り直そう」

角が立たないよう断る。

証券会社に与えた印象が芳しくないのは明らかだ。今回の負け星を苦々しく思いつつも、思うのは麻生だった。

(女性たちの連絡先、あと2人分聞いてないんだが――そうも言ってられないか)

「麻生、付き合え」

不貞腐れた麻生は、意外にも素直に――とはいえ数歩下がった位置から――ついて来る。

どこへ行くともなしに歩いていたのだが、たまたま公園の前に差し掛かったので、そのまま敷地内へと足を踏み入れる。

おあつらえ向きに自動販売機が設置されていた。口直しに冷たいウーロン茶を2つ買い、片方を麻生に渡した。

「……どーも」

「女は嫌いか?」

単刀直入に聞く。ぎぃ、という錆びた音は、麻生がブランコを漕ぎ出した音だ。

「……別に」

意外な答えが返ってきた。

馬鹿正直というか、なんというか。その答えは、確かに麻生らしかった。

「なら良い」

「は……? なら良いって、なんだそれ」

呆けた麻生の声。動かしていたブランコが止まる。

「……せめて理由とか聞かねーのかよ? 気持ち悪い奴だな」

「聞いたところで、女性が好きな僕に到底理解できるとは思えないからな」

「それもそうか」

鼻で笑う麻生。

「ただ、だからと言って、あんな風に女性に恥をかかすものじゃない。

何様のつもりか知らないが、自分が楽しめないからと言って罵倒する権利なんてお前にはないはずだ。

おまけに周りは不愉快な思いもした。その2点については、明らかにお前に非があると思うが?」

「説教なんざ聞きたかないね。そっちこそ、何様のつもりだ?

最初は俺と一緒で面倒臭がってたくせに、いざ女性が並ぶと目の色変えやがって。こんな解散になって、忸怩たる思いなんだろ?」

「合コンなんだから当たり前だろう。相手の連絡先を得られないなんて、参加した意義がないじゃないか」

乱暴にブランコから降りると、「そりゃ悪かったな」と呟きを残し、麻生は帰って行った。

この時の僕の声が麻生に届いたかどうかは分からない。

だが後日、前園を経由して聞いた話によると、麻生はその翌日に渡さんを訪ねるため、証券会社に出向いたと言う。

彼女を含め、参加していた他の女性陣全員にも誠心誠意の謝罪をしたと聞いた。

そもそも、入社したての頃の麻生は、まだ柔らかい部分があったように思う。それほどまでに、麻生は変わった。

麻生に纏わる事情は知っていても、その心情までは分からない。だがそれを言ってしまえば、僕が抱えているモノも麻生は知り得ない。

僕が『心』をさらせば、応えてくれたりするのだろうか? 

せめて、僕に出来ることは最低限、しようと思う。入社以来の旧友のために。




改稿2023.02.13



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