16話 (環) 【客観解析】―キャッカンカイセキ―

16話 (環) 【客観解析】―キャッカンカイセキ―

当事者には見えづらく、第三者だからこそ気付くこと。



千早歴。

清潔感のある流れる黒い髪や、必要なときに的を得た発言をすることから、知的美人のイメージを与える新入社員だ。

が、種を明かせば必要最低限の発言に留めているのは極度の人見知りで目立ちたくないがゆえ。

彼女は「あ、いたの?」ぐらいの立ち位置で構わないという。もう少し自己主張があってもいいと思うんだがなぁ。

そんな大和撫子な彼女に、すっかり骨抜きにされた男がいる。今まで出会ったどの女性とも毛色が違う、というのが理由らしい。

厄介なこの男、合コンでも開こうものなら、解散時には出席した女性の連絡先を余さず入手しているような百戦錬磨。

むっつりなのかと言えばそんなことはなく、紳士といえばそれも存外嘘臭い話だが、淡白な聞き方をする。

けれども速攻一発勝負。「連絡していい?」

……世の女ども、こんな男のどこがいいんだ?

しかし、この男にも何かが欠けていたのだろう。

こと千早歴に関しては、いまさら何を躊躇っているのか、生来の積極性を発揮できずにいる。

俺もそろそろ長い付き合いになるが、この点だけは解せなくて、傍観めいた応援をさせて貰っている。

まぁ冷やかしている部分もあるんだが。

そう言えばこの前、こんなことがあった。滝のような雨が降る日曜日だった。



*


「あ、麻生さん。おはようござ……」

彼女の目が驚きに見開いた。出掛かった朝の挨拶を打ち消してしまうほどのインパクトだったようだ。

その視線の先には俺が映っているはずだった。

「おはよう。何? 俺に見惚れてる?」

滅相もないと、頭を振って全否定するところが彼女らしい。

そこは嘘でも「はい」と頷いて欲しかった。まるで俺がイタい奴みたいじゃないか。

確かに、どこか調子の狂う子だ。彼女の、嘘のつけない性格が微笑ましい。そんな千早さんに尋ねる。

「どうした?」

「麻生さんが眼鏡……」

眼鏡? 俺の眼鏡が、キミのお眼鏡に適ったのかね? ……我ながら馬鹿な一文を思い付いたもんだ。

「視力悪いからな」

「普段はコンタクトなんですか?」

「そう。朝寝惚けてて、握り潰しちまった。新しいコンタクトを買うまでは眼鏡生活ってわけ」

「なんだか凄く新鮮です、麻生さんの眼鏡姿」

この目は……あれだ。よくある『あの男の子、カワイイ~』の目だ。

異性として見ていない、あの独特なニュアンス。実際そう思われると、悲しいもんがあるな……。

「今日だけだ、こんな煩わしいもんは。帰りにテナントの眼鏡屋に寄って新しいコンタクト買ってくる」

「え……、お似合いなのに……」

やめろ。俺は誤魔化されないぞ。その似合うっていうのは女が女に言う『可愛い』ってのと同等のもんだろ?

俗に言う『お世辞』ってやつだ。たまんねーよ、全く。

「眼鏡キャラは柾だけで十分だ」

噂をすれば何とやら、本人がPOSルームに入ってきた。

そんな柾は、俺の心の内を知ってか知らずか、煩わしげに尋ねてきた。

「麻生、何でスマホの電源を切ってる? お陰で店中を探し回る羽目になった」

「充電切れなんだ、すまん」

「そんなことだろうと思った。会社用のスマホを持ってくれ。面倒はご免だ」

店内専用のスマホを渡される。

「何の用だったんだ?」

「来月のチラシに載せる商品を、今日中に報告するように」

「あー、ラジャ」

意外だ。俺にかこつけてこの部屋に来たわけじゃなかったのか、と感心した俺が馬鹿だった。

「千早さん、おはよう」

前言撤回。やっぱ抜かりねーわ。

「おはようございます、柾さん」

二人の周りにピンク色のお花畑が見えるのは、俺の気のせいかね?

それともこの眼鏡がおかしいのか。ま、前者だろうがな。

「麻生が眼鏡とはな。久々にお前の眼鏡姿を見た気がする」

珍しいものを見たかのように見つめられ、気色悪くて思わず顔を背けた。「こっち見んなよ」

「視力いくつだ?」

「0.1と0.3」

「僕と同じくらいだったのか」

「毎日モニターばかり見てるからな。下がるのは当たり前……」

言ってから、俺は思わず千早さんの方を見る。柾も俺と同じ疑問を抱いたのか、彼女を見やった。

「? どうしたんです?」

小首を傾げる仕草がいちいち可愛い。

「毎日モニターを見てる点では、あんたも俺と一緒だな」

彼女の席にはパソコンが据えられている。仕事内容は店内の売価変更なので、パソコンがないと話にならない。

「ありがたいことに、視力は落ちていないんです。この前の身体検査では、両目とも1.2でした」

心の底から羨ましい話だ。

「眼鏡がないと見えないんですか?」

「世界がぼやけて見える」

眼鏡を外し、裸眼で周囲を見てみる。案の定、過ごしにくい世界がそこにはあった。

「へぇ、眼鏡って不思議ですね~」

彼女は俺の手の中にある眼鏡をしげしげと見つめている。

普段使わない人間にしてみれば、単なる眼鏡も珍しい代物なんだろうな。

「千早さんが眼鏡をかけても頭痛がするだけだから、やめといた方がいいぞ」

口では抑止しても、手の平の眼鏡は彼女の方へ突き出していた。

興味があるなら試してみるといい。そんな安易な考えだった。

「ちょっとお借りします」

うきうきな気分丸出しで、千早さんは俺の眼鏡を手に取り、蔓を耳にかけた。

「……っ」

素っ頓狂な声をあげたのは、俺でもなければ彼女でもない。柾だ。何をそんなに驚くことがあるんだ?

「ま、柾さん? どうしました?」

「別に何でもない」

何でもないわけがない。明らかに変だろ。取り乱し過ぎだ。

「本当だ、視界が変です。んー、綺麗に見ようとすると、頭がズキズキする……」

「だったら外した方がいいな。かえって視力が悪くなる」

「そうですね。それに私、眼鏡って似合わなさそうだから、恥ずかしい……」

「いや、似合ってる。凄くセクシーだ。もう1回かけて?」

……もしもし? 柾君? 何を言い出すんだね、急に。

この場には俺もいるんだがな? この野郎、俺が視界に入ってないのか? 

だったらお前、今すぐその眼鏡替えろ、こら。

「えっ。……えっ?」

ほらみろ。突拍子もないこと言い出すから、千早がゆでダコみたいな真っ赤な顔してるじゃねーか。

そして俺はお前の甘い台詞に笑い死にしそうなんだがな。ってここ、笑ってもいいんだよな?

……駄目だ。ここで笑ったら、千早さんが勘違いして泣く。

やっぱり似合ってないんですね、と言って、間違いなく泣く。

柾め、口説くつもりなら、俺がいないところでやってくれ。

「インテリな女性教師みたいだ。色っぽい」

おーまーえーはー。どうしてそうなんだ! どうしてそういうことしか言えないんだ!

「黒髪だからかな? 茶髪にすると、また雰囲気が変わるかも」

「でも私、変える気ありません……」

珍しいことに、彼女は頑なな答えを寄越してきた。微笑んではいるが、ぶれない意思を感じる。

これには柾も驚いたようで、

「例えば、きみの彼氏が頼んでも?」

「……そう……かもしれません。この黒髪、気に入ってるんです。なので、私に彼氏がいたとしても、変えないと思います」

「……僕が見たいと言ったら?」

柾。お前……。

いや、もう何も言うまい。人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られちまうらしいからな。

「変えません」

「絶対に?」

「はい!」

きっぱりと即答し、にっこりと微笑む千早さん。

……おいおい、一体どこが『おしとやかな生娘』なんだ、柾? 十分に情熱的じゃねーの。

そこが、お前を煽るのかねぇ? 確かにこれは、前途多難な恋かもな。



初稿 2007.03.31

改稿 2024.04.25


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