第9話
「お前さん、ヤマトさんの前じゃ俺と言うんだな」
「そう、ですね……気を抜いて出てしまっていましたね」
全ての食事を平らげたあと、思い出したようにリュージはそう話し出す。先程のやり取りを思い返すルシードは、少し困ったように眉をハの字に下げ。リュージはそんな彼の背中を控えめに小突いた。
「いいじゃないか。それだけ素を出せる場所だってことだろ? お前さんが安心して気を抜ける場所でなによりじゃないか」
この下流区、特にこの店とあの自宅は特別な場所なのだろう。そんな場所があるだけ、少し羨ましくも思った。
「リュージさんにはないのですか? 落ち着ける場所や気を許せる相手が」
「そういった特定の場所や相手は……ないな」
この年まで我武者羅に仕事ばかりしてきたせいか、ルシードのように特定の場所や相手を見つけてこなかった。前の世界で1度は手に入れた安らげる場所を、自らの行いで手放してしまっているから余計にだ。
「お前さんこそ、俺みたいなおっさんにばっかり構っていないで、良い相手を見つけたほうがいいんじゃないか?」
「私はあなたにお仕えし、あなたのために生きると……これをいただいたときに決めたので」
いっそ清々しいほど間髪入れずに返事を返すルシード。相変わらずブレない男に、リュージは乾いた笑いしか出てこない。そんな様子をカウンターの奥でヤマトは微笑ましく見守っていた。
「あの後俺が軍人になっていなきゃ、今頃どうしてたんだ」
「リュージさんが軍人であろうがなかろうが、きっとあなたを探し出してお仕えしていましたよ」
さも当然のように、なにを言っているのかとでも訴えるような表情でそう言ってのける。ルシードの中でリュージという存在は常に中心にいるらしい。嬉しく感じる反面、どうしてこうなったといった申し訳なさが勝る。
「……こりゃ、お前さんを婿に狙っている貴族のお嬢さん方も大変だ」
「まさか……リュージさん、アレを見られたんですか?」
「すまんな、お前さんの執務室を訪ねた時に少しな」
ルシードの言うアレとは、彼の執務室に置いてあった釣書のことだろう。不可抗力とはいえ見てしまったことに違いはないので、リュージは下手に否定はせず素直に謝罪をした。
「いつもはエイルに処分してもらっていたのですが……」
「きっとそうする最中だったんだろうな。タイミングが悪かったみたいでエイルの邪魔をしちまってな」
肘をついた手で口元を覆い隠しながらリュージから少し視線を外したルシード。少し何かを考え込んでいるようで、その青い瞳がすっと細められる。
「アレを見て、リュージさんはなにか感じましたか?」
少し不安気に揺れるその視線は、それでもしっかりとリュージの瞳を見つめていた。
その姿がまるで、隠し事が見つかってしまった子どものように見えてしまい、少しばかり庇護欲を唆られる。
「正直嫉妬したな」
「……っ」
「あれだけの釣書をもらうお前に」
「そっち、ですか……」
一瞬期待を込めた視線を向けられたが、リュージの返答にルシードの肩がガクリと落ちる。
「手強い相手だねぇ、ルシード坊や」
「もう慣れましたよ」
じーっと恨めしそうな視線を向けてくるルシードに、リュージは嘘偽りない正直な感想だと述べる。
「本音だと言われてしまうのも寂しいものがありますけどね」
「無理に結婚しろとまでは言わんが、釣書くらい見てやれば良いんじゃないか? 将来良いパイプになりそうなご令嬢がいるかもしれんぞ?」
自分を好いていると言う男には酷なことを言っているのだろうが、これで良いのだと話を進めるリュージ。老い先短い男より、将来性のある女の方が幸せになれるはずだ。
「……それがあなたの利益に繋がるのでしたら、結婚でもなんでもしますよ」
と、予想だにしない返事を返すルシードに、リュージはやれやれと肩をすくめた。
「結婚するなら、相手の令嬢のことをちゃんと好いてやれ? でなけりゃ捨てられるぞ?」
「それは難しい話ですね。私がお慕いしているのはこの世でただ1人ですから」
それはもう爽やかな笑みをリュージに向けながら、ルシードはそう言い切った。熱烈な告白に、流石のリュージも一瞬返す言葉を失った。
好いた男のために、好いてもいない女と結婚できると言うこの男。部下の言う通り、大分拗らせている。こう言う類いの人を表す言葉を、元の世界ではなんと言っただろうか。思わずそんな現実逃避をしてしまう。
「お前さんにそこまで惚れられた相手は……大変だなぁ」
他人事のようにそう言ったが、その相手は間違いなくリュージ自信だ。乾いた笑いを浮かべながら、ヤマトが出してくれたお茶を啜る。
「そうですね。その方には随分と袖にされていますが……とても尊い身分のお方なので、私のようなものが触れることすら烏滸がましい相手ですよ」
拗らせている上に筋金入り。そう言ったエイルを思い出す。
今まで仕事上で見ていた姿とは違い、今日のルシードはいつもより随分と攻めてくる。普段とは違う姿を見られて色々な発見があると同時に、その思いの重さの片鱗を知ってしまい、リュージは今複雑な心境を味わっている。
「因みに、お前その相手をいつから好いている?」
「これを頂いたときにはただの憧れだったかもしれませんが、軍学校に入隊したときにはもう淡い恋心を抱いていましたよ」
軍学校へ入隊できるのは、この国の規定で15歳から。あの当時のルシードはもう少し幼かったので入隊までに2、3年かかるとして、それでもかれこれ十数年はその片思いをしている計算になる。
しかも、その相手はどこの誰かもわからない男だ。そんな男相手に人生の半分以上片思いをしていれば、それは拗らせるのも納得がいく。
「貴族のご令嬢に任せるは、ちと荷が勝ちすぎてるな」
テーブルに肘をつきながら顔を置き、どこか遠くを眺めながらそう呟く。かといって、その思いに応えてやるにはリュージも覚悟が足りていない。
第三者が見ている場所でこんな話をしているのもどうかと思うが、どうやらヤマトはルシードの味方らしく気にはしていない様子だった。
「元より長期戦は覚悟の上でしたので、いくらでも待ちますよ」
「お手柔らかに頼みたいもんだ」
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