第26話 聖女アリシア・ルミエール②


 アクアテラの祭典には聖女の公務がある。

 球体から水があふれ続けるこの地では水の神を信仰していた。

 黄金色に輝く米や小麦の豊作を祝って、開催される祭りがアクアテラの祭典。


 アクアテラの祭典は三日間にも及ぶ。

 食べて歌って恋をする祭りともいわれている。

 市民は陽気な人々だ。温暖で飢餓とは無縁の生活がそうさせているのだろう。


 メガネをかけた神官ルリ・アズリアが淡々と業務連絡をする。

「明日からは公務になります。一日目と三日目の祭典への出席です」

 行きたくない、喉元まで出かかった言葉をアリシアは飲み込む。


 公務は一日目の神事と各種お偉方との挨拶。

 三日目はアクアリス魔法大学の学生たちの催しへの出席。


 いつものように神官ルリが用意した食事をとり、彼女に髪や身支度を手伝ってもらう。彼女との会話はほとんどないが、その仕事はいつも丁寧だった。

 彼女は代々の聖女に仕えているらしい。

 見た目は20代に見えるが、実際には齢60を超えているとの噂もある。

 うわさは所詮噂だ。

 アリシアは目で見たモノ以外を極力信じないようにしていた。


「いつもありがとう。ルリさん」

「いえ」とルリは静かに退出していった。


 入れ替わり部屋に来たのは侍女のミネバだ。

 以前叔母が還暦を迎えたと言っていた。その際には宝石を持って行ったはずだが、喜んでくれたのだろうか。その後の話はなかった。


 ミネバはルリと違って動きが騒がしい。

 物の扱いは乱雑だし、終始あわてている。

「おはようございます。聖女様。今日は忙しくなります。……あぁ駄目ですよ! 何度言ってもルリさんは忘れてるんだからっ。アリシア様、こちらの貴金属もお付けになってくださいっ。今日は多くの貴族の方々がお見えです。聖女様にふさわしい恰好をしてもらわなきゃっ」


 ミネバはルリへの悪態をつきながら、宝石で私を着飾っていく。

 悪態が心に、一つ一つの宝石が身体にのしかかってくる心地がする。


「お似合ですよアリシア様ぁ。こちらはハインリッヒ商会の方から送られてきたものです……それとこちらはシャイロック商会で――」

 ミネバは弾むような声で、様々な権威者の名前を口ずさむ。

 私は聖女の役目の一つが象徴だと思っている。


 私が着飾ることで喜ぶ人たちがいるらしい。

 宝石や衣装が好きかどうか、私の感情は関係がなかった。

 この都市の多くの人にとって都合が良い存在でなければならない。


 鏡に映る自分を見る。

 貴金属を届けた商会に箔がつくとはいえ、多くの宝石をつけられて滑稽な姿だった。確かに白いカラスのようだと言われても文句を返せない。


 また孤児出身の卑しい聖女と言われるのか。


「あぁもぅ!」とミネバは急に機嫌が悪くなる。「もうこんな時間っ! 早くいかなきゃっ! ほらアリシア様も急いでくださいっ!」

 ミネバが物を乱雑に置く音に驚きながら、彼女に言われるがまま急いでいく。


……。


 社交界。

 金持ちや貴族ばかりが集う領主の城に赴いた。

 やることは何もない。ただ微笑むだけ。話しかけてもらったら相槌をうつ。気の利いた言葉も言う必要はないし、相手を卑下する言葉だけ言わなければいい。

 相手を過度にならないように賛美する。


 貴族たちはこぞってアリシアの身に着けている貴金属をほめた。それはどこで作られたものだとか、さすがの目利きだとか。


 その質問に答えていく。

 それだけでミネバや塔の関係者、神事を司る神官達が喜ぶ。

 今日の宝石はシャイロック商会のモノが多かった。


 シャイロック商会の夫婦が誇らしげに談笑していた。

 黒茶よりの金髪の男は、でっぷりとした肉に顎が埋もれ呼吸も難しそうだ。煌びやかな女性は奥様か。


「聖女様に身に着けていただけて宝石たちも喜んでいることでしょうし、何より私どもシャイロック商会にとってとても誇らしいことだ」


「アリシア様も一目見た瞬間に喜んでおられました。これがいい。これじゃなきゃだめだと。ですよね」

 と神官はミネバと私に目配せする。

「はい」と機械的に頷いた。


 シャイロックが言った。

「ところで私には息子がおりましてね。今年はアクアリス魔法大学で屋台出店をしているのですよ。そこでクレープなるものを息子が開発しておりまして。一言、おいしいに尽きる。すでに一日目にしてかなりの売り上げをあげております」


 ミネバが熱心に頷き、私に目配せした。

「そうですか。クレープですね。私も楽しみにしています」

「おぉ! そうですかそうですか! 聞くところによれば、アリシア様も最終日に審査員として参加するとのこと……息子のガイウスの発明を楽しみにしていてください」


「はい」

 と私はうなづく。ミネバや神官達は満足そうにしている。

 どうせ私は外界の物を食べることができない。

 毒を盛られている可能性だってあるし、身体を壊してしまえば、結界の維持に支障をきたす。だからいつもルリの用意したものだけを食べていた。


 社交界でも、三日目のアクアリス魔法大学でも、それは同じだ。

 一切口にすることはない。代わりにミネバたちが食べる。

 私は伝書鳩のように彼女たちの思惑通りの感想を伝えるのみ。

 私が言ったという言質さえあればいいから、誰も真実かどうかは気にしない。


 そういえばと思う。王都から留学に来ているヴァイオレット家のご息女を今年はみかけない。変わった人であったが、とてもかわいらしく、この社交界で唯一政治的なにおいを感じなかったから印象に残っていた。この空間に嫌気がさして今年は欠席かもしれない。

 いいなあ、と私は思う。

 私も来たくなんて、なかった。


……。


 二日目は結界構築にいそしんだ。

 あれほど嫌だと思っている苦行がありがたかった。

 いつもは嫌だけど、アクアテラの祭典に行くよりずっといい。

 明日は行きたくなんてない。

 楽しそうな人々を見ると、自分の嫉妬と直面することになって、どんどん自分を嫌いになるから。

 

……。


 三日目午前のことだ。朝からアクアリス魔法大学に来ていた。

 大学での研究を見学し、催しを見て、最後にグルメ対決の審査だ。

 神官ルリ・アズリアがおだやかな表情で学生たちの催しを見ている。


 大学は来場者で活気に満ち溢れていた。

 大きく分けて二箇所でグルメ対決が開催されていて、第二演習場の方が特に盛り上がりを見せているようだ。

 クレープと呼ばれるものが人気らしい。


 ミネバがシャイロック商会のご子息が開発したという、クレープを喜んで食べていた。私は決められたものしか食べることができないため、その光景を見ているだけであったが、生クリームが乗っていておいしそうであった。


 大学の講堂の控え室。

 いつも冷たい表情であるルリにしては珍しい、おだやかな表情だった。アクアテラの祭典と未来ある学生たちの活気がそうさせたのだろう。


「みなさんしあわせそうですね。来てよかったですね」

「来たくなかった」


 はっとして口を押える。つい本音が口から洩れてしまった。

 たのしそうな人々の感情を汚す最低な言葉に思った。

 他の人に聞かれていなくてよかった。


 けど本心だ。

 食べて歌って恋をする祭典だから、来たくなかった。

 毒が入っている可能性があると言われ食べられないし、象徴だから歌うこともできない。恋なんてもってのほかだ。


 商会や貴族の箔の為に宝石を身に着け、滑稽な姿をさらして、馬鹿にされて疎まれて。

 人々のしあわせそうな姿を見続ける祭典に来たいわけがない。

 着飾れば着飾るほど、独りだって自覚してしまう。彼らが見ているのは私の象徴としての価値と、宝石たち。本当の私を見てくれる人なんて誰もいない。


 嫉妬。これは醜い嫉妬。

 罪のない人々に嫉妬する自分に出会ってしまい、心の中はぐちゃぐちゃだ。


「どうしてですか?」

 神官ルリは心底不思議という顔をしていた。怒りが沸いた。

 なぜか彼女にだけは言われたくなかったから。

「どうしてって……そんなの決まっているっ!」


 怒鳴るのは生まれて初めてで、自分の感情が制御できていないことが怖くて、体の芯から震えた。

 こんなの八つ当たりだ。でも悲しかったから。

 私の境遇を誰よりも知っているルリが何も配慮せず、私の口から理由を言わせようとした行為が、許せなかった。


 自分を理解してほしいという身勝手な願望と分かってはいたのに。

 彼女に勝手に期待してしまっていた。

 

「私は食べられないし歌えないし、恋だってできないじゃないっ!」


 頭の中ではわかっていても止まれない。手元の鏡を彼女に向かって投げつける。

 大きな音に、はっとした。

 割れた破片が彼女の肌を傷つけている。

 怖くなった。

 血が出ていたから。

 謝ろうとした。でも言葉はでなかった。

 私は悪くない。

 いつもいつも我慢している。

 いつもいつもいつもいつも。

 ここに来てから、聖女に祭り上げられてから、ずっと我慢している。

 痛くたって苦しくたって祈りを捧げている。


 私は、悪くない。


 でも、ルリはもっと悪いことをしていなかった。彼女の前に立っていることが恥ずかしくて、惨めだった。

 

 ルリは傷口をハンカチで押さえ、首を傾げた。

「アリシア様は、食べて歌って、恋をしたいのですか?」


 自分の顔が火照るのを感じた。

 普通の女の子の生活に憧れているのを知られたから。初めて本心を見られてしまったから。

 聖女でなければならないのに。

 何も答えることが出来ず、うつむくことしかできない。


 またあだ名が増える。明日には噂が広がっている。面白おかしく笑われる。


 今度はどんなひどい言葉で陰口をたたかれるのだろう。

 しかも今回は本当の自分のことを笑われるのだ。

 今までの宝石が好きという偽りの自分ではない。


 笑われて馬鹿にされて都合のいいときだけ頼りにされて、味方なんていなくて、孤独なんだって事実を突きつけられて。

 独りはもういやだ。聖女なんてもうやめたい。


「アリシア様」

 顔を上げるとルリは微笑んでいた。

「こちらへ」

 彼女は私の手を掴んだ。誰もいないところへ連れていかれる。殴られるのだろうか、まだそっちの方がいいと思った。

 痛みには慣れているから。


「ここにいてください」

 どこかへ行き、戻ってきた彼女は服を抱えていた。

「私の服で申し訳ないのですが、これに着替えてください」


「……え?」

 なぜ服を着替えるのか訳が分からなかった。

「約束してください。夜までに塔に戻ってくることを。いいですか? 必ず夕日が沈み切る前に、必ずです。約束を守ってください」


 彼女の意図を理解した。でも無謀だって思った。

 だって私の髪は白く、とても目立つ。街中にいたらすぐばれてしまう。

 長い髪を抱きしめようとして、髪が黒くなっていることに気づく。

 彼女を見上げる。

 笑って鏡を向けてくれた。


 驚きの光景だった。

 そこに写る自分は白い髪ではなく、きれいな黒髪だったから。


 驚いて彼女を見ると、彼女は白い髪で、背格好、容姿まで私と同じ姿になっている。鏡の中の自分を見ているようだった。

 彼女はメガネを外した。


「私の魔法です」


 と続けて彼女は言った。


「すみません。あなたはいつも笑顔でいらしたから、聖女であることに誇りを持っているのだと思っていました。どれだけ辛くともどれだけ陰口をたたかれようと、あなたは聖女のお役目を全うしていた。だから気づけませんでした。あなたは特別な人だと思っていたから。まだ若いのに、ごめんね。気づかなくて、ごめんね。色々やりたいこと、あるよね」


 頬を冷たい何かが伝った。独りだと思っていたのは私の勘違いだった。見守ってくれている人は近くにいた。


「ほら、急いで。泣いていたらあなたの休日が終わってしまうわ」


 血がにじんでいるハンカチが目に入った。

「ごめんなさい。私ひどいことを……」

「ひどいこと?」

 彼女は小首をかしげる。

「あぁ。これ? こんなの平気です」

「平気なわけありません。とても痛いと思います」


「平気です。へいちゃらなんですよ」

「なんで私を責めないんですか?」


「アリシア様はもっと辛い思いをしてきたじゃありませんか。あなたを責めていい人なんて、この都市にいませんから。だからほら、早く着替えなさい!」


 私は促されるまま急いで着替える。

 彼女の服は私には少し大きかったけど、どんな貴金属のついた豪奢なドレスよりも、素敵な服に思えた。


「ほら、アリシア急いでっ!」


 姉のようなやさしい言葉に背中を押され、私は大学を飛び出した。

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